価値観の多様化というか、国歌に関してあります。だいたいの国歌はマーチか賛美歌のスタイルなんです。当然歌詞がついていますが、スペインの国歌である「国王行進曲」には歌詞がありません。、
また、有名な作曲家によって作られている国家もいくつかあります。
ドイツの国歌は、ヨセフ・ハイドン。オーストリアはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
バチカン国歌はシャルル・グノーによる。
シャルル・グノーは、 バッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名で、『グノーのアヴェ・マリア』と呼ばれている。バッハが生まれて150年後の作曲家がバッハの作品から新しいメロディを作る。その人間の創造力は本当に素晴らしいといつも聞いていて思う。
国歌というのは、政治体制の変化などによって国歌を改訂する場合もある。
中国の国歌のように一度変更した歌詞を元に戻したり、ロシア連邦国歌のように他のメロディーに変更した後、再びソビエト連邦の国歌に新しい歌詞を付け直したりする例もある。
先程、スペインの国歌は歌詞がないと書きましたが、イギリスの国歌とリヒテンシュタインの国歌や、フィンランドの国歌とエストニアの国歌のように、メロディーが同じですが、歌詞が違うというものもあります。
それでは、歌詞とメロディが同じものがあるのかというと、これがあるのですね。
ギリシャとキプロスの国歌「自由への賛歌」や、トルコと北キプロス・トルコ共和国の国歌「独立行進曲」です。
最後に、インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」と、バングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」はノーベル賞受賞者ラビンドラナート・タゴールの作詞作曲とある。
タゴールという人は、世界平和を希求するインドの詩聖タゴール(1861-1941)は、戯曲作家、小説家、画家、教育者、思想家としても大きな功績を残しています。
1913(大正2)年、詩集『ギタンジャリ』により、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞し、当時イギリスの圧政下にあったインドの文化の豊かさや奥深さを世界に知らしめました。
タゴールの初来日は1916(大正5)年で、彼が56歳の時でした。第一次世界大戦の悲劇を訴えるため「世界巡礼」に出かけたタゴールは、日本をその最初の目的地として選びました。5月19日に神戸に着いたタゴールは、大阪、京都、奈良、東京などを回り、9月2日まで滞在しました。その間、東京帝国大学・慶應義塾・早稲田大学・日本女子大学校で講演を行ないました。
タゴールは大正初期より、日本の文人たちの間でも広く知られており、日本女子大学の創立者 成瀬仁蔵も以前から彼の思想に強い関心を持っていました。
成瀬は初来日したタゴールに会い、日本女子大学校での講演を依頼します。
宮沢賢治の最愛の妹である宮沢トシも、講堂でタゴールの講演を聞いた学生の一人でした。
近年、タゴールと賢治の関わりが注目されています。妹トシとの頻繁な手紙のやりとりから知ったタゴールの思想は、宗派の違いを超えて宇宙の真理にふれようとする賢治の思想を、より確実なものにしたのではないかと考えられています。(日本女子大学資料より)
宮沢賢治の宗派を超えようとタゴールの影響の指摘は、確かにそうだと思いますが、妹トシとの煩雑な手紙はほとんど公開されていないと思いましたが・・・。
インドとバングラディッシュの国歌をタゴールが作詞作曲していたのは、驚きでした。