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飛鳥の猿、元は鬼

2022年07月29日 14時46分18秒 | 本・セミナー
 みなさん こんにちは

 先日の飛鳥史学文学講座7月講は関西大学文学部非常勤講師の今尾文昭さんが「飛鳥猿石の誕生と変遷」と題し講演、「奈良明日香村に残る石造物猿石は鬼から猿になった」とその縁起を紹介しました。

 現在、猿石は同村内の吉備姫王墓のそばに4体置かれていてその様相から「猿石」と呼ばれています。下の写真は一般社団法人 飛鳥観光協会 のウエッブサイトから拝借しました。

 

 そのいわれは、はっきりしていません。12世紀前半ごろに成立したとされる今昔物語には、梅山古墳に立つ「石の鬼形共」として登場。1681年の林宗甫「大和名所記」にはそのすぐそばの鬼頭田の土中に埋もれた炎王の頭、法師の頭があると記述。梅山古墳から転げ落ちて石造物の半身が埋もれていたようです。さらに1697年の「犬養徳国山稜記録」にも土に埋まる「鬼の首」とされています。
 この当時は鬼の雪隠、鬼のまな板がそばにあり、その鬼こそがこの石造物だとも思われていたそうです。

 しかし、1764-80年の植村禹言 「広大和名勝志」では梅山古墳に再び置かれ、「堀出しの山王権現」として伝承されていたと記述。つまりは、石造は田から掘り出された上、山王権現の垂迹と結び付けられ、山王権現が日吉神社の別称でその使いが猿であることから、当時すでに地元では石像が「鬼」から「猿」に変わっていたことを示しています。
 それ以降は「猿」「御猿石」「庚申(かのえさる)」などとして登場。19世紀半ばにはその猿石が掘り出された10月5日に祭が行われていたことを示す記録も出てきます。完全に鬼から猿に変わりました。 

 そして明治維新期以降、梅山古墳が欽明陵墓として治定されたことから、陵墓の聖域化を図るため猿石は陵墓外の 現在地に移転させられます。そんな風に梅山古墳から転げ落ちて田に埋まり、一度掘り出された末に陵墓外に置かれた猿石ですが、さらに変遷が。終戦直後、GHQが奪いに来るのではとの風聞から、半分くらいを再度埋められた時期もあったと。はたまた、その山王権現のお祭りは今でも毎年行われているそうです。曰く因縁が続きます。

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