フランスはLa Defenseの地下鉄駅で核爆弾攻撃の訓練風景 Mail Online から
アメリカが超音速爆弾の開発に成功した途端の訓練。
先月まさに歩いた場所。ちょっとビックリ
高速地下鉄RERのA線、シャルル・ド・ゴール・エトワールの次の駅がラ・デフォンス。その次がナンテール・プレフェクチュールでヤザワが2年ほど住んだ所です。
日常の買い物は、このデファンス駅に隣接してるショッピングモールに週2回は出かけていたのでね。
2日半滞在したパリ。今回は美術館も行かず、コンサートも特になく、20年ぶりでかつて住んでいたエコール・ノルマル近くを散策したり、ナンテールのラヴェル寮のまわりを散歩したりと、なんともノスタルジックなのでした。
87 rue de Tocquevilleは1年ほど住んだ女子寮、Foyer Musicalがかつてありました。元修道院でシスターが昼、夜と2食作ってくれる寮でした。コンセルバトワールやエコール・ノルマルの女子学生が寄宿していました。コンバトにはバレエ科もあったのでダンサーの卵もいっぱいいました。昼も夜も少ししか食べてなかったなー。食べ盛りなのに食べてはいけないので、ダンサーはみんなすごいヘビー・スモーカーでした。ヤザワもここでタバコを覚えました。寮は確か90年代アタマ頃に経営難で閉鎖したということは聞いてましたが、1年住んでラヴェル寮に引っ越した後は訪ねたこともありませんでした。
久しぶりにヨーロッパに行くことになって、「そういえば」と思いついてグーグル・マップで見てみれば、修道院だった寮は跡形もなく新しいアパート(マンション)が建っていたのでした。付近を見てみると、パン屋も新しくなってたり、カフェは当時のままだったり、美味しかった惣菜屋やチーズ屋もあったり・・・
すっかり里心がついて、今回のパリは元・住居巡りでいいや。ということになったのでした。
ラヴェル寮も「金網で囲った」という話は後輩から聞いてはいましたが、「フーン?」と全然興味なかったんですけどね。
Paris 2011. Dec.3
当時から部屋で練習してると、誰かノックするので出てみれば、黒人の親子が「アンタの国の言葉はどれ?」と真光教のパンフレットを中国語、韓国語、フランス語、英語と差し出すので:「(日本語はないんだ:笑)日本語よ」と答えると、残念そうに帰って行ったのに、2日後くらいに「ほら!」と日本語のパンフレット持ってこられたりと、何かと押し売りの出入りが自由な建物ではありました。エホバの証人(?商人?笑)も多数の言語のパンフを持ってました。
部屋の中。髪型が年代を表してて(笑)。デュプレックスで1階がキッチンと練習室、吹き抜けの螺旋階段を上がるとシャワーとベッド。広さは11畳(って可笑しいね:笑)くらいかな。2階もあるから広い!朝9時から夜10時まで当時練習出来ました。
Foyer Maurice Ravel #18 '86
防災訓練で思い出したヨーロッパ旅行。ベルギーの写真もアップします!