今借りている住居を今月末に引き払い1月末の帰国日までの間はホテル暮らしをすることにした。 ゴルフクラブとテニスラケット以外はほとんど日本に持ち帰るものがないのでたまってしまった身の回りのガラクタの処分を始めている。6年間も上海に暮らしているとそれなりに身の回りの品が増えている。少しずつ部屋のガラクタが減ってゆくのは心地良い。
先週は日本からの出張者が重なり、ほとんど現役を退いていた私が出張者を連れて中国企業の顧客を訪問することになった。その企業の担当者は流暢な英語を話す中国人だった。私は数年前にその担当者と会っているがそのときは英語で会話した。ところが、今回は英語での会話が成り立たない。私の口から英語が出てこないのである。もどかしい。長いあいだ英語を話す機会がなかったので歌を忘れたカナリア状態になってしまったのだ。結局、英語と中国語を織り交ぜてなんとかその場を凌いだ。日本に帰国すれば、今少しは話せる中国語もできなくなってしまうのだなあ。 というより、最近はnative languageである日本語ですら言葉に詰まることがある。要は言語中枢が経年劣化しているのである。 年取るのは仕方ないねと素直に受け入れるとどんどん老け込んでゆくから少し抵抗してみるか。
先週は日本からの出張者が重なり、ほとんど現役を退いていた私が出張者を連れて中国企業の顧客を訪問することになった。その企業の担当者は流暢な英語を話す中国人だった。私は数年前にその担当者と会っているがそのときは英語で会話した。ところが、今回は英語での会話が成り立たない。私の口から英語が出てこないのである。もどかしい。長いあいだ英語を話す機会がなかったので歌を忘れたカナリア状態になってしまったのだ。結局、英語と中国語を織り交ぜてなんとかその場を凌いだ。日本に帰国すれば、今少しは話せる中国語もできなくなってしまうのだなあ。 というより、最近はnative languageである日本語ですら言葉に詰まることがある。要は言語中枢が経年劣化しているのである。 年取るのは仕方ないねと素直に受け入れるとどんどん老け込んでゆくから少し抵抗してみるか。
前回のブログでテロは経済格差がひきおこしていると簡単に言ってしまったが経済的側面の他に宗教というものも無視できない。今日はその観点から
またアメリカで銃乱射事件が起きた。 射殺されたイスラム教徒である犯人の自宅から大量の爆弾が発見されたので、いま世界中を震撼させているテロ世界ネットワークのISと関連があるのかもしれない。いずれにしても物騒なことである。
イスラム教徒を十把一絡げにして イスラム教徒=テロ集団 とする考え方は、良き市民である大多数のイスラム教徒に対して大変失礼であり、テロと無関係なイスラム教徒へ危害がおよぶことがあってはならない。決してそのようなことがあってはいけない。
とはいうものの、最近世界を混乱に陥れているのは、イスラム教徒 vs 世界の構図のように見える。いっけん。
しかしわたしの見立ては少し違う。宗教について、話せば長くなるのでまた別の機会に詳しく論じてみたいが、宗教の力&恐ろしさというものは非常に大きなパワーがある。それが一神教の場合は特にそうである。悪い方向にむかうと大変なことになる。 端折っていってしまえば、いま世界で起きているテロ事件は、お互いに妥協を許さない イスラム教 vs キリスト教 の兄弟対立ではないかと思います。 もひとつ端折っていってしまえば、この世界の混乱を救えるのは、いい加減な矛盾を内包した多神教のひと=アジア人ではないかと思うのです。そのうち日本でテロがおきるのではないかと警備をどうするか考えることよりも、もっと大きな観点から多神教の日本人が世界平和に貢献するときではないでしょうか。
またアメリカで銃乱射事件が起きた。 射殺されたイスラム教徒である犯人の自宅から大量の爆弾が発見されたので、いま世界中を震撼させているテロ世界ネットワークのISと関連があるのかもしれない。いずれにしても物騒なことである。
イスラム教徒を十把一絡げにして イスラム教徒=テロ集団 とする考え方は、良き市民である大多数のイスラム教徒に対して大変失礼であり、テロと無関係なイスラム教徒へ危害がおよぶことがあってはならない。決してそのようなことがあってはいけない。
とはいうものの、最近世界を混乱に陥れているのは、イスラム教徒 vs 世界の構図のように見える。いっけん。
しかしわたしの見立ては少し違う。宗教について、話せば長くなるのでまた別の機会に詳しく論じてみたいが、宗教の力&恐ろしさというものは非常に大きなパワーがある。それが一神教の場合は特にそうである。悪い方向にむかうと大変なことになる。 端折っていってしまえば、いま世界で起きているテロ事件は、お互いに妥協を許さない イスラム教 vs キリスト教 の兄弟対立ではないかと思います。 もひとつ端折っていってしまえば、この世界の混乱を救えるのは、いい加減な矛盾を内包した多神教のひと=アジア人ではないかと思うのです。そのうち日本でテロがおきるのではないかと警備をどうするか考えることよりも、もっと大きな観点から多神教の日本人が世界平和に貢献するときではないでしょうか。