NHKテレビで4回にわたり沖縄と日本の400年の歴史を取り上げていました。その最終回は本土復帰でした。
1972年5月15日、本土復帰のその日、東京で行われた記念式典、佐藤栄作首相は「日米友好の絆」と喜びました。一方、沖縄の式典で挨拶した当時の屋良朝苗・沖縄県知事は「復帰内容は私たちの切実な願望が入っていない。これからも厳しさが続き新たな困難に直面するかもしれない」
と、厳しい未来を語っています。
当時、小学6年生だった私の記憶では、沖縄の本土復帰は喜ばしいだけのことでした。しかし、今さらですがその時既に、沖縄の人は米軍基地の存在や遅れた経済に懸念を持ち複雑な気持ちで復帰を迎えたのでした。
こんなことさえ、50才になるまで知らなかった。
そしてつい先日12月22日の毎日新聞
沖縄返還前の琉球政府行政主席選挙で、日米両政府が米軍基地を容認する保守系候補を当選させるために裏工作をしていたと伝えています。沖縄県民悲願の国政選挙への参加を餌にしたり、選挙資金をてこ入れ。その工作には当時の三木武夫外務大臣が関わっていました。クリーン三木と言われていた三木氏がです。
一体歴史の真実とは、どこにあるのだろうか。分からずとももそれを求める意志を持ち続けたい。
1972年5月15日、本土復帰のその日、東京で行われた記念式典、佐藤栄作首相は「日米友好の絆」と喜びました。一方、沖縄の式典で挨拶した当時の屋良朝苗・沖縄県知事は「復帰内容は私たちの切実な願望が入っていない。これからも厳しさが続き新たな困難に直面するかもしれない」
と、厳しい未来を語っています。
当時、小学6年生だった私の記憶では、沖縄の本土復帰は喜ばしいだけのことでした。しかし、今さらですがその時既に、沖縄の人は米軍基地の存在や遅れた経済に懸念を持ち複雑な気持ちで復帰を迎えたのでした。
こんなことさえ、50才になるまで知らなかった。
そしてつい先日12月22日の毎日新聞
沖縄返還前の琉球政府行政主席選挙で、日米両政府が米軍基地を容認する保守系候補を当選させるために裏工作をしていたと伝えています。沖縄県民悲願の国政選挙への参加を餌にしたり、選挙資金をてこ入れ。その工作には当時の三木武夫外務大臣が関わっていました。クリーン三木と言われていた三木氏がです。
一体歴史の真実とは、どこにあるのだろうか。分からずとももそれを求める意志を持ち続けたい。