母親がきのうまで上京して来ていて聞いた話。去年、母親の弟である叔父が死んで、葬式にバスで郷里まで往復した話は書いたが、その未亡人のおばさんの話。母親が久しぶりに実家の近所のお寺に墓参りした時、実家によってみると、何と更地になっていたそうである。で、そのおばさんに問いただすと、「うちが相続したから、うちの判断で取り壊した」そうである。
母親の実家というのは、150坪くらいの大きな旧家の家で、ワシが子供の頃は近所の高校生を下宿として住まわせていたほどである。庭にはっさくの樹があって、堂々たるものであったが、そんな樹々も片っ端から引っこ抜かれ燃やされてしまったらしい。また事前に一言も連絡がなかったそうであるが、母親も怒ることもなく「しかたないなあ」みたいな感じで引いたらしい。
ワシの郷里ではけっこうこんなことが当たり前にまかり通る。いちいち記さないが、うちの一族の話だけではなく、近所の他人の話でも枚挙にいとまがない。カネがすべてみたいな感じで、他人に対する気遣いや思いやりなどは二の次。話を聞いてあきれてしまう。京都出身のニョーボいわく「レベルが低い」らしい。
地域の気質がどうのこうのといった問題ではないのかもしれないが、とりあえず、ワシの場合、父親の実家も今は他人のものになっていたりして、子供の頃の想い出の多い二軒の家はもう永遠に訪れることができなくなっている。時代の流れなのだが、素直にさびしい。
母親の実家というのは、150坪くらいの大きな旧家の家で、ワシが子供の頃は近所の高校生を下宿として住まわせていたほどである。庭にはっさくの樹があって、堂々たるものであったが、そんな樹々も片っ端から引っこ抜かれ燃やされてしまったらしい。また事前に一言も連絡がなかったそうであるが、母親も怒ることもなく「しかたないなあ」みたいな感じで引いたらしい。
ワシの郷里ではけっこうこんなことが当たり前にまかり通る。いちいち記さないが、うちの一族の話だけではなく、近所の他人の話でも枚挙にいとまがない。カネがすべてみたいな感じで、他人に対する気遣いや思いやりなどは二の次。話を聞いてあきれてしまう。京都出身のニョーボいわく「レベルが低い」らしい。
地域の気質がどうのこうのといった問題ではないのかもしれないが、とりあえず、ワシの場合、父親の実家も今は他人のものになっていたりして、子供の頃の想い出の多い二軒の家はもう永遠に訪れることができなくなっている。時代の流れなのだが、素直にさびしい。