もう結構経ってしまったが、6月に吉川弘文館から発売された
長谷川亮一著『地図から消えた島々』
という本が大変面白かった。
「中ノ鳥島」という島を知っているだろうか。この島は1908年に日本領であることが宣言されたにもかかわらず、1946年に島が実在しないとして、海図から抹消されてしまったという島である。この本は、このような存在が疑われ地図から消されてしまった、日本近海のいわば「幻の日本領」とでも言うべき「疑存島」について取り上げた一冊である。
もちろん最終的に存在が疑われたといっても、一度は海図等に記載されたものである以上、誰かが「発見(を少なくとも主張)」したわけで、そういった意味で言えば、海洋探検家たちのロマンがつまった一冊であるといえるかもしれない。
しかし、本書に通低して流れているのはそのような「探検のロマンと帝国主義的な欲望との差は紙一重(あとがきより)」であるという著者の認識である。本書は明治維新以後、一獲千金を夢見て南方に進出していった日本人たちの歴史であるわけだが、例えばそれが乱獲によるアホウドリの激減を招いたり、また、本書のテーマでもある「疑存島」を多く生み出すようなかなりアヤシイ詐欺話まがいのものを生みだして行ったことを本書は教えてくれる。一見「ロマン」にあふれているように思える、明治期の日本人達の南洋進出をテーマにしながらも、それと当時の帝国主義的な拡大が分かちがたく結びついていることを本書は示している。
また、本書では少し触れるだけにとどまっているがリアンクール列岩(独島/竹島)や尖閣諸島/釣魚台列嶼の問題についても、本書を読んだ後だと、また違った思いを抱かざるをえない。すなわち、それらの島々の日本への「編入」がいかに正しく行われたものであったとしても、本書に出てくるような島々との比較でみると、その実際の手続きはかなり怪しく、多分に帝国主義的な拡大の動機の下に行われたということは否定しがたいように思える。
なお、本書は筆者が運営しているウェブサイト「望夢楼(ぼうむろう)」の中の「幻想諸島航海記」というコーナーを書籍化したものである。本書はクロノロジカルな記述となっているが、ウェブサイトでは各島ごとにエピソードが整理されている。あわせて読むことで理解が進むと思われる。
長谷川亮一著『地図から消えた島々』
という本が大変面白かった。
「中ノ鳥島」という島を知っているだろうか。この島は1908年に日本領であることが宣言されたにもかかわらず、1946年に島が実在しないとして、海図から抹消されてしまったという島である。この本は、このような存在が疑われ地図から消されてしまった、日本近海のいわば「幻の日本領」とでも言うべき「疑存島」について取り上げた一冊である。
もちろん最終的に存在が疑われたといっても、一度は海図等に記載されたものである以上、誰かが「発見(を少なくとも主張)」したわけで、そういった意味で言えば、海洋探検家たちのロマンがつまった一冊であるといえるかもしれない。
しかし、本書に通低して流れているのはそのような「探検のロマンと帝国主義的な欲望との差は紙一重(あとがきより)」であるという著者の認識である。本書は明治維新以後、一獲千金を夢見て南方に進出していった日本人たちの歴史であるわけだが、例えばそれが乱獲によるアホウドリの激減を招いたり、また、本書のテーマでもある「疑存島」を多く生み出すようなかなりアヤシイ詐欺話まがいのものを生みだして行ったことを本書は教えてくれる。一見「ロマン」にあふれているように思える、明治期の日本人達の南洋進出をテーマにしながらも、それと当時の帝国主義的な拡大が分かちがたく結びついていることを本書は示している。
また、本書では少し触れるだけにとどまっているがリアンクール列岩(独島/竹島)や尖閣諸島/釣魚台列嶼の問題についても、本書を読んだ後だと、また違った思いを抱かざるをえない。すなわち、それらの島々の日本への「編入」がいかに正しく行われたものであったとしても、本書に出てくるような島々との比較でみると、その実際の手続きはかなり怪しく、多分に帝国主義的な拡大の動機の下に行われたということは否定しがたいように思える。
なお、本書は筆者が運営しているウェブサイト「望夢楼(ぼうむろう)」の中の「幻想諸島航海記」というコーナーを書籍化したものである。本書はクロノロジカルな記述となっているが、ウェブサイトでは各島ごとにエピソードが整理されている。あわせて読むことで理解が進むと思われる。
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