洞川へ水を汲みに行った帰途、五条市の人から聞いた古民家の藤岡家住宅が最近登録有形文化財に指定されたと聞き、出かけて行きました。
16:00まで公開と言うので、時間オーバーであったが、玄関先まで踏み入れました。
NPO法人「うちのの館」と名付けて公開されていました。
奈良俳壇のリーダーとも言われた俳人藤岡玉骨(アララギ派)の実家だったという。
このあたり、宇智地区と呼ばれ、万葉集にも出てくる狩猟地で由緒ある土地です。
夫の天皇が狩に出かけているのを皇后が思いをいたした歌と言われています。
たまきはる うちのおほのに うまなめて
あさふますらむ そのくさぶかの (巻一・四)
(宇智野の大野に 馬を並べて 朝の野を踏ませておられるであろう)
「うちのの館」として有料で公開している。 右:奈良大阪府県境の金剛山(1125m)の登山口です。
玄関を入ると、これは何と大きな応接セットか。屋久杉ですね。蔵で埃を被っていたものだそうです。
上がり框の様子は、かつて江戸時代には庄屋であった面影が残る。
「かりていもさん」と呼ばれ、子供の背中に張り付いて、子供の守り神になっているという。
奥には蔵が見えます。
古い農家にあったであろう農具などが並べられています。「とうみ」「杵」「みの」「み」
前栽ですね。400坪の敷地に200坪の家屋が建ち、多くの使用人がいたことでしょう。
火鉢にスイレンとか、面白い灯篭がありますね。
五条の街は、明治維新のとき、いち早く天誅組隊員が拠出したとか…。明治の改革は五条から始まったと地元の人は言います。
16:00まで公開と言うので、時間オーバーであったが、玄関先まで踏み入れました。
NPO法人「うちのの館」と名付けて公開されていました。
奈良俳壇のリーダーとも言われた俳人藤岡玉骨(アララギ派)の実家だったという。
このあたり、宇智地区と呼ばれ、万葉集にも出てくる狩猟地で由緒ある土地です。
夫の天皇が狩に出かけているのを皇后が思いをいたした歌と言われています。
たまきはる うちのおほのに うまなめて
あさふますらむ そのくさぶかの (巻一・四)
(宇智野の大野に 馬を並べて 朝の野を踏ませておられるであろう)
「うちのの館」として有料で公開している。 右:奈良大阪府県境の金剛山(1125m)の登山口です。
玄関を入ると、これは何と大きな応接セットか。屋久杉ですね。蔵で埃を被っていたものだそうです。
上がり框の様子は、かつて江戸時代には庄屋であった面影が残る。
「かりていもさん」と呼ばれ、子供の背中に張り付いて、子供の守り神になっているという。
奥には蔵が見えます。
古い農家にあったであろう農具などが並べられています。「とうみ」「杵」「みの」「み」
前栽ですね。400坪の敷地に200坪の家屋が建ち、多くの使用人がいたことでしょう。
火鉢にスイレンとか、面白い灯篭がありますね。
五条の街は、明治維新のとき、いち早く天誅組隊員が拠出したとか…。明治の改革は五条から始まったと地元の人は言います。