八丈島の西約7.5 kmのところに八丈小島という面積3.08平方キロメートルという小さな島がある。この島は現在無人島であるが、かつては島の北西部に鳥打、南東部に宇津木という2つの村があった。このうちの一つ宇津木村という村は、日本の地方自治を考えるにあたって、非常に重要な村なのである。
1888年(明治21年)に市制及び町村制が施行され、また、1908年(明治41年)、八丈島の各村に島嶼町村制が施行されたが、東京都八丈支庁の『事業概要』によると、八丈小島の宇津木・鳥打両村には施行されず、名主各1人が置かれた。というのも、この2つの村は人口が非常に少なく、宇津木村の人口は50~60人程度であったためである。
1947年(昭和22年)10月、地方自治法の施行により、宇津木・鳥打両村も普通地方公共団体として執行機関と議決機関を有するようになった。
しかし、宇津木村は地方自治法第94条の規定により、条例で議会を置かず、選挙権を有する者の総会で審議処理したという。すなわち直接民主制が実施されていたわけである。
――参考――
地方自治法 第九十四条
町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。
――終わり――
この町村総会、第153回国会総務委員会第12号平成13年11月27日(火曜日)における芳山達郎政府参考人(総務省自治行政局長)の発言によると、地方自治法施行後ではこの東京都八丈支庁管内宇津木村が唯一の例であるという。ちなみに同発言によると宇津木村の人口は「六十一人、有権者数三十人ぐらい」とのこと。また、戦前の町村制が施行されていた当時を含めても、他には神奈川県の足柄下郡芦之湯村、現在の箱根町の一部でもうけられていた事例があるだけとのこと。
ところが、この現行地方自治法下では唯一の町村総会である、宇津木村の村民総会、実際にいつからいつまで実施されていたのかは、なかなか難しいのである。
前述のとおり、八丈支庁の『事業概要』には1947年(昭和22年)の「10月、地方自治法の施行により、宇津木・鳥打両村も普通地方公共団体として執行機関と議決機関を有するようになった」とあるので、普通に考えればこの際に議決機関として村民総会がおかれたと考えるのが妥当である。同『事業概要』によると、その後、1955年(昭和30年)の「4月1日、八丈村・大賀郷村・宇津木村が合併し、八丈町となる」とあるので、この間の8年弱、現行法下で唯一の直接民主主義の実験、宇津木村の村民総会は開かれたことになる。
ところが、総務省の第29次地方制度調査会第11回専門小委員会次第によると、「昭和26年4月から町村総会を設けておりましたが、昭和30年4月に八丈町に編入された」という総務省の事務局からの発言がある(ちなみに同発言によると宇津木村の「人口が65人、有権者数が38人」)。
ということは、1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)の4年間は宇津木村にも議会があり、1951年(昭和26年)4月にこの議会を廃止して村民総会を設けたということなのであろうか。
こちらの「誰か昭和を想わざる」というサイトのなかの「青ヶ島SOS」という文章にこんな記述がある。
――以下引用――
なお宇津木村に関しては昭和26年4月1日に村議会を廃止し、4月6日にこの届出が八丈支庁に届いて明らかになった。宇津木村はこの時点では12戸60人、村議改選で誰も出馬せず、地方自治法94条で村議会を廃止としたのだった。これ以降、宇津木村では有権者30人で村民総会を開き、そこでの決定を村議会の代わりとする事にした。
――引用終わり――
これだけでは確かなことは言えないが、「1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)の4年間は宇津木村にも議会があり、1951年(昭和26年)4月にこの議会を廃止して村民総会を設けた」という推測にはかなり現実味がある様な気がする。
今後も機会があれば、さらに詳しく調べてみたい。
1888年(明治21年)に市制及び町村制が施行され、また、1908年(明治41年)、八丈島の各村に島嶼町村制が施行されたが、東京都八丈支庁の『事業概要』によると、八丈小島の宇津木・鳥打両村には施行されず、名主各1人が置かれた。というのも、この2つの村は人口が非常に少なく、宇津木村の人口は50~60人程度であったためである。
1947年(昭和22年)10月、地方自治法の施行により、宇津木・鳥打両村も普通地方公共団体として執行機関と議決機関を有するようになった。
しかし、宇津木村は地方自治法第94条の規定により、条例で議会を置かず、選挙権を有する者の総会で審議処理したという。すなわち直接民主制が実施されていたわけである。
――参考――
地方自治法 第九十四条
町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。
――終わり――
この町村総会、第153回国会総務委員会第12号平成13年11月27日(火曜日)における芳山達郎政府参考人(総務省自治行政局長)の発言によると、地方自治法施行後ではこの東京都八丈支庁管内宇津木村が唯一の例であるという。ちなみに同発言によると宇津木村の人口は「六十一人、有権者数三十人ぐらい」とのこと。また、戦前の町村制が施行されていた当時を含めても、他には神奈川県の足柄下郡芦之湯村、現在の箱根町の一部でもうけられていた事例があるだけとのこと。
ところが、この現行地方自治法下では唯一の町村総会である、宇津木村の村民総会、実際にいつからいつまで実施されていたのかは、なかなか難しいのである。
前述のとおり、八丈支庁の『事業概要』には1947年(昭和22年)の「10月、地方自治法の施行により、宇津木・鳥打両村も普通地方公共団体として執行機関と議決機関を有するようになった」とあるので、普通に考えればこの際に議決機関として村民総会がおかれたと考えるのが妥当である。同『事業概要』によると、その後、1955年(昭和30年)の「4月1日、八丈村・大賀郷村・宇津木村が合併し、八丈町となる」とあるので、この間の8年弱、現行法下で唯一の直接民主主義の実験、宇津木村の村民総会は開かれたことになる。
ところが、総務省の第29次地方制度調査会第11回専門小委員会次第によると、「昭和26年4月から町村総会を設けておりましたが、昭和30年4月に八丈町に編入された」という総務省の事務局からの発言がある(ちなみに同発言によると宇津木村の「人口が65人、有権者数が38人」)。
ということは、1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)の4年間は宇津木村にも議会があり、1951年(昭和26年)4月にこの議会を廃止して村民総会を設けたということなのであろうか。
こちらの「誰か昭和を想わざる」というサイトのなかの「青ヶ島SOS」という文章にこんな記述がある。
――以下引用――
なお宇津木村に関しては昭和26年4月1日に村議会を廃止し、4月6日にこの届出が八丈支庁に届いて明らかになった。宇津木村はこの時点では12戸60人、村議改選で誰も出馬せず、地方自治法94条で村議会を廃止としたのだった。これ以降、宇津木村では有権者30人で村民総会を開き、そこでの決定を村議会の代わりとする事にした。
――引用終わり――
これだけでは確かなことは言えないが、「1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)の4年間は宇津木村にも議会があり、1951年(昭和26年)4月にこの議会を廃止して村民総会を設けた」という推測にはかなり現実味がある様な気がする。
今後も機会があれば、さらに詳しく調べてみたい。
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