宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

鍬ヶ崎復興まちづくり会 最終回

2012年02月22日 | どうなる住宅問題


●漁師の徒然なるブログ<鍬ケ崎地区復興まちづくり計画の決定について>へのコメント




やる気が見えない計画です

(2012-02-22 コーケやん)



鍬ヶ崎はすくとして声がないなあと思っていたらこんなことになっていたんですね。

本来独立して議論すべき地区別の復興まちづくりの検討・合意の現場に行政の長である市長と立法の議員である市会議員がにらみをきかしているという事はこの集まりはなんなんでしょうか? 異様な光景ですね。あせりがあるのでしょうが、厳密に言えば違法な会議であったと言わざるを得ないですね。

4回にわたって検討を進めてきた「鍬ヶ崎地区復興まちづくり検討会」がその成果を住民に直接説明して賛成を得るはずの住民全員参加の第2回目「鍬ヶ崎地区復興まちづくり会」(「検討会」ではありませんよ)が17日に開かれたという事です。住民代表の検討委員が自分たちのまとめた考えを住民に訴え、住民から質問や要望、賛成・反対意見をもらうために開催された貴重な場所でした。住民にとってはみんなの前で意見を言えるかけがえのない時間だったのです。

(おくそくですが)検討委員と住民の間でどんな検討や合意があったのでしょうか? なかったですねっ!! ただ役所の方から一方的説明があっただけですね。 市会議員や市長もおいでになって…
初めから住民の意向を聞く気はなかったというのは水門説明会の市長の態度と同じです。

こんなところで何が決まったというのですか? 鍬ヶ崎に防潮堤が出来さえすればいいのですか? コンサルタントは役目を終わったと言っていなくなるでしょうし、鍬ヶ崎住人は次々いなくなりますね。第一、検討委員の方々が率先していなくなると思いますよ。
やまごがつくった鍬ヶ崎に鍬ヶ崎の人が住めますか? そこはもう鍬ヶ崎ではないです。 (以上)



計画は上の漁師の徒然なるブログに詳しい。詳しいだけでなく図面や写真を多用して丁寧に書かれている。必ず読んでほしい。私も読んだり検討するのはこれからです。しかしこの計画の母胎になった2月6日の第4回「鍬ヶ崎地区復興まちづくり検討会」の『便り』が未公表なので全体像は見えていないです。とりあえず第3回(1/12)に対する感想を繰り返しておきたいと思う。


感 想


前回の便りからどこが進歩したのか? まず◯◯ゾーン,□□ゾーン,△△ゾーンという地区の色分けがやたら目について不愉快な気分にさせられた。「安全で安心して暮らせる」とか「老人や子どもも住みたいと思うまち」の空疎なスローガンや、とってつけたような「サイクリングロード」や「歴史資料館」などとともに20年前のバブル時代の企業、銀行、デベロッパー等の地方自治体に対する開発計画のプレゼンテーションを見る思いがするからである。むせきにんな他人(ひと)事の復興案だ。かって自治体の首長、議員、住民がこのゾーン、ゾーンに色分けされた企画書に踊らされて地域の衰退を招いたのであった。産業ゾーンとはなになのか?どんな産業なのか?地場のものか、誘致企業なのか? どんな手当をしているのか分からないものをゾーンに分けて色をぬっても意味はない。他のゾーンにしても中味がなくイメージがわかず、意欲が出てくるわけがない。コンサルタント会社は企業や商店などの誘致まで見通して、面倒を見てくれるのかどうか? 鍬ヶ崎地区だけでなく他の地区もこのやり方で計画図が出来、空疎な目標が書かれた復興まちづくりが画かれている。前回からの進歩はなにもない印象を受けた。



時間をかけても進歩が見えないのは主催者側に自分の関心の強いシナリオがありストーリーがあるからである。だから地域住民の関心を拾(ひろ)い上げることが出来ないのだ。宮古市は要するに鍬ヶ崎に防潮堤ができればよいと思っているだけである。防潮堤が津波防災に役にたつかどうかは考えないのである。閉伊川水門と同じ、まるで県庁の指示の方が宮古や鍬ヶ崎の主体性より大事だと思っているようである。防潮堤が出来る事によって旧鍬ヶ崎がますますさびれ、人がいなくなり、外からの客船、貨物船、漁船の入港も影が薄くなり、観光客も素通りするだけだという事に考えが及んでいない。
さいしょから決まっていたようにして最も海寄りに防潮堤を図面に書き込んでいるが、当初は場所案も何案かあったはずである。経過説明もなく、県庁のシナリオを市の担当者とコンサルタントが決定論に誘導しているだけなのだ。どういう経過でこの決定になったのか言ってみろ、といいたい。また地域の住民も、統一的に宮古湾全体の防災デザインを議論する事なく、また灯台のある鍬ヶ崎堤防や地盤沈下の岸壁の防災機能についてみんなで意見を出し合う事もなく、やまごが設計した寒々とした防潮堤の一発芸に拍手するだけの住民にもあたまがどうかしたのではないかと悲しい気持ちにさせられた。海の事でもしゃきっとできないのか、と。



シミュレーションも信用できない。決まれば100年、200年立ち続けるであろう鍬ヶ崎防潮堤を、何の説明もなく、ごまかしのシミュレーションをぱぱっと見せたふりをして乗り切ろうとしている県庁、宮古市、コンサルタント。おそらくそうしろと指示されているのであるが、防潮堤による浸水・水深シミュレーションの根拠と入力データを、お年寄りでムリなら鍬ヶ崎の若者や学生のほとんどを集めてとことん説明し、彼ら彼女らが納得するのでなければぜったい建設してはならないのだ。



大防潮堤のあった田老地区では今次津波で229人の死者行方不明者を出した(被災人口3000人)。一方、防潮堤のなかった鍬ヶ崎地区では65人(同3200人)であった。 数字の比較と同時に、なぜそうなのか? より広く、より深く掘り下げて、よい事も悪い事もちゃんと議論しなければならない。この議論がシミュレーションの一環であり、本当のシミュレーションの内容だという事をコンサルタントや役人や県庁官僚は知らないのです。かれらは、ただ浸水深だけを考慮したシナリオに誘導すればよいと考えている。シナリオ(シミュレーション)を信じる根拠はないのです。



臼木山やおぐまん様、道又沢に避難する気概さえあれば当分大丈夫だ。まだまだ時間はある。本当の鍬ヶ崎を発見すっぺす。





[関連記事] 第2回「まちづくり検討会」(12/6)の『便り』への感想

 

 

 

 



コメント (2)
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