錦市場から北に曲がって、蛸薬師通りを上がる。
自転車が屋根の上に乗っていた。おそらく明治か大正時代から続く自転車屋の看板である。
京都では平和な時代が今も続いていることが判る。
聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めてここに来た。ある日、彼が沐浴の為に、
持っていた護持仏を木の枝にかけていたところ、それがくっついて動かなくなったという。
その夜のお告げでこの地はやがて都の中心になるからお堂を建てよと言う。
それが六角堂として建立され、その事から「紫雲山頂法寺」と名づけられた。
六角堂と名のある火桶の鉢。天邪鬼が支えている。
横でうつ伏している人がいる。敬虔な信者さんで、五体投地を何回か続けている。
本尊の如意輪観音さまが拝見できる。
横にある写真。ふつう六臂(六本の手)であるが、ここは2本に見える。
境内には都の中心と言う六角形の「へそ石」がある。
そこで佇んでいると、ハトがこちらに寄ってくる。
枝垂れ桜の木の下で、並ぶ十六羅漢様。以前に当blogで桜の下の羅漢の写真がある。
上から見ると六角形の屋根がよく判る。
小野妹子が本尊に花を供え、後に出家して池坊を名乗り、現代に至っているという。
※ 六角堂は当blogの2010年4月2日と4月3日にもアップしています。
自転車が屋根の上に乗っていた。おそらく明治か大正時代から続く自転車屋の看板である。
京都では平和な時代が今も続いていることが判る。
聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めてここに来た。ある日、彼が沐浴の為に、
持っていた護持仏を木の枝にかけていたところ、それがくっついて動かなくなったという。
その夜のお告げでこの地はやがて都の中心になるからお堂を建てよと言う。
それが六角堂として建立され、その事から「紫雲山頂法寺」と名づけられた。
六角堂と名のある火桶の鉢。天邪鬼が支えている。
横でうつ伏している人がいる。敬虔な信者さんで、五体投地を何回か続けている。
本尊の如意輪観音さまが拝見できる。
横にある写真。ふつう六臂(六本の手)であるが、ここは2本に見える。
境内には都の中心と言う六角形の「へそ石」がある。
そこで佇んでいると、ハトがこちらに寄ってくる。
枝垂れ桜の木の下で、並ぶ十六羅漢様。以前に当blogで桜の下の羅漢の写真がある。
上から見ると六角形の屋根がよく判る。
小野妹子が本尊に花を供え、後に出家して池坊を名乗り、現代に至っているという。
※ 六角堂は当blogの2010年4月2日と4月3日にもアップしています。