虹霓社から復刊された新居格の『杉並区長日記』を読む。作家、評論家でありアナーキストで生協運動家だった新居格が初代民選杉並区長になって何を考えたのか、その思索の跡が見える一冊。
本書を一読してまず思うのは戦時下の抑圧に不遇をかこっていた自由人の新居が、経済的な困難のなかでも日本国憲法のもとで理想を実現しようとする姿勢である。例えば新居は「理想を如何にこの地上に実現するかの努力が、あるべき政治の要諦ではないかと思うのである。だから、どんなに今の現実は痛ましくも、悲劇性をもっていても、わたし共はそれが故に却って逆に理想の炬火をかかげたいような気がする(46頁)」というように語っている。
その「理想」はまずは民主主義であり、しかも新居はそれを地域から、草の根から実現しようとした。裏表紙にも抜粋されている「天下国家をいうまえに、わたしはまずわたしの住む町を、民主的で文化的な、楽しく住み心地のよい場所につくり上げたい。日本の民主化はまず小地域から、というのがわたしの平生からの主張なのである(9頁)」というフレーズがやはり印象的である。
また、こうした「まずは小地域から」の姿勢の背景には新居の個人主義があるように読める。「民主主義の基本は、なんといっても各個人が民主化することにある。そしてそれには個性の確立が前提条件である。いいかえると、個性の確立、個人の民主主義的自覚なくしては民主化の実体はありえない。
民主主義は個人の民主化から、つぎに家庭から、隣近所から、部落から、村や小さな町からといった風に、小地域から確立してゆかねばならない(87-88頁)」と新居は語る。
こうした視点に立脚した新居の民主主義観は確かであり、「区議会は区民たちの生活に身近なものを協議するところだのに、きけば傍聴人は少ないし、ときにはないという。区民たちはいつ区議会が開かれるのか、そこにどんな風に協議がもたれているのかわからなかった。わたしはそれではいけないから、まず区議会のある日を区民一般にわからせる方法をとること、傍聴券をより多く発行してもらう。傍聴者が場内にあふれるようなら、拡声器を備え付けて戸外でも傍聴できるようにしたい(42頁)」というような個所など、まるで現代の議会改革にも通じるような問題意識である。
また、「この地区には学者、文化人、知識人が多く在住しているのであるから、わたしはゲーテや、シラーや、ヴィーラントやリストの住んでいたワイマールのような芸術的香気の高い地区にしてみたいと夢見た(211頁)」という「杉並を日本のワイマールに」ということばも有名であるが、そのなかに図書館や音楽堂、劇場などの構想だけでなく広場の構想があることに注目したい。新居は「駅頭が広場であってほしいのは、そこを人民討論場であらしめたいからだ。人々は集まって機智と理性の討論会たらしめ、選挙のときなどは意見発表の場所とも出来るからである(108頁)」と語っている。新居が目指したのは文化の香りが高いと同時に民主主義が息づくまちであったように思う。
しかし、そんな新居の民主主義、「条理主義」は区議会や役所とはことごとくぶつかったようである。旧態依然たる助役さんが
「わたしにはこんな部屋はいらん。何なら君がここを使い給え。わたしは受付の隣に頑張るから。陣頭指揮といった言葉はミリタリスティックでいけないから使わないが、市民への親和のためにそうする。市民が来て、受付氏に区長さんいますかと訊く。その隣に小さな卓を構えているわたしは答える。
―区長かい。わたしだよ。ここにいるよ」(114頁)。
「助役さん、わたしはあなたに仕えられているのではありません。民主主義の行政においては、役所内で仕えるということもない筈です。その言葉は民衆にたいしてはともかく、役所のうちではあなたもわたしも平等なのです」(118頁)などといわれ面食らったであろうことは想像に難くない。
こうして、新居はわずか1年ほどで杉並区長を辞任するが、その新居が「杉並市構想」を持っていたのは驚きであった。新居は「これというのも、特別区として都の衛星であるのに市制を布いていないからだ。よし俺は杉並のワシントンとなって都に反旗をひるがえし、杉並市独立の旗をかかげて戦うと宣言した。それには議員一同も大賛成で、面白い、真の民選区長は区長、君だけだよ、大いにやろうということになった(200頁)」と書いている。特別区の区長公選制はその後、一時廃止され区長公選を求める長い運動ののちに復活するが、この時、杉並市が実現していたらどうだったろうか。
ところで新居は生協運動家としての顔も持つが、本書でも少しだけ生協運動について触れたところがある。
「私たちが協同組合運動を終戦後に同志と共にはじめたとき、わたしたちが一人、犯人の栄養失調を防止することが出来るなら、わたしの仕事のことなんてどうだっていいではないか、とわたしは思った。それでわたしは協同組合運動を同志と共にはじめた。その運動は経済運動であって、政治運動ではもとよりない。
だが日本の民主化のためにも、協同組合運動のためにも、政治力をもつ必要に迫られた。政治のあくまできらいな、政治といえば嘔吐を催す気味のあったわたしが、政治的蜃気楼を描き出したのだ(99頁)」。
「スウェーデンが組合国家といわれているように、私たちの居住区を組合区にしてみたい、と思った。碁盤の全面に隙間もなく布石するように、地区全面に生活協同組合を布石して、それを連合体に盛り上げ、そうすることによって完全な組合区にしたいというのが、わたしの一つのユートピアだった。ある意味からすると、わたしはそれを実現したいがために、あえて首長になったともいえるかもしれないのだ。事実、その意思はかなり実現の線に向かって行って、区内に相当数の生活協同組合が自然発生して行った(だが、それにはいろいろの原因と事情とがあって、少なからず壊滅し、残存せるものも気息奄々たるものが多い。私の夢は幻滅した)(211頁)」。
といった具合だ。ここからは新居の生協運動への並々ならぬ意欲が見て取れるが、同時に、経済すなわち私たちの日々の生活と政治が密接に結びついていること、そして生活を改善するためには政治運動が必要であるという指摘は、慧眼であると思うし、現代にも通じるところであろう。
最後に、本書でもっとも印象的なのは、新居の子どもや女性の生活へ向けられる眼差しである。例えば、
「新しい憲法はかがやかしい。それであるにもかかわらず、黒い陰影のように女性の哀史がいくらでも残存しているのは、痛ましくもまたさびしい。
わたしは、その種の例をいくらでも挙げることが出来るけれど、むしろ、今はそれと対蹠に立つ女性たちの生活を見たいのである。そしてその種の生活姿態を描いていくことがどれだけ楽しいことかわからないのだ。
もう事実上の、いかなる意味合いでもの女奴隷は一人でもあってはならない。明るい生活の女性たち、理論からいっても、実際から見ても、本当にありえていい女性たちの生活の姿がみたいものである(52-53頁)」
というような記述からもそれは読み取れる。新居が指導を受けたという吉野作造も晩年に至るまで家庭購買組合に関わり続けたが、その背景には同じような女性の生活への眼差しがあったように思う。それは同時に、民主主義の担い手としての女性への期待でもあったはずだ。
新居格『杉並区長日記ー地方自治の先駆者・新居格』(2017年、虹霓社)
本書を一読してまず思うのは戦時下の抑圧に不遇をかこっていた自由人の新居が、経済的な困難のなかでも日本国憲法のもとで理想を実現しようとする姿勢である。例えば新居は「理想を如何にこの地上に実現するかの努力が、あるべき政治の要諦ではないかと思うのである。だから、どんなに今の現実は痛ましくも、悲劇性をもっていても、わたし共はそれが故に却って逆に理想の炬火をかかげたいような気がする(46頁)」というように語っている。
その「理想」はまずは民主主義であり、しかも新居はそれを地域から、草の根から実現しようとした。裏表紙にも抜粋されている「天下国家をいうまえに、わたしはまずわたしの住む町を、民主的で文化的な、楽しく住み心地のよい場所につくり上げたい。日本の民主化はまず小地域から、というのがわたしの平生からの主張なのである(9頁)」というフレーズがやはり印象的である。
また、こうした「まずは小地域から」の姿勢の背景には新居の個人主義があるように読める。「民主主義の基本は、なんといっても各個人が民主化することにある。そしてそれには個性の確立が前提条件である。いいかえると、個性の確立、個人の民主主義的自覚なくしては民主化の実体はありえない。
民主主義は個人の民主化から、つぎに家庭から、隣近所から、部落から、村や小さな町からといった風に、小地域から確立してゆかねばならない(87-88頁)」と新居は語る。
こうした視点に立脚した新居の民主主義観は確かであり、「区議会は区民たちの生活に身近なものを協議するところだのに、きけば傍聴人は少ないし、ときにはないという。区民たちはいつ区議会が開かれるのか、そこにどんな風に協議がもたれているのかわからなかった。わたしはそれではいけないから、まず区議会のある日を区民一般にわからせる方法をとること、傍聴券をより多く発行してもらう。傍聴者が場内にあふれるようなら、拡声器を備え付けて戸外でも傍聴できるようにしたい(42頁)」というような個所など、まるで現代の議会改革にも通じるような問題意識である。
また、「この地区には学者、文化人、知識人が多く在住しているのであるから、わたしはゲーテや、シラーや、ヴィーラントやリストの住んでいたワイマールのような芸術的香気の高い地区にしてみたいと夢見た(211頁)」という「杉並を日本のワイマールに」ということばも有名であるが、そのなかに図書館や音楽堂、劇場などの構想だけでなく広場の構想があることに注目したい。新居は「駅頭が広場であってほしいのは、そこを人民討論場であらしめたいからだ。人々は集まって機智と理性の討論会たらしめ、選挙のときなどは意見発表の場所とも出来るからである(108頁)」と語っている。新居が目指したのは文化の香りが高いと同時に民主主義が息づくまちであったように思う。
しかし、そんな新居の民主主義、「条理主義」は区議会や役所とはことごとくぶつかったようである。旧態依然たる助役さんが
「わたしにはこんな部屋はいらん。何なら君がここを使い給え。わたしは受付の隣に頑張るから。陣頭指揮といった言葉はミリタリスティックでいけないから使わないが、市民への親和のためにそうする。市民が来て、受付氏に区長さんいますかと訊く。その隣に小さな卓を構えているわたしは答える。
―区長かい。わたしだよ。ここにいるよ」(114頁)。
「助役さん、わたしはあなたに仕えられているのではありません。民主主義の行政においては、役所内で仕えるということもない筈です。その言葉は民衆にたいしてはともかく、役所のうちではあなたもわたしも平等なのです」(118頁)などといわれ面食らったであろうことは想像に難くない。
こうして、新居はわずか1年ほどで杉並区長を辞任するが、その新居が「杉並市構想」を持っていたのは驚きであった。新居は「これというのも、特別区として都の衛星であるのに市制を布いていないからだ。よし俺は杉並のワシントンとなって都に反旗をひるがえし、杉並市独立の旗をかかげて戦うと宣言した。それには議員一同も大賛成で、面白い、真の民選区長は区長、君だけだよ、大いにやろうということになった(200頁)」と書いている。特別区の区長公選制はその後、一時廃止され区長公選を求める長い運動ののちに復活するが、この時、杉並市が実現していたらどうだったろうか。
ところで新居は生協運動家としての顔も持つが、本書でも少しだけ生協運動について触れたところがある。
「私たちが協同組合運動を終戦後に同志と共にはじめたとき、わたしたちが一人、犯人の栄養失調を防止することが出来るなら、わたしの仕事のことなんてどうだっていいではないか、とわたしは思った。それでわたしは協同組合運動を同志と共にはじめた。その運動は経済運動であって、政治運動ではもとよりない。
だが日本の民主化のためにも、協同組合運動のためにも、政治力をもつ必要に迫られた。政治のあくまできらいな、政治といえば嘔吐を催す気味のあったわたしが、政治的蜃気楼を描き出したのだ(99頁)」。
「スウェーデンが組合国家といわれているように、私たちの居住区を組合区にしてみたい、と思った。碁盤の全面に隙間もなく布石するように、地区全面に生活協同組合を布石して、それを連合体に盛り上げ、そうすることによって完全な組合区にしたいというのが、わたしの一つのユートピアだった。ある意味からすると、わたしはそれを実現したいがために、あえて首長になったともいえるかもしれないのだ。事実、その意思はかなり実現の線に向かって行って、区内に相当数の生活協同組合が自然発生して行った(だが、それにはいろいろの原因と事情とがあって、少なからず壊滅し、残存せるものも気息奄々たるものが多い。私の夢は幻滅した)(211頁)」。
といった具合だ。ここからは新居の生協運動への並々ならぬ意欲が見て取れるが、同時に、経済すなわち私たちの日々の生活と政治が密接に結びついていること、そして生活を改善するためには政治運動が必要であるという指摘は、慧眼であると思うし、現代にも通じるところであろう。
最後に、本書でもっとも印象的なのは、新居の子どもや女性の生活へ向けられる眼差しである。例えば、
「新しい憲法はかがやかしい。それであるにもかかわらず、黒い陰影のように女性の哀史がいくらでも残存しているのは、痛ましくもまたさびしい。
わたしは、その種の例をいくらでも挙げることが出来るけれど、むしろ、今はそれと対蹠に立つ女性たちの生活を見たいのである。そしてその種の生活姿態を描いていくことがどれだけ楽しいことかわからないのだ。
もう事実上の、いかなる意味合いでもの女奴隷は一人でもあってはならない。明るい生活の女性たち、理論からいっても、実際から見ても、本当にありえていい女性たちの生活の姿がみたいものである(52-53頁)」
というような記述からもそれは読み取れる。新居が指導を受けたという吉野作造も晩年に至るまで家庭購買組合に関わり続けたが、その背景には同じような女性の生活への眼差しがあったように思う。それは同時に、民主主義の担い手としての女性への期待でもあったはずだ。
新居格『杉並区長日記ー地方自治の先駆者・新居格』(2017年、虹霓社)
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