つらねのため息

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翁鬧「東京郊外浪人街 高圓寺界隈」

2019-05-03 23:39:00 | 読書
荻原魚雷さんのブログ「文壇高円寺」の「戦前の高円寺」と題するエントリーの中で、昭和十年代に高円寺に暮らし、モダニズム小説を発表していた翁鬧という台湾人作家の「東京郊外浪人街 高圓寺界隈」という作品が紹介されていた。ちょっと興味がわいたので図書館から同作が収録されている星名宏修(編)『日本統治期台湾文学集成5 台湾純文学集1』(2002年、緑蔭書房)を借り出してきた。

「東京郊外浪人街 高圓寺界隈」の出だしはこんな感じだ(なお、引用に当たってはできるだけ原文に忠実に引用したが、文字化けなどの関係で一部新字体に改めたほか、ルビ、傍点などを省略している)。

--以下引用--

 新市内に編入されたとはいへ、高圓寺はまだ何といつても郊外の感が深い。新宿からこちら、大久保、東中野とお上品な文化住宅區域を出外れて、大東京の土俵ぎはを想はせる中野からこの處まで来ると、一足飛びに全然異なつた雰囲気に捲き込まれる。第一街の構造からして皆悉違ふ。路幅が狭く、歩道といふものがなく、人と車と小競り合ひをしながら歩かねばならぬ。此の街の體裁は此處からずつと西の方、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺とまで続く。併しそれらの街々の落付いてゐて如何にも郊外住宅地といつた感じが濃いのに較べて、こゝ高圓寺何とざわさわして浪人風情の人士の多いことか。

--引用終わり--

現在の我々が抱く高円寺のイメージが、この頃、すでにできていたことに驚く。ちなみに「浪人風情の人士の多い」理由はより新宿に近い街だと「生活程度が高く」、より西に行くと新宿へ出るのに電車賃がかかるためだという。今に続く高円寺の雰囲気というのは東京の西への拡大、とりわけ新宿の発展によっていたことがわかる。この高円寺の変化について翁鬧は以下のように記している。

--以下引用--

 六七年前までは-當時僕はこゝに居たわけではない。聞いたのだ-驛に立てば一望遮ぎる家並とてはなく、ずつと遠い田舎の畠まで眺められたさうだが、大東京の擴張と共に市内に編入されてから目ざましい蕟展を遂げて、今では驛からものゝ二十分も歩かなければ畠なぞは見られず、街のネオンサインもいと鮮やかに青春の血潮を湧き立たせるのに充分である。

--引用終わり--

「東京郊外浪人街 高圓寺界隈」の初出は台湾文芸連盟による『台湾文芸』第2巻第4号である。この号は1935(昭和10)年4月1日に発行されている。それから6,7年前という記述からも、高円寺など中央線沿線の発展が関東大震災以後、昭和初期のことであったことがわかる。井伏鱒二が「関東大震災がきっかけで東京も広くなったと思うようになった(『荻窪風土記』(新潮文庫版)13頁)」と荻窪に引っ越してきたのが1927(昭和2)年であった。この時期に中央線沿線は東京の拡大に伴って発展してきたのであろう。
ところで、1935年ともなると、日中戦争まで2年、軍靴の足音も高くなっているころのように思われるが、翁鬧の描く高円寺には、まだまだモダンな雰囲気がある。

--以下引用--

 思想にも審美にも富むと謳はれる高圓寺、瓦礫も多いが優れた人士も居ないではない。玉石混淆といへば、此の涯しもないやうな東京の街でさうでない處はなかろうが、それがこの高圓寺では一入身に沁みて感じられる。男女の學生、サラリーマン、ウエートレス、ダンサー、巴里歸りらしい畫家、おかつぱの文學青年、眼色の變つたアヴエツクのエトランゼエ、酔漢等々、寔に肩摩轂撃も啻ならぬ人浪に揉まれながら夕食後なぞ長い街を漫ろ歩いてゐると、殆ど毎日の様に出くはす文士が二人ある。新居格氏と小松清氏だ。

--引用終わり--

新居格はアナキストで作家。戦後、民選初代の杉並区長にもなる人物だが、既に高円寺の顔であったらしい。翁鬧は新居格について続ける。

--以下引用--

 高圓寺界隈の文士連の親分は何といつても新居格氏だ。彼の別名は高圓寺まるたし候。ステツキを持つて、黒いソフトを被つて、ぶらりぶらりと街をへいげいしながらてくつてゐる姿は、高圓寺の一風景たるを免れない。活動の番組が替はる毎に高圓寺館へ観にやつて来る。尤もそれはロハで、殊にチヤンバラが好きだとか。新居格氏とレーンボー、これは縷々ゴシツプにのぼる様だが、毎晩レーンボーで頑張つて居れば、三度に一度は新居先生に逢へること請合ひ。それほどレーンボーはあつさりした気の隔けない喫茶店だ。
「先生のゴーリキイの四十年を讀んだことがあります。」
 或晩レーンボーで新居先生に會ふと唐突僕は言つたものだ。
「へへゝ。」
と、先生は笑つて黒のソフトをちょこなんと阿彌陀被つた。あの何事にも物怖ぢしない、一見鈍重な舉動のいつたいどこに文壇随一の敏感な神經が宿つてゐるのであらう?

--引用終わり--

以下、当時の高円寺での文士たちの生活ぶりやバーや喫茶店などが描かれ、翁鬧自身も登場する。戦前の高円寺の雰囲気が伝わってくる小品だ。

参考:文壇高円寺「戦前の高円寺」

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