女人禁制の大峰山登山の修験道の道の入口です。宗教上の戒律が及んでいる場所です。
今しも、業を目的の行者が入っていきました。登山回数を刻んだ記念の石碑が沢山建っています。中には数百回というのもあった。
前回訪れた時は、大峰山の頂上が雲で隠れていたのが、今日はよく晴れていました。展望する案内図があった。
西の覗き岩が見える。よく行場で身を乗り出して、誓いを立てるところですね。
さて、山を降りて、五条市に帰り、そこを流れている吉野川の畔に立ちます。そこは藤原鎌足の子の藤原不比等の長男、藤原武智麻呂ゆかりの榮山寺に程近く、通称音無川と呼ばれる流域です。
石碑には「弘法大師が榮山寺で修行中、川の流れが喧しいので、筆を投げ入れると音がしなくなった」とあります。
今はカヌーの練習場になっています。両岸は岩が露出して、風景を盛り上げています。
音無川の石碑から10数km下流に行くと和歌山県との県境があり、そこからこの吉野川は紀ノ川と名前を変えます。
ここに、高野山への登山口になる九度山の街があります。山頂までの町石(丁石とも)が並ぶ最初の1番です。
九度山にある慈尊院は、弘法大師の母が、修行で高野山に登ったのを慕って、ここのお寺に滞在したと言われます。
女人禁制の高野山から、弘法大師が月に九回も山を降りて来たと言われ「九度山」と名が残っている。
本殿には、乳房型の絵馬が奉納されています。
こんなに多くの願いが叶えられる。
西の山門前の畑には柿が色づいています。
表門の前には、柿が売られていました。
今しも、業を目的の行者が入っていきました。登山回数を刻んだ記念の石碑が沢山建っています。中には数百回というのもあった。
前回訪れた時は、大峰山の頂上が雲で隠れていたのが、今日はよく晴れていました。展望する案内図があった。
西の覗き岩が見える。よく行場で身を乗り出して、誓いを立てるところですね。
さて、山を降りて、五条市に帰り、そこを流れている吉野川の畔に立ちます。そこは藤原鎌足の子の藤原不比等の長男、藤原武智麻呂ゆかりの榮山寺に程近く、通称音無川と呼ばれる流域です。
石碑には「弘法大師が榮山寺で修行中、川の流れが喧しいので、筆を投げ入れると音がしなくなった」とあります。
今はカヌーの練習場になっています。両岸は岩が露出して、風景を盛り上げています。
音無川の石碑から10数km下流に行くと和歌山県との県境があり、そこからこの吉野川は紀ノ川と名前を変えます。
ここに、高野山への登山口になる九度山の街があります。山頂までの町石(丁石とも)が並ぶ最初の1番です。
九度山にある慈尊院は、弘法大師の母が、修行で高野山に登ったのを慕って、ここのお寺に滞在したと言われます。
女人禁制の高野山から、弘法大師が月に九回も山を降りて来たと言われ「九度山」と名が残っている。
本殿には、乳房型の絵馬が奉納されています。
こんなに多くの願いが叶えられる。
西の山門前の畑には柿が色づいています。
表門の前には、柿が売られていました。