金曜日は、高知で黒船賞。
名古屋から高知まで、日帰り競馬は可能か調べてみた。
名古屋競馬場前
06:20
|
| (あおなみ線)
↓
06:32
名古屋
06:50
|
| (新幹線のぞみ97号)
↓
08:27
岡山
08:40
|
| (高速バス・龍馬エクスプレス)
↓
11:06
高知駅前
11:15
|
| (送迎バス)
↓
11:40
高知競馬場
結果は見ての通り、十分可能。
乗り換えさえスムーズなら、3レースから参戦できる。
帰りも調べたが、最終レースまで楽しんでも、名古屋駅までならばその日のうちに帰って来られる。
まさかそこまでする人間など(私以外に?)いやしないだろうが、一応可能だということがわかった。
日本も狭くなったものだと思う。
もちろん飛行機を利用すれば、もっと早いに違いない。
だた問題となってくるのが、金銭の問題。
飛行機を利用しなくても、片道約15000円掛かる。
往復で30000円だ。
これは、誰もそう簡単には出せる金額ではないだろう。
ましてや日帰り。
有名店で美味いもんを食べられるでもなし、ゆっくり桂浜を堪能できるでもなし、むしろ2泊3日などで観光がてらと考えた方がよほど有意義な旅ができるというもの。
ただ今週末、世間一般では金曜日から3連休ということらしい。
わがままを言わなければ、今からでも宿の予約は十分間に合う。
天候がいささか心配ではあるが、今の時期の高知は一番暖かさを感じられるいい時期ではないか。
私自身そんな旅も、たまにはしてみたいと思う。
まあ今の私にはそんな優雅な旅は到底できないのではあるが、ただ休みが取れたならば、もしかしたら日帰り旅行ならば敢行していたかも知れない。
往復30000円?
いや、競馬の旅打ちは”タダ旅行”になる可能性だってあるのだから。
現に去年の高知競馬参戦では、最終レースに11万馬券を的中させてタダ旅行になった。
もちろん、まるで北海道一周旅行ができてしまうくらいに経費がかかる最悪の可能性もあり、リスクは大きい。
でももし、たとえ名古屋競馬場で黒船賞の場外発売を買うにしても、下手をしたら一日30000円くらい負ける事だってあるのだ。
ものは考えよう。
リスクがあればあるほど、競馬はスリリングなものとなる。
もちろんそれには人なりの限度と程度があって、家計簿が破産してしまうようなことがあってはならないのではあるが。
また、そういう状況に立って初めて見えてくるものもある。
複勝買い。
一点買い。
総流し。
ワイドBOX。
普段ではとても考えられない滑稽に思えるような買い方でも、その価値や盲点がはっきりと意識できたりする。
それだけではない。
刻一刻と変化する自分の置かれている状況の判断。
自分の強さ。
自分の弱さ。
自分でも知らなかった自分。
それらに気付く。
そんな競馬も、たまにはいい。
賭ける・・・・・ということ。
それは生きていく活力であるように思う。
賭けることがなくなってしまっては、人生はいかにつまらない味気ないものになってしまうことか。
人間は”安定”といったものを求めるのと同時に、常に何かしら身の丈以上の希望や夢といったものを持つ。
当然、それらを手に入れるにはリスクが必要だ。
だから、人間は賭ける。
そして懸ける。
過去の偉人たちの足跡を辿れば、必ずや何かを賭けているのが分かる。
そして何かしらを手に入れたのだ。
人生を懸ける。(賭ける)
一生を懸ける。(賭ける)
命を懸ける。(賭ける)
名誉を懸ける。(賭ける)
ギャンブルは”お金”を賭けるものであるから、少々ネガティブなイメージがどうしても付いて回る。
でもこの”賭ける”という行為の、根底にあるものは何も変わらない。
それは、自身が失いかけている生きていくための原動力を呼び覚まそうとする本能的な行為なのではないか。
安定だけを求め、何も賭けることない人生は、心に老いを生んでゆくだけのように思う。
もしかしたら、自身が生きているという証をたてる事こそが、この”賭ける”という行為なのかも知れない。
そんな風に思う。
ただ、だからギャンブルをしなければならないなんてことはない。
むしろ自分自身の人生に賭けるものがある人間は、逆にギャンブルなんか興味ないのかも知れない。
でも、世の中誰もが、そんな風に生きられるわけじゃない。
知恵も経験も、勇気も足りない。
守るべきものが多ければ多いほど、なかなかそんな風には生きられないものだ。
だから、たまにはわずかなお金を賭けて、明日への活力を呼び覚ます。
それが競馬。
たかが競馬。
されど競馬。
賭け続けること。
きっと、それは忘れてはならないこと。
まだ死んじゃいない・・・・・。
そうだろ?
賭けるチップは、まだ手の中にあるはずだ。