寺町通りを北へ約1.5km離れた次の札所通称「革堂さん」に回る。
御所のすぐ南にある「霊鹿山行願寺」は町中の寺である。
霊鹿山が読みにくいのか、通称名で呼ばれることが多い。
かつて、母の鹿を射止めてしまったことで、その毛皮を身にまとって悔いたというのが由来である。
何の飾り気もない、古刹である。
300余年前に、この地を得て、建立した歴史が刻みこまれているようである。
御詠歌にあるように、庭の千草の盛りなるらん、だが、早春の境内には咲く花も輝きませんね。
革堂観音の名の赤提灯である。
弁天堂の七福神を初め釣鐘堂、地蔵堂、観音堂、愛染堂、稲荷堂などの社が並ぶ。
開基は行円上人である。
彼はたけだけしい性格で、野山で鳥や獣を獲っていたが、雌の大鹿を射止めたが、
その腹の中に小鹿がいて、憐憫を感じ、出家したという。
その鹿の革で法衣を作り、修行に励んだという。
何度も火災に見舞われ、今の本堂は1816年に再建されたという。
御所のすぐ南にある「霊鹿山行願寺」は町中の寺である。
霊鹿山が読みにくいのか、通称名で呼ばれることが多い。
かつて、母の鹿を射止めてしまったことで、その毛皮を身にまとって悔いたというのが由来である。
何の飾り気もない、古刹である。
300余年前に、この地を得て、建立した歴史が刻みこまれているようである。
御詠歌にあるように、庭の千草の盛りなるらん、だが、早春の境内には咲く花も輝きませんね。
革堂観音の名の赤提灯である。
弁天堂の七福神を初め釣鐘堂、地蔵堂、観音堂、愛染堂、稲荷堂などの社が並ぶ。
開基は行円上人である。
彼はたけだけしい性格で、野山で鳥や獣を獲っていたが、雌の大鹿を射止めたが、
その腹の中に小鹿がいて、憐憫を感じ、出家したという。
その鹿の革で法衣を作り、修行に励んだという。
何度も火災に見舞われ、今の本堂は1816年に再建されたという。