どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

ダイワスカーレットの回避に思う。

2007-05-21 | 競馬余談

ウォッカのダービー挑戦により、オークス大本命と目されていたダイワスカーレット。
残念ながら直前の熱発により、彼女もまた、このレースを回避することとなりました。
調教師をはじめ関係者の方々が、どのような段階でいかなる判断により回避を決定し、またその心境はいかがなものであったのか知りたくなりました。



こんな部外者でほとんど馬のことに関してはド素人の私が勝手に思うところでは、時代は変わったのだなぁ、とつくづく感じます。
クラシック、特にダービーやオークスに関しては、昔の競馬関係者ならばどんなことをしても出走させたい、なんとかして走らせてやりたい、と最後の最後まで足掻いたことでしょう。
熱発はおろか、脚元の不安を抱えている馬でさえ、”このレースだけは!”というおもいで無理して出走させて、その後不幸な結果を招いた馬も多数いたと聞いています。
しかし今の時代は、明らかに違います。(全てとは言いませんが)
馬の状態を考え、万全でないならば無理しては使わない。
そういったことが常識になってきているように思えます。
それは競馬先進国の多いヨーロッパ的な発想でしょうか?
それとも単に、競馬関係者の意識が向上してきたということでしょうか?
馬ことを最優先に考え、これから将来のことを見据え、ホースマンの意識向上に伴い馬主の理解も得られるようになってきたということなのかも知れません。
それがたとえ、クラシックのような大レースであろうが一般平場戦であろうがそれは同じ。
それは当然と言えば当然のことなのでしょうが、かつてはそれが非常識扱いされていた時代もあったのです。
クラシックレースの威厳。
かつては、それがなによりにもまして第一と考えられていた時代なのでしょう。


しかしながら、いまやプロ野球の先発投手のローテーションですら、キッチリ決まっている時代。
4連投や5連投、はたまた年間40勝投手など、現代の野球では考えられません。
それは投手の選手寿命を考えてのこと。
今の野球界でそんな命令をする監督がいれば、すぐさまマスコミ各方面や世間から叩かれ、はたまたそれで故障などしたとなれば球団は選手から莫大な保証金を要求されてしまうことにもなりかねません。
”先発して1試合に投げる投球数は100球まで。”
そんな契約を書面で交わす外国人投手もいるそうです。
これは馬とて同じこと。
現代では、一流馬であればあるほどその後の繁殖や競走馬寿命のことを考えて馬を使うのが、また、一流ホースマンとしての常識となっているのでありましょう。




また、話は変わりますが、現代は、今この瞬間にもさらに加速度的に情報がどんどん一般大衆にまで溢れ返る時代となり、誰もが賢者の知識を持ち合わせ、そして圧倒的なボリュームでさなざまなところから評論されることを常に覚悟しなければならない時代。
特に世間一般に注目を浴びるような役どころに身を置いている人間は、それが言えるでしょう。
競馬の調教師も然り。
もうすでに、曖昧なニュアンスの言葉に真実を偽ったり、世間一般のモラルに反するいいかげんなことはできない時代なのです。
それが良いことなのか、それともそうでないのかはここで私の口からは一概には言えませんが。。。
我々一般社会においても、速やかに状況を把握し、冷静にリスクとメリットを分析して、目の前の欲に囚われない最善の判断を下せることが現代の成功者するリーダーの共通した特長であるように思います。
まさにそういった意味においても、今回のダイワスカーレット陣営の関係者の方々の判断は高い評価をしてよいのかも知れません。


また、これ(こういった人間が高い評価を受ける社会)は、全ては”デジタル化社会”に象徴されるような、キッチリとしたルールに基づいて全てがおこなわれなければならないと考えられる契約社会が強化され続けているということでもあります。
今後、前時代的なアバウトでアナログチックな人間は、どんどん淘汰されていってしまうのかも知れません。
いまや、会社の労働時間もコンピューターで分単位に管理され、給料も細かなルールに則って付けたり切ったり1円単位で計算され、はたまた弁当屋の御飯の量も値段によって秤で量られる時代(笑)なのです。
これは民主主義社会の基本である平等論から来るもの。
損をする人間がいてはならない、泣きを見る人間がいてはならないということなのでしょう。
法律。。。契約。。。
弁当屋の御飯の量の話はどうでもよいとしても、社会を動かすような大きなお金の問題や一般の人々の生活に係わるような問題、犯罪などに巻き込まれてしまった人々の問題を考えた時、それはどうしても避けて通れない部分。
逆に言えば、そういったモノを通さなければ、もはやこんなに溢れ返るほどの大勢の人間が上手く折り合って暮らせなくなってしまっている社会。。。とも言えるのかも知れません。
そればかりでも、なにか寂しい気もしますが。。。
・・・とはいえ、自分が弱者の立場になったならば、頼るところはそういうところになってきてしまうのでしょうね。
あまりにもギスギスとした契約だけの社会もどうかとも思いますが。。。
人間って本来、そういう風にはキッチリとできていないと思いますし。




そんなことを考えているようなこの私は、ダメ人間なのかなぁ~(笑)。
でもやはり、そういったことがキッチリとできて、またドライに管理できる人間が、現代では信頼される優秀なリーダーと呼ばれる人達なのでしょうね。
私だったら、こんな馬を持っていたら絶対このレースは走らせたでしょうね。(笑)
こんなチャンス、めったにないでしょうし。。。
とにもかくにも、このダイワスカーレットの関係者の方々のオークス回避の英断が、今後のこの馬にとって最善の判断であらんと願いたいですね。
本当にそれが正しかったのかどうかは、神のみぞ知る???






それでは、また。







最新の画像もっと見る