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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

鍬ヶ崎の防波堤

2012年02月12日 | どうなる避難対策


写真は「風に吹かれるままに、ギターの音にのって」ブログ
<クレーン船と潜水夫…宮古湾にて…>(2012.2.15)より

のどかな写真である。どうやら赤い灯台のある鍬ヶ崎防波堤の工事が始まったようだ。すでに礎石やコンクリート打ちに入ったのであろうか?それともまだ調査段階の作業であろうか?港湾のこの種の工事は土木建築やケーソン、資材会社等の特別なものとして、発注業務も市役所、県庁、国交省の契約で進められてきた。この防波堤もどこのどこが主管しているのか?すらわからない。いわゆるコンクリート族の内輪の工事としてだけでなく、港湾工事は、域内の漁業者、市場や製氷などの漁業資材等会社、また荷役・流通会社、関連官庁にその輪を広げて協議の上着手する仕組みであった。一般市民ははいじょされ、あくまでもその内実を隠すようにして、これまで、主務部局はその手続きを10年一日のようなお地蔵様委員の人選でもってただ形式的に協議を行ってきた。

──このような古いやり方の工事方法はもうやめるしかない。3.11の大災害が教えてくれたはずである。いま一つ一つの港湾工事に大きな反省の意味を付加して復旧復興しなければ10年、20年、100年、200年後に、同じ場所で同じ禍根をひきおこすことになる。今この風景も、市民にすればほぼ完全に目隠しされた遠景??のようなものである。

調査目的、設計図、工程表を市民に対してオープンにせよ!と言いたい。

この新防波堤が実用の防波堤としてだけでなく津波防災上の新しい設計になっているかどうかも聞くことが出来ないでいる。単なる復旧工事ではあるはずはない、他の港湾施設、龍神崎防波堤、出先ふ頭、鍬ヶ崎周辺岸壁とどう連携をとっているのかどうか、それは必ず連携をとらなければならないはずである、そうでなければわれわれが1000年に一度といわれる今次大津波を経験した意味がないからである。少なくとも鍬ヶ崎地区復興まちづくり検討会には知らされているべきだし、まちづくり会ではいろいろな角度から議論されるべきである。漁師も姉(あね)さんも関係がない。または広く宮古市民防災まちづくり会(仮称)の検討会の議論にかけ、検討されなければならない問題であろう。堤防一つが地域の防災の最重要施設となるのであるから内輪工事や関係者だけのものであってはならないのである。

この事は設計協議とともに市民に対する情報公開の原則に照らす意味合いもある。大規模マンション等の景観条例や環境アセスメントなどと同じだ。市民、地域住民の直接の利害でもある津波防災においても当然考えることなのである。

そのおだやかな風景とは似つかわしくないかも知れない。しかし災害はいつでも一瞬の乱調にある。おだやかさにまどわされてはいけない。1000年の波乱を含んだ調査船の船出である。


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