つらねのため息

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経済制裁考

2004-12-23 00:00:00 | 日本のこと
世のマスコミが報道するところでは「北朝鮮」に対し経済制裁を発動するべきだとの「世論」が高まっているとのことだ。自分たちが散々煽っておいて、その結果作り上げられたものを「世論」だと報道するマスコミの姿勢自体が、決して中立なものではないことも指摘されるべきだが、それはここでは大きな問題ではない。

まず問題だと思うのは「拉致被害者家族の気持ちを思えば」制裁もやむをえないというような論調が一部にあることだ。別に彼らの気持ちを全く無視してよいというつもりはないが、彼らの意見で国政が動くようならそれはそれで問題だ。代議制民主主義の根幹は政治を行なうエリートを人民が選挙で選ぶことにある。だから民主主義国である以上、政治決定は政治家が行なうべきなのであって、選挙の洗礼を経ていない人の意見は絶対ではない。拉致被害者家族の意見はあくまで一つの圧力団体の意見に過ぎない。それによって全てが決まってしまうのであれば、この国は「将軍様」の一言で全てが決まってしまう国と何一つ変わらないということになってしまう。

第二に、嘘をつかれたのだから怒るべきだという論調があることも問題だろう。政治は応報ではない。ひどいことをされたのだから懲らしめねばならないというのでは、そこらの喧嘩と同じである。政治は物事を解決しなければならないのであって、喧嘩することが目的ではない。それはこの場合も同じだろう。ひと時の感情に流されて経済制裁をやってもその結果が付いてこなければ何の意味もない。それでは追い詰められたからとりあえず暴れたという太平洋戦争と同じである。核問題とか安全保障の問題とか以前に、そもそも経済制裁をやって、どういう効果があるのかという議論がいまいち稀薄な気がしてならない。

その意味で経済制裁によって本当に金正日政権が困るのかという問題がある。確かに経済制裁によって一時的には困るだろうが、鎖国化がさらに進むことによって結局そのしわ寄せは北朝鮮人民にいき、あの社会主義の末席にも加えられないような体制が長続きするという、はなはだよろしくない結果を迎えるような気がしてならない。東アジアの安定とかそういう難しいことは政治家や政治学者に考えてもらえばいいので、純粋に拉致をやるような体制はけしからん、早く崩壊しろと思っている人間の目から見れば、経済制裁によって人的、物的な交流が途絶えることは、北朝鮮2000万人民がさらにあの独裁のもとで苦しむという以上のことを意味しないような気がする。拉致問題の「最終解決」はあの体制が崩壊し民主主義がかの国に定着することによってしかなされないのであり、それには今あの独裁の下で苦しんでいる人々を助けることが何よりも必要なはずである。そのためにはむしろ、がんがん援助を送るぐらいのことをしたほうがよいのではないだろうか。

拉致事件というものだけを考えるとあたかも外交ゲームのアクターが日本政府と北朝鮮政府の二つだけのように見えてしまい、相手は「将軍様」しかいないような気がしてしまうが、あの国にも国民が居るという事実を忘れてはならない。もし、少しでも拉致事件に怒っているのなら、その人は何よりもあの国の中にいる同志との連帯を考えてしかるべきだ。

拉致に怒る人々の目から北朝鮮2000万の人民が捨象されているのと同様に、そこでは日本にいる60万の「在日」という人々の存在が忘れ去られている。しばしば忘れられてしまうが万景峰号は別に金正日政権が私服を肥やすためにつくった船ではなく、「在日」の人々が「祖国」との連絡用につくった船だ。日本人は拉致に怒る前に、ちょっとでも、なぜあの国と連絡を取らねばならない「在日」の人々がこの国にいるのかを考える必要がある。およそ全ての犯罪がそうであるように、植民地支配も、拉致も比較考量出来るものではないが、両国の間には金正日政権が全て悪いというだけでは片付かない問題があることは確かである。また、そもそもなぜ半島が分断されているのか、なぜあんなへんてこりんな国が存在しているのかということを考えてみる必要がある。もちろんその全てを日本の植民地支配に帰することは出来ないが、それがなければ、歴史は全く違った展開になったことも確かである。

日本国民みんなが金正日と外交ゲームをしなければいけないわけではない。そういう難しいことは政治化に任せておけばよいのだ。この国に1億2千万の国民がいるのと同様に、あの国にも2千万の国民がいるのだ。ぼくらが対話しなければならないのは、誰よりも彼ら北朝鮮人民のはずである。

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