「立浪和義監督待望論・2」

2017年05月03日 | 井戸端会議
中日ドラゴンズが何故立浪さんに監督打診を申し入れないのか?
ご存じの様にグランド内では人気、実績、知名度、カリスマ性、指導力、リーダーシップ、野球理論どれを取っても申し分ないはず。
①問題はグランドの外でたびたび噂されてる黒い交際報道等と思われる。
一昨年から野球賭博問題に揺れている球界は、一連のダーティなイメージを払拭すべく、“浄化”に必死。そんな中、クリーンな印象とは程遠い立浪さんを指名するのは難しかったのか。
②もう一つは球団(中日新聞社)内の派閥争いだ。
これまたご存じの様に現在の白井オーナー(小山派)は、立浪さんをえらくお嫌い様です。
白井さんがオーナーに君臨するかぎり難しかったが、2月に急遽、大島オーナー代行と矢野球団社長の人事発表が粛々と行われた。

以上、この2点がネックになってたと思われる。

①の黒い交際についてまとめてみた。(あまりにも色々あり過ぎる為に差し控えさせてもらいます。)
黒い交際報道は全て、ネットの情報か面白可笑しく記事にする週刊雑誌等です。
信憑性はどこまでが真実で、またそうでないかは分かりません。
ただ、火のないところに煙はたちません…っとなるが、私の知る限り、警察のお世話になったと言う報道もありません。
限りなき黒に近いグレーと言うことにしておきます。
②の親会社の派閥争いはこの先も収まることはないでしょう。
親会社及び球団により、ここまで弱くなってしまったドラゴンズ。発端は2011年にさかのぼる。
2004年から落合監督が就任し常勝軍団となり選手の年俸が高騰し、また観客動員減少などで球団経営を圧迫始めた。
派閥争い中、小山派大島派共一致してることはこの肥大してしまった球団費用をカットすることと、ファンを呼び戻すこと。
当時監督であった落合さんを下ろす5ヶ月前に大島派は坂井克彦を社長に送り込んだ。この坂井氏によりのち、落合さんは監督は辞めることになる。坂井氏就任時のあいさつコメントに「負けても楽しめる」という意味深な言葉があった。今思えば、成績不振を理由に大幅年俸カットの狙いがあったと思われる。
しかし結果、2010.2011年と球団初のペナント連覇を果たし常勝軍団となってたドラゴンズは12球団1.2となる選手年俸等がさらに肥大。坂井氏は年俸を削ることが出来ず、結果その年の6月、白井オーナーの続投が決まり大島派のクーデターが失敗に終わった。後に坂井氏が球団社長を辞任することとなった。
自業自得だ。結果、ここで年俸を圧縮出来なかったことを、皮肉にもその後落合GMが就任し(小山派、白井オーナーの命を受け)年俸の圧縮をすることとなった。つまり、小山派も大島派も球団のコストを抑えたいという思惑は一緒だ。
球団の実権は行ったり来たりを繰り返し、現在ボールは小山派が握ってる形だが、先にも書いた今年2月株主総会で大島宇一郎オーナー代行が就任となり、チーム成績不振とファン離れも相まって白井オーナーの潮時(今年限りのはず)が近づいたと思われる。
中日球団は、またしても小山派から大島派にとなれば、立浪さんを監督に押す大島推進派が実権を握ることになる。
ドラゴンズを強くすること、ファンを呼び戻すことを出来るのは、もうこの人しかいないはず!
「3代目、ミスター.ドラゴンズ 立浪和義監督」がこのオフ誕生することになる。・・・はず。

P.S.一部勝手な憶測です。

※「立浪和義監督待望論・完結編」に続く