今更書くまでもないことだが、今日は「終戦記念日」とか。二重の意味でまやかしの日である。
ひとつは敗戦を終戦というあいまいな言葉で置き換えていること、もうひとつは日本がポツダム宣言の受け入れを決定した日でも受諾を連合国に通知した日でも協定に調印した日でもない8月15日が「記念日」となったことだ。
天皇が玉音放送をしたというだけの日が日本の戦前と戦後を分けているという理解そのものが、天皇制の呪縛と戦前と戦後の連続性を象徴しているといえるのかもしれない。
「8.15革命」という形容矛盾な言葉にこのことは象徴的に現れている。
ひとつは敗戦を終戦というあいまいな言葉で置き換えていること、もうひとつは日本がポツダム宣言の受け入れを決定した日でも受諾を連合国に通知した日でも協定に調印した日でもない8月15日が「記念日」となったことだ。
天皇が玉音放送をしたというだけの日が日本の戦前と戦後を分けているという理解そのものが、天皇制の呪縛と戦前と戦後の連続性を象徴しているといえるのかもしれない。
「8.15革命」という形容矛盾な言葉にこのことは象徴的に現れている。
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