これが私の生きる道

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耳かき裁判

2010年11月02日 21時03分29秒 | 思うこと
耳かき従業員殺害事件の裁判で無期懲役の判決が下りました。
裁判員裁判の難しさが明るみに出た裁判だったのでは
ないでしょうか。
仮に「死刑」が妥当だと心で思っていても
それを押し通すには相当の覚悟と精神力が必要です。

「死刑」判決を下したくない裁判員がいた場合、
その人から恨まれる恐れがあります、
お前のせいで「死」の片棒を背負わされたと。
精神的に弱い人では、夢の中に被告人が現われて
寝れなくなる人も出てくることでしょう。
日給1万円程度で、その重荷を背負わされるのは
全く割に合いません。
本職の裁判長がいくら貰っているか知りませんが
それと同等の作業をさせるのは
やはりおかしいんじゃないかと。

検察も「死刑」を求めて、そうなってもならなくても
それは裁判所が決めたことだからと
ある意味、人のせいに出来ます。
彼らは「求める」までが仕事です。
「決める」とは雲泥の差があります。

日本人の特性として、証拠とか心証とかよりも
その場の空気みたいなもので
判決を決めてしまう傾向はあると思います。
自分の意見を押し通すだけのメリットは何もありませんから。
だから5人以上、理由もなく殺したとか
これはどう見ても死刑だろうっていう裁判でないかぎり
ほとんどその判決はでないことでしょう。
変な話、どうしても死刑を下したい
カリスマ性をもったサイコな人が裁判員なら
可能でしょうが。

今回死刑を回避した理由に、
被害者に恋愛感情をもち、それを拒絶されたことから殺害したが
それが極刑に値するほどの動機ではない、
というのに疑問をもちました。
こんなこと言っていたら、1日に100人は殺されていますよ、確実に。
しかも相手は自由恋愛でなくて店員さんなわけで、
そりゃ多少色目も使うでしょう。

あと、殺人を犯したことを深く後悔して、反省している、って
本当にそう思っているか、胸の内は誰にも分からないし
ましてや後悔しているから何なの、って。
お金を盗んだとか、物を壊したとかの犯罪なら
後悔させて反省させる余地もありますけど
死んだ人は一生戻ってこないわけで
後悔してもらっても何の意味もありません。

死刑を回避する大きな理由に、人の命の尊さを述べる人がいますが
その大切な人の命を粗末な理由で奪っている人を
生かしておくことにとんだ矛盾を感じます。
シンプルに考えればこれだけで争う余地はない問題だと思うんですが
結局裁判長も裁判員もつまるところ他人事というのが現実で
死刑判決を下さなかったことを責めるのは酷だとは思います。

今日朝のNHKニュースでこの裁判の裁判員の一人の方が
胸中を語っていましたが
割と容姿のいい女性で
その人をわざわざ選んだテレビ局にいやらしさを感じました。

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