今日の昼ごはんである。右が肉じゃがの残りでジャガイモとこんにゃく。左はごはんに、もやしのゆでたのと、ねぎをまぶしたものである。おおざっぱに320Kcalくらいである。
特筆すべきは塩分が非常に少ないということである。塩分がないということは味がないということに似ている。はっきりいって食べた気がしないのだ。とはいえ、今週末も病院で検査を受けなければいけないのでがまんせざるをえない。
こういう生活を10日ほど続けているわけだが、おかしなものでボーっとしていると食い物が脳裏にちらついてしかたがない。食えもしないのにグルメ番組なんかも食い入るように見ていたりする。数値よくなったらあれ食べようとか、いやしいことこのうえない。
さて、腹のすいた状態が常態になると、自分にとって究極の食い物とは何か、ということをとことん考えたりする。たとえば、いまわのきわに最期に一食だけ食べることが許されるなら何を頼むか。
万世のステーキ、茶水のカロリーのハンバーグつきスタミナ焼き、国立のスタ丼、かつて大学通りとあさひ通りの分岐のところにあった今はなき丸信の天津丼、高校時代死ぬほど食った某カレーチェーンのカツカレー・・・。どれもこれもうまかったが、実は究極の食い物としてはしっくりこない。いまわの際に食べたいものはほかにある。
いろいろ考えた末いきついたのは、じつは母親の作った出汁のよく利いた卵焼きである。もうひとつは、やはり母親の作った、マヨネーズが大量に入ったジャガイモがふんだんに入った下品なポテトサラダである。あれ食ってからなら死んでもよいと思う。といってワシがマザコンとばかりもいえまい。究極の味はおふくろの味。以上。