ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

思えば遠くへ来たもんだ

2017年06月28日 | 現代音楽

梅雨明け宣言後、雷雨、大雨、洪水注意報が発令してる沖縄です〜

 

捻った足は:どうもヒビが入ってるようで、回復の兆しがないです

腫れが引いたら痛みの部分が明確になった。というのが進展でしょうか。

連日、湿度80%以上で気温30°という中、ギプスをしたら汗疹になって皮膚疾患で二重の苦しみとなるのでやめました。

身体にメチャクチャ良い食事をして、極力・安静&ホメオパシーで3週間ほどで治します

元々、アスリートみたいなものなので、食事さえ、ちゃんとすれば治りは早いんです。

グルテンフリーのホットケーキ朝ごはん コレ

国産 グルテンフリー ホットケーキミックス 600g

( 200g × 3袋 ) セット 九州産 玄米粉

 
熊本製粉株式会社

色々グルテンフリーのミックス粉を試してますが、コレは美味しかった。バナナとキュウイをパンケーキと一緒に食べてしまって、消化的にはアウトなんですが、私は胃腸がかなり丈夫なので、たまにはこういう禁じ手も使ってしまう。

本当はフルーツは単品で食べないとダメなんですけどね。今日はいいの

ココナッツオイルに塩が入った「バター」とメープルシロップで

オーガニックのダージリンは1杯目はレモンで2杯目は豆乳でミルクティー

 

夜ごはん

パンケーキが米粉で腹持ちが良かったから、おかずだけ食べたくておかずだけ。

冬瓜と切り干し大根の塩麹&ニンニクのお吸い物と麻婆ナス。3回づつ両方ともお代わりしてるし:笑。麻婆豆腐にもハマって、もうすでに台湾で1月に仕入れて来た豆板醤が2瓶め。挽肉の代わりはテンペ。愛用はここの。

ヤマク食品 テンペ100g×10袋
 
ヤマク食品

 

ニラとネギと切り干し大根は自家製 晴れたら梅干しを干すんです

 

読んでる本

「フード左翼・・」以外の2冊は、20年近く前に買ってあった本。時々パラパラと読んでたけど、やっぱり、じっくりとは読めないな〜   クセナキスの『音楽と建築』の方がまだマシというか・・

 

一般(の日本)人は:「音楽とは人を癒したり勇気づけたりするものだ」と思っているでしょうが、ブーレーズとクセナキスにとってはそんなことは全っ然・ないのだ。

ブーレーズ:「思想のないものは音楽ではない」

クセナキス:「音楽とは辛く厳しく苦しいもの」

バレンボイム:「ブーレーズは頭で感じて心で考えるという究極のパラドックスを成し遂げた。我々は彼の音楽を通じてそれを体験できる」

 

どうですこの男らしさ

著作も「思想闘争」全開で、故にブーレーズとクセナキスはメシアン門下でありながら仲が悪い時期があり、ブーレーズの手配で、クセナキスはフランスで自作を発表できない状況に長らくあったのだよ。ミュライユもずいぶんブーレーズには意地悪されてたよな〜。戦場でも楽壇でもどこでも男は「敵を見つけて」理由をつけて・闘うという。

これだけ暑苦しいオス臭さムンムンの2人ながら、ヤザワはブーレーズのピアノ・ソナタ1番とか、フルートとピアノのためのソナチネ(←どこが?という難曲)は和声がきらびやかでカッコいいなぁと思う。他の有名なル・マルト・・・とかは、まさにクセナキスの「音楽とは辛く・・」とバレンボイムの言葉を彷彿とさせるものがある。晩年の「レポン」は初期作品に近い華やかさがあって好き

 

それにしてもブーレーズの講義をまとめた。というこの本は、かつての桐朋での三善晃先生の授業の数倍は難解で、それをよくまあ訳す気になったよなぁと感心というか茫然というか・・

弾くは読むより優し。というワケではないですが、ブーレーズのソナタが弾ける人口と、講義が理解できる人口が知りたい。両方できる。という人は世界でも50人いるという気がする。

 

昔はこういう「エリートのエリートによるエリートのための音楽」が好きだったんです。

パンピーが好むものはダサい。そんなダサいの聞いて弾いてられっか 脳が腐る。

と当時は本気で思ってたんですよ

そんな若かりし頃のヤザワの集大成が:「Serious=Japanese」と「Egoist」というダウンロード・アルバムで2枚あります。若い時ほど完璧主義で、音も・闇が煌めいたと思ったら鋭い刃で切られてたというような切れ味バツグンさ

 

ファッションでもそうだけど、エディターとかスタイリストとかヘンな格好してるよね。それなのに「エディターズ・ルック」とかバッグとか、無理に自分たちをトレンドにしようとする強引な姿勢にかつての自分を重ね見る気分。

と・よその業界のことも今はよく分かる

クセナキスの『音楽と建築』は高橋悠治氏の訳で、悠治さんは間違いなく「理解して弾ける」人で、西洋音楽史に名を刻む日本人ではある。ようするにそういう世界で、市場なんですよ。。

クセナキスはいまだに好きで、1年に1回以上は何か聞いてます。

ものすごく難解な世界でありながら、プリミティヴな高揚感がある。まるで「剣の舞」を聞いてるような感覚になるんです

 

フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人
速水健朗
(朝日新書)

 

比較文化論、大好き じっくり読めて面白かったです

「食べる物は着ているものなど以上に、その人の日常や思想を表すのだ」「食べる物を選ぶ。それだけで政治思想が分かる」「何でも好きな物を選ぶことができる現代では、その人の考え方やセンスを浮き彫りにしてしまうのが『消費』である」

という視点から、分析をして論じています。

いわゆるロハスとは、大都市限定で、ドが付くほどにリベラルな階層である。と著者は観察したようです。それも富裕層かクリエイティヴな仕事に就いている人間。

まあ・・そうかな 富裕じゃないクリエイティヴ系。。

その都市生活者の消費の最先端として、地方への移住、ロハスな生活があると。

しかし都会の匿名性に慣れている都会人は、田舎の濃密な人間関係(全て噂で筒抜け)には耐えられないと。それでカジュアルでコンフォートなオーガニック・レストラン(浮き島ガーデン)で、オーガニックワインを飲みながら、アルチザンの料理に舌鼓を打って、他人の噂話(←田舎者の証)以外の文化や芸術について、都会にいるかのようにアツく語るわけか。

     

確かに。「他人の噂話」なんて、他人が「自分の知り合いの有名人」の時しかしないわな、フツー。それも「自分はあの人の友達なの」が言いたいだけだから、テレビより情報少ないし:笑。無名の隣人の日常。とか、無名の隣人の奥さんがどうも浮気してるとか、そんなことはサラサラ興味がないのは都会人だから

 

これは日本に限ったことじゃなくて、以前に旅行でニュージーのオークランドから30分ほどの郊外の友人を訪ねた時、奥さん(キウィ)が、「あそこに日本人の〜が住んでてね、車がスポーツカーでね、すごく高いクールな車なの。彼はね・・・」みたいな話を、2時間ほどのディナーの間中していて、ビックリしたことがある。なんで北半球からはるばる旅行で来たヤザワに「近所の噂話」をするのかワケ分からんかったですよ。南半球とはいえ、先進国なんだから、もうちょっと話すことあるだろと思ったけど、世界中、人種問わず田舎ならどこにでもオバタリアン(←なつかしー)ているんだなーと発見した旅でした。

 

「フード左翼・・」本に戻って・・

 

「西海岸は基本的にリベラルな風土の場所である。一方(中略)南部はいまだに農業が中心的な産業であり、その生活は田舎に行けば南北戦争の時代から大きく変わっていないとまでいわれる」そう。

アメリカって広いよね。シリコンバレーもアメリカだよね 。

 

唯一、この本で「んコレは洗脳だ」と思ったのは:「有機栽培」に関してでしょうか。まるでモンサントの社員のごときの有機栽培バッシングで、ちょっとビックリ

まあ2013年の本なので、今頃はまた知識も増えて考えも変わってるとは思いたい。このようにしてモンサントは農家を破滅に追いやっていったのだ。というようなことを延々と書いてるんだもん。本はそのセクション以外は面白いのにー

 

最近・聞いてる音楽。コレ、カワイイ

Elements
Einaudi
 


マックス・リヒターやルドヴィコ・エイナウディら、ポスト・クラシカルの静かな潮流〈NaturaRhythm〉を代表する音楽家ガイド 

ここで試聴も

 

ヨハンがドイツのクラシック音楽の名門グラモフォンからリリースということで、音楽界はここにきてようやく戦後70年の長い「前衛・現代音楽」の時代が終焉したようです。

グラモフォンはブーレーズを出してたんだからね。そうは言っても指揮のものがほとんどかな?

Orphee
Johann Johannsson
Deutsche Grammophon

 良かったです  

ポスト・クラシカルの始祖ヨハン・ヨハンソン、自身の営みにおける喜びや悲しみをさまざまな音で表現した新作『Orphee』

 ヨハンのインタビューもアップされてます

 

こうして見ると、ずいぶん遠くに来たものだな〜と我ながら思う

牛丼こそ食べたことない(ホントなんです)けど、ものすごい肉食だったワタシがヴェジになり、ブーレーズとか弾いて、シュトックハウゼンとか全集で持っていて、クセナキスとか聞いてたというのに、今や「ポスト・クラシカルのピアニスト」らしい

 

ヨハンの記事の下にヤザワの記事が「関連記事」で紹介されているので、よかったら見てみてね?

 

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弱ってても恨みは忘れない

2017年06月23日 | 日常

前川前事務次官の会見中継を打ち切って、小林麻央さん逝去の速報と海老蔵氏の会見を一斉放送したそうなテレビ界

ということをPCを開けて知りました。

真央さんのご冥福をお祈りします。長年の闘病生活、本当にお疲れさまでした。

海老蔵氏の会見もチラッとTwitterで観ました。

まだ24時間も経ってないわけだし舞台の合間だしで、実感としてはまだないはず。

家に帰って話したり心配したり世話する相手が目を開けない。という事態に押し潰されそうな気持ちになるのはまだだいぶ先のはず。まだ気が張る儀式もあるから。。

 

真央さんのブログはずっと見てました。

本人自身もう先が長くはないと分かっている人と、どのように接して何を話したらいいのか、色々と考えさせられました。ブログへのコメントも参考になります。

 

1つ:「母の時にこうしてあげれば良かった」と今さらながら思ったことは、一緒に思う存分、泣けば良かったということでした。

ずいぶん泣きたかっただろうに、私が泣かせなかったんです。

 

泣きかけていると「なに泣いてんのよ」と、無理に明るい話に振ってみたり、励ましたりして、自分もつられて泣かないように頑張ってたんです。

陰ではもちろん泣いてました。それでも病院に行く時は目を冷やして、安定剤を飲んで、フツーに振る舞うようにしてたから。

 

私が病室に居ない時に見舞い・・というよりは「お別れ」に来たであろう母の親友が、「一緒に泣いてくれたの・・」と後で行った私に報告した時は、カンカンに怒ってしまったし。「なんですって失礼ね」と。そんなことされたら気が緩んで寿命が縮むとか思い込んでたんですよ。。

 

7月7日に亡くなりましたが、当時の大河ドラマ『利家とまつ』を楽しみにしていたので、その放送が終わるまでは死なない。と思い込んでいたんです。

でも寿命は唐突に尽きました。

もっとも医者からすれば死ぬべくして死んだ時期なんでしょうけど。

看病疲れとホッとした(もう自由に眠れるという開放感)のと、葬式とで、我に返ったのは葬式後。「いないんだな・・・」と虚脱状態に陥ったところに、お悔やみ電話のラッシュ。

 

お悔やみの言葉やら思い出話をされても、まだ実感がないわけで、「無神経な人たちだな」と、まだヘトヘトに疲れてる中で怒ってました。

「今、寝てたんです 何週間もずっと寝てなかったんです」とかゆっちゃって。

 

お線香をあげにきました。というヒトも、思い出話をするのは1年先でイイ。ウザ杉。まだ実感がなくて、「ママ〜」とか呼んで、返事がなくて、それでまた泣いたりしてるというのに。それこそ一緒に泣いてくれれば、(持って来た香典で)鰻くらい取ってもてなしたのに

だいたい線香は無宗教なので用意してなかったので、写真と骨壺の前で数珠を手に狼狽しておりましたな

「アイツらの母ちゃんが死んだらソッコーで電話してネチネチと慰めてやる」と思ったものでしたが、引っ越してしまったので、疎遠にもなり、そんな機会もなくなって、穏やかに暮らしています。

そうそう

母が癌。とか事情を話すと:「まあ大変。ウチは幸いにして元気だけれど。お母様お大事にね」と・のたまう無神経なヒトが案外・世の中多くて驚きました。別に仲が悪いわけでもなく、どちらかというと仲良しだと思っていた人々。「しょうがないよ。親は先に死ぬものだから」と、自分の親はピンピンしてるのに言ったヒトも3名ほどいたなー

1人には復讐の機会がありました

もっとも復讐されたとも思ってないだろうけど。自分が普段、人に言ってることを言われただけだからね

引っ越して方々と疎遠になっているので、もうそんな機会もないとは思うんですが、もしあれば

しかし・やはり自分が弱っている時に、鞭打つような発言をされたと思ったヒトには、その後年賀状も出さなくなり、疎遠にはなっていきましたね。もうその無神経さが鬱陶しくて付き合えないんですよ。

「(母親が死んで)もう1年も経ってるのに、まだグチグチ言ってる」と言った友達とは、その場で断絶しました。とっくに友達じゃなかったんですよね。私がひとりで友達だと勘違いしてただけなんです。

 

というように、色々な悪縁も切れて、これも故人の功績なのかもしれないと思う事にしました

 

近況:先週転んで捻った膝の腫れがようやく引いて、痛みだけになりました。

 

2日ほどは眠っている時に寝返りをうつと目が覚めるほどの痛さで、しゃがむのも大変でしたが、痛まない姿勢と動作に慣れたせいで、まあなんとか暮らしています。

折れてはいないので、安静にしてるしかないわけで。私はこの程度なら病院には行かない派

怪我を治そうと身体がしているので、とてもよく眠っています。

松葉杖のレンタルとかあれば借りたいところですが、沖縄は道が悪いので、それで転んだら更なる2次被害になってしまう恐れがあるのでやめました。

 

「膝曲げるからパンツ履くのも大変 」と言ったら:「ふんどしはどうですか」と言われて真剣にググってしまいましたよ。

家にある綿とか麻のストールで代用しようと思ったんですが、3メートルは必要なようで、短くて安定悪くて道に落としてしまいそうなので諦めました。

しかし、こういう時のために1枚、用意しておくといいかもですネ。

 

3メートルもあれば、毎日ちょっとづつ位置をずらして巻けば、10日以上はそのままイケるような気がするし。けっこーエコかも

 

ガーゼで3メートルとかなら近所の薬局でも売ってるような気がします。なければ結んで伸ばせばいいか。

結び目がアソコにきちゃったら、なんだか別のジャンルになっちゃうけど

やっぱり3メートルっていったら3メートルよね。

出かけたついでに薬局にも寄ってみます。車も実は痛いから極力、出かけないの

 

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飛蚊症・・・でも読書

2017年06月18日 | 世の中のこと

昨日は外に出てから気がつきましたが、気温21°という、この時期の沖縄にしては稀な寒さでした

 

一昨日の夜、モシュコフスキーのエチュードでコンクールを受ける生徒の予習(先生のヤザワは弾いたことがない曲)をしていたら、急に右目にレースのカーテンのようなものが横切ったり、テプラポッド語(『メッセージ』の宇宙人語)のような黒い線が走ったり、それがウルサくて楽譜がよく見えない

という事態になり、次の日にワナワナと眼科に行きました

 

ドライアイ治療の第一人者の石川眼科

の石川先生に「とてーも暗い気持ちで来ました・・」と症状を訴え、視力を計ったり瞳孔を開く目薬を点眼して眼底やら眼球の中を調べてもらったのでした。

「あー大丈夫です。これはね・・加齢・・というか40歳以上の60〜70%に起こるもので飛蚊症です。どうなってるかというとね・・」

と、眼球の様子を録画した動画を再生しながら説明してくれたのでした。

眼球の中には:私の右目に見えるカーテンのようなものやらテプラ文字がありました 

 

「これこれと同じものが見えてますっ」と言ったら:「そう。この中にいるわけですよ。それを見ているんです」

と、色々と説明してくれました。80%以上は大丈夫ながら、20%くらいは網膜剥離に進む場合もやはりあるので、2週間ほどしたら再診して、剥がれてないか確認してもらうことになりました。

「ピアノ弾いてもパソコン見ても大丈夫ですよ 。治りませんが、慣れてしまって気にならなくなって、ある日「あれ?治った」と思うようになります。その状態で眼球を見てもやはり「ある」んですよ

 

とのことでした。「不治の病ですか・・」と呟いたら、大笑いされて:「老化は別に病気じゃないですから」と慰めて?くれました。

 

帰りは:右目の瞳孔が開いていて世の中の見え方がヘンなので、車は病院に置いて小雨の中、歩いて帰りました。夏服だったので寒かったなぁ

 

次の日

ずっと雨と雷で散歩が出来ないライトが、運動不足解消のために、壁に向かって意味なく吠え出したので、小雨の中、2人(ライトとヤザワ)でレインコートを着て、石川眼科まで歩いて車に乗りに行こうと出かけて50メートル。

横断歩道で滑って派手に転びました 「いたぁ〜い

 

右膝をひねって転んだため、横断歩道の上でしばらく立てなくなり、通行途中のおじいさんに2車線の車を止めてもらってる間に、ずるずると這うようにして、なんとか信号1回止めただけで歩道に辿り着きました

息を整えてから、びっこを引きながらライトと病院に向かってノロノロと歩き出しました。フツーに歩けば15分ほどのところ、20分以上かけて病院に到着。ここで電話をかけて、6時までに新都心のはず。を10分ほど遅れるコールをして、車にライトと乗り込んで「あゆみ音楽教育アカデミー」に到着

指使いを書き込んだモシュコフスキーの楽譜を生徒に渡して、新都心の「りうぼう」で、総菜と稲荷と納豆巻きを買って帰宅。もう作る気力も食べに行く気力もナシ

と、その帰り道

 

反対側車線の国道58号、泊交差点でなんか鈍い衝突音が聞こえたと思って右を見てみれば、子どもが10メートルほど吹っ飛んで倒れていて動かず、「なんでなのよ〜っ」と傘で車を叩いてる2人の子どもの手を引いてるママがいたのでした

横断歩道を渡ろうとした親子を、左折の車が子どもを1人飛ばしてしまった様子

 

目の前。音も明瞭に聞こえました。そのママと周りにいた人が電話をしているのを確認して、信号が青になったので反対車線だったので発進しましたが、両車線とも、ノロノロと気が重い感じで動き出しました。

「さっきアタシが転んだ所も横断歩道だったよな〜・・あの車も滑ったのかな・・?」と、コワくなりました。前方不注意以外にも原因があったのかもしれないなと。

 

もう毎日毎日すごい雨で、このまま『ノアの方舟』になるんじゃないかというほど降ってるんです。雷もすごくて、寝る前にはパソコンやらスピーカーやらアダプターはコンセントから抜いてます。

滅多に失敗しない発酵モノも、梅を酵素ジュースにしようと砂糖をまぶしたら、発酵する前にカビが生えてしまって・・・

 

こういう時はおとなしく、ピアノを弾いたり読書したり書類仕事したりするに限ります。

 せめて読書はアドベンチャーものを

ニッポン「立ち入り厳禁」地帯 (別冊宝島 2109)
 
 

「手塚治虫のMWは、この島がモデルなのかな?」と思うような・「立ち入り厳禁」の離島が日本には多々あるということが分かって驚きました

MW(ムウ) (1)

(小学館文庫)

手塚治虫
 

日本の「立ち入り厳禁地帯」は軍事施設だけでなく、今日も秘祭を行う沖縄の離島とか、神隠し的なスポットも多々あって、「やっぱりアジアはまだ秘境なんだ・・」と改めて思いました。フランスで住民が秘祭を行う、住民以外立ち入り禁止。撮影した者は殺される。なんて話は聞いたことないですよ。

日本の「立ち入り厳禁」地帯が分かると、今度は世界のことも知りたくなるのが人情というもの。

世界の立入厳禁地帯 (宝島SUGOI文庫)
 
 

 

こちらは「心霊スポット」とか、もうそんな生易しい地帯ではなく、万が一の飛行機事故でも、こんな場所に着陸したら大変だというような場所の数々でした。

知らないということは恐ろしい。無知は罪どころか死に至る。

まさにこの動画のように。衝撃的な映像が苦手な方は回覧注意

作りものにしてもコワ〜い 「教育的ビデオ」。大学生とかは観た方がいいかも。

Set Yourself Free

 

 

そういえばヨーロッパでは「秘境」みたいな場所は聞いたことないんですが、「黒魔術」をいまだに行っていて、ベルギーでは子どもの誘拐が絶えないというし、その子どもたちは当然、性的虐待のうえ食されているわけです。

バチカンのスキャンダルを映画化した『スポットライト 世紀のスクープ』ではさすがに、カニバリズムまでは踏み込まなかったけれど、こういう証言は検索すればいくらでも出て来るわけで、そういう意味ではブリュッセル郊外とかパリ郊外という場所も「立入厳禁」な場所がいくらでもあるんでしょうね。

トム・クルーズとニコール・キッドマンが出演した「アイズ・ワイド・シャット」も、監督が不審死した映画でしたね。校正されまくりなのを拒否したら死亡したそうですし

 

アメリカは広いから、セドナなどのパワースポットもあるし、秘境があってもおかしくはない。ニューヨーク郊外とか、都会の郊外は、それとは別の「立入厳禁」な場所があるとは思いますが・・

魔女狩り

(「知の再発見」)

 
 

 「魔女狩り」で検索すると、何冊も出てきますが、レビュー数が多かったこちらを読んでみました。

澁澤龍彦のほうが引き込まれるのは、やはり作家としての才覚で、こちらは歴史の本という感じ。スゴい歴史があったもんだよね。。。

 

さて・こちらは新患の予約は6年待ち。という先生の本。「私の診療所は高いし予約も何年も先なので、本を読んで下さい」とのことです。

「首の後ろを押す」と病気が勝手に治りだす

(神経の流れを正せば奇跡が起こる)

松久 正
 

 

健康本、大好きです。健康マニアと言ってもイイ。

「乳頭骨」の位置が分からなかったので、眼底健診のついでに、石川先生にマジックでマーキングしてもらってきましたよ〜 これで「押せる」し「待たなくて済む」

 

とても不思議な文体が多々あるので、「ん?」と思って検索してみると・・

 最新著

 高次元シリウスが伝えたい

水晶(珪素)化する地球人の秘密

 松久 正
 

 先生曰く:「私はシリウスからイルカとして地球に来たのでした」というような自己紹介があり、それで先生はラリマーというドルフィン・ストーンと呼ばれるパワーストーンに惹かれたりするそう。

「私の中に宇宙の叡智が入ってくるので私は知っているのです」などなど。

 

ワタシはこういうことを否定はしないし、信じる点も多々あるんですが、本という出版物で読むと、「こういうふうに添付する資料もなく言い切っていいんだ」と、やはり不思議な気持ちになるのは否めない。キャラ的に自分は限りなくスピ系に近いとは思うんですが、やってることはアカデミックなので、そのへんが:「では宇宙の叡智なる出典元は?」「アカシックレコードです」「・・・・・・」となってしまうんですね。それでは通用しない世界にいるから。重力の重い、縛りのキツい世界にいる蝶々なの

Dr.ドルフィンの地球人革命【新装版】
 松久 正
 

 別に宗教じゃないし、悪いことは全然・言ってないし、良い事ばかり言ってる。不思議だけど。

 

とりあえずー

 

「首の後ろ」を押してみますよー

転んで捻った膝が相当痛いのでね

 

 

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Arrival〜メッセージ〜伝えても伝わらない

2017年06月13日 | 世の中のこと

 

ヨハンが音楽を担当している という、とてーも楽しみだった『メッセージ』を、ようやく観てきました

 

映画『メッセージ』本予告編

 

出演者は:主役のルイーズと、その追憶に出現する娘のハンナの2名以外・全員・男。しかも美男が皆無という珍しい映画。ウディ・アレンの映画じゃあるまいし。ハリウッド超大作なのにね 

「宇宙からの到着者」に対して、各国のヤローども♂♂♂(大統領やら軍人やら)が、地球の防衛のために、あーでもない・こーでもないと最初は協力しつつも、やっぱり「攻撃準備」ということになって・・

 

観ていて:登場人物を・根こそぎ・去勢手術してやりたくなりましたよ

 

ストーリーも結局、今イチよく分からなかったので、帰ってウィキを見て理解したのでした。

原作も知らず、1回観ただけで、ウィキに書いてあるようなストーリーだと理解した観客がいたのだろうか

ヤザワは真面目なので帰ってから調べたという。「ほうそんなストーリーだったのか」というようにね。

まあ・そういう映画ではありましたが、気付かされることがありました。どんな映画でも本でも観ない / 読まない よりは、観て・読んでみるものだと改めて思います。本日の収穫

 

「話す言語によって思考が決まる」「話す言語を変えると考え方も変わる」と映画の中で、何回か主人公が呟くんですが、それで・我に帰ったというか。

 

最近・ずっと・クロード・エルフェ先生のフランス語の本を(引き続き)読んでいたので、ちょっとフランス人のような感覚になっていたな、自分。と反省もしたり。

 

ワタシが英語でアメリカ人の友人と話すと:「トモコと話してるとフランス人と話してるみたいだ(要するに皮肉屋でスノッブ)」と言われます。もちろんフランス人の友人と話しても「フランス人みたい」とは言われないし、英語で話してもアメリカ人ぽいとも言われない。これが第2外国語が仏語で第3外国語が英語。の効果なのかもね。

 

日本人の友人には「すごく合理的な性格」とか「男前」とか言われるし。日本では女が理性的だったり合理的なのは「狡い」以外にはない。という風潮から、「男っぽい」は褒め言葉としてフツーに女友達も使うんだよね。

 

女自らが男尊女卑を受け入れてどうすると、その度にいちいち説教するのも疲れるので、「そ。アタシ心にチ◯コ生えてるの」と流すようになりました

 

傀儡国家で父権制度が色濃く残ってる村社会の日本が、民主主義で先進国という体裁なので、フランス人は驚くわけです。

こんなことは日常茶飯事。政治家にはやって欲しくないけど、国民の代表と思えば致し方ない。

 

「どうして?」と聞いて、「ちょっとね・・」とか「どうしても」

という説明のない回答って友人間でも多いと思うんです。家族間で相手が親なら「そんなこと聞くんじゃないっ」で終わり。それで本当に[クサいものに蓋]で、やり過ごしたと思ってるんですよね。

 

両方とも日本語しか話さない、日本人の友人しかいない、日本でしか暮らしたことがない人間同士だったら、これで通用することも多々あるのかもしれない。特に友人同士なら。

ところがヤザワのようにフツーに日本人のルックス!なのに「フランス人のように考え、アメリカ人のように行動する」(←ヤザワの座右の銘)気質だと、蓋された中で疑問が発酵して疑念となり、ある日大爆発を起こすことになるのだ。

 

面白いことに、ヤザワ弟は:「なんで?」とヤザワに聞いて、「なんでも」とヤザワに会話を打ち切られるのが、1番・後腐れがないんですよ。典型的日本人。対応は学んだけど、なんで・これ(「何でも!」)で丸く収まるのか・さっぱり分からない

 

弟で学習したので、「お。コイツは典型的ジャップだ」と感じた相手には「ちょっとね」で、会話は打ち切って、うっとうしい説明はしないことに。こうして現在の内閣が誕生したのでしょう

 

色々と不合理なことがいっぱいで、そんな日本だからこそ演歌とかアニメのような文化が発生したわけだから、耐え忍んで・劣等感に苛まれることを除去することが必ずしも正しいと言えないのかも。

 

そういえば昼間に、相〜当〜に関係がこじれたはず。の相手から突然・電話があったんです。「1品持ちより会するから」って

これは当然・嫌がらせに決まってる。肉が入ってたり、小麦を仕込んでたり。出汁もダメだっけ的なことをするに違いない。私が完全に怒る以前、何度もこういうイジメのような嫌がらせをされたのでね。私が食べられないモノを出して会費を徴収する、私が食べられないモノばかり出して、私が持って行ったものは残らず喰い尽くす。というようにね。他にも諸々、失礼千万。

こういうイジメにずっとヤザワが耐え続ける。と思ってた節がある。

別にヤザワも耐えてたワケじゃなく、イジメだと気付くのが遅くて、最終的に「この人(ヤザワ)、ビーガンなんだよ。肉も魚も卵も食べないんだよ」と言いながら、色々並べた時にようやく気がついたんです。

典型的ジャップなら最初から気がつくんでしょか? それでも声がかかれば出かけて、自分の作った一品は取り上げられて、空腹のまま「耐えて」忍んで・涙して・演歌に昇華されるわけですか。そうですか

 

バーカ。行くワケねーだろ。とは言わず:Thanks for callingを日本語で答えました

弔電でも打っとくかな? 「生前葬」らしいから。と以前のヤザワなら思ったんですが・・

 

この人ほど拗れなくても「なんでこう一線を越えた領域に踏み込んでくるんだ?」という失礼な田舎者が多いのは、日本にしか住んだことがなくて、友達は日本人だけで、日本語しか話さないからだということに気がついたんです。

ずっと同じ人間関係が続くという前提で、「甘い辛い酸っぱい塩っぱい」をお互いに味わいながら、人間関係を深めていくという、閉鎖的環境の中での退屈しのぎというか。自給率20%を切ってもDNAは百姓そのもの。気取ってないでもっと農業しようよ

 

狩猟民族とか放牧民族はこうは考えない。付き合いの浅い相手に「辛い」目に遭わされたら、もう次はない。復讐に値することがあれば報復し、そうでなければもう付き合わない。相手の印象はもう会わないので「辛い」まま。

狩猟民族的に、農耕民族の失礼な態度に腹を立てると、農民は心底・驚くようで、急にお世辞を言ったり愛想良くしたりしますが、基本・狩猟民族にとって大事なのは第一印象なので、それで関係が改善されるということはほぼないんですよ。長〜い付き合いになるかどうかは、あくまでも結果であって、最初には設定されてないから。

 

ぐだぐだ書いてきましたが、だから、日本人が何回かイヤな態度を取ったとしても「攻撃」してるわけではなく、仲間として迎え入れる通過儀礼のような気持ちなんだろうと思うようになったんです。そしてお互いにつまらない言い合いをしても、水に流す。川の流れのように。肝心な時には無言で協力する。「なんで?」「なんでも!!」。そういう関係を構築していく日本村の儀式のようなものなんですね。

 

理解はしたけど和解はしない。お達者で

狩猟民族がヴェジになると、こう平和な態度になるわけです。

無駄な争いは避ける。無意味な人間関係は続けない

 

こんなに書くほど「実り」の多い映画鑑賞でした

しかもヨハンの音楽のことを書くには書き過ぎて疲れたし。

 

そうそう、ヨハンは来年公開予定の「ブレードランナー2」の音楽も手がけるようで、今となってはヤザワに曲を書いてくれたのが奇蹟のように感じる。

「映画観たよ!音楽良かった!」とかメール出せば「ハイ!トモコ〜!サンキュー!」と変わらずフレンドリーなヨハン。

立場は変わっても、変わらないのはアーティストとして「カネを稼ぐためだけに音楽を作ったり演奏してるワケではない」ということだろうか。一般の人にはここが本当に理解されない点だけど。

「カネを稼ぐため」や「アタシ/オレはスゴいんだから」の音楽とか演奏というのは、アーティスト同士ならすぐ分かる。

同志になるかならないか、というのは、ひとえにこの生きる姿勢に関わっている。

音楽は「誤解される」ということはまずないんですよ

伝わらないということもない。

聞いて感じた通りの人間なんです。

宇宙人も人間と同じ聴覚なら、伝えられると思うな。

 

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