8月12日は日航機ジャンボ機墜落事故の日である。早いもので20年。あの夏は忘れられない。
当時、私は大学生で、軽井沢千ヶ滝の某大手商社寮に住み込みでバイトしていた。このときの仕事のしんどかったこと。
朝5時に起こされ、朝飯の用意をして、一部弁当をこしらえ、ひと段落着くと、15近い部屋を回ってふとんを片付け、シーツを取り替え、掃除をする。これで、すでに午前中が終わる。バイトはひとりだけ。寮の40代後半の住み込み夫婦にこきつかわれた。
昼に夕べの残りのマグロの刺身で飯を食う。ひるめしの後、4時まで自由時間だ。当初は観光なんかして、いい気分だったが、1週間もたつと、疲れがたまり、外出する元気もなくなる。
午後4時になると、中軽井沢のジャスコに買出しに出かけ、晩飯の用意をする。まかない飯も食うが、ほとんど毎日がマグロの刺身である。真剣に壊血病の心配をしたものである。
晩御飯の片付けが終わるのが午後10時過ぎ。風呂に入った後、風呂掃除もさせられた。1日のしめくくりは、お風呂を抜いた後の毛、陰毛の除去だ。この時間になると、疲れもピークに達する。そして、このままぐったり寝れたらよいが、そうはいかなかった。なんと、この後、住み込み夫婦の晩酌に1時間近く、つき合わされるのだ。
このときのハードさに比べたら、今の仕事なぞ屁みたいなものである。そんな生活が1ヶ月も続き、そろそろ脳に変調を起こすか、というころ、日航機事故が起きた。その日もマグロの刺身を食いながら、あまりの大事故に仕事を忘れ、おばちゃんにしばかれながら、木村太郎キャスターの司会するNHKの特別番組を食い入るように見入っていた。
(後半に続く)
当時、私は大学生で、軽井沢千ヶ滝の某大手商社寮に住み込みでバイトしていた。このときの仕事のしんどかったこと。
朝5時に起こされ、朝飯の用意をして、一部弁当をこしらえ、ひと段落着くと、15近い部屋を回ってふとんを片付け、シーツを取り替え、掃除をする。これで、すでに午前中が終わる。バイトはひとりだけ。寮の40代後半の住み込み夫婦にこきつかわれた。
昼に夕べの残りのマグロの刺身で飯を食う。ひるめしの後、4時まで自由時間だ。当初は観光なんかして、いい気分だったが、1週間もたつと、疲れがたまり、外出する元気もなくなる。
午後4時になると、中軽井沢のジャスコに買出しに出かけ、晩飯の用意をする。まかない飯も食うが、ほとんど毎日がマグロの刺身である。真剣に壊血病の心配をしたものである。
晩御飯の片付けが終わるのが午後10時過ぎ。風呂に入った後、風呂掃除もさせられた。1日のしめくくりは、お風呂を抜いた後の毛、陰毛の除去だ。この時間になると、疲れもピークに達する。そして、このままぐったり寝れたらよいが、そうはいかなかった。なんと、この後、住み込み夫婦の晩酌に1時間近く、つき合わされるのだ。
このときのハードさに比べたら、今の仕事なぞ屁みたいなものである。そんな生活が1ヶ月も続き、そろそろ脳に変調を起こすか、というころ、日航機事故が起きた。その日もマグロの刺身を食いながら、あまりの大事故に仕事を忘れ、おばちゃんにしばかれながら、木村太郎キャスターの司会するNHKの特別番組を食い入るように見入っていた。
(後半に続く)