須磨の沖に浮かぶ貨物船が、二艘曳航されて西に向かう。
昭和の初めには、九州からの石炭船が、10~20隻と繋がって海上を賑わしたものでした。日本の産業を支えていたものでしたね。
遠くに霞むのは淡路島の山並み。
源平の軍はこの海域であった。沖には多数の平家の船が浮かんでいたことでしょう。
山陽電鉄の駅と周辺の史跡などです。
国道2号線に面している駅から、西へ約100mに敦盛塚がある。
阪神の震災の時に五輪塔が崩れたが、石の下からは何も発見されなかったとか。
地域でも多くの人たちに護られて、手入れも行き届いている。わが国で二番目に大きい五輪塔といわれる。
左:敦盛そばは、この地の名物となり、昔をしのんだものでした。現在は土日だけ営業している。
右:蕎麦屋の横の塀には、源平の紋章「笹リンドウ」と「揚羽蝶」の楯の板が並んでいる。
敦盛塚の傍にある歌碑です。作者は草野藤次といい、神戸市中央区の開業医だそうで、昔の「大阪朝日新聞」の懸賞当選歌と言う。
昭和の初めには、九州からの石炭船が、10~20隻と繋がって海上を賑わしたものでした。日本の産業を支えていたものでしたね。
遠くに霞むのは淡路島の山並み。
源平の軍はこの海域であった。沖には多数の平家の船が浮かんでいたことでしょう。
山陽電鉄の駅と周辺の史跡などです。
国道2号線に面している駅から、西へ約100mに敦盛塚がある。
阪神の震災の時に五輪塔が崩れたが、石の下からは何も発見されなかったとか。
地域でも多くの人たちに護られて、手入れも行き届いている。わが国で二番目に大きい五輪塔といわれる。
左:敦盛そばは、この地の名物となり、昔をしのんだものでした。現在は土日だけ営業している。
右:蕎麦屋の横の塀には、源平の紋章「笹リンドウ」と「揚羽蝶」の楯の板が並んでいる。
敦盛塚の傍にある歌碑です。作者は草野藤次といい、神戸市中央区の開業医だそうで、昔の「大阪朝日新聞」の懸賞当選歌と言う。