【第一次政権(1987~1991)】
加藤巳一郎オーナー(小山派)中山了球団社長(小山派)の体制。
加藤オーナーは小山派でありながら星野監督と良好な関係があった様で、星野監督のやりたい様にやらせた。また、星野監督が大島派だった事もあり大島派の協力も得られた。
敢行したチーム改革は小山派よりの選手の放出だった。
谷沢(小山派)→引退勧告
牛島(大島派)など→ロッテ⇔落合
大島康(小山派)→日ハムトレード⇔田中富.大宮
平野(小山派)→西武トレード⇔小野
中尾(小山派)→讀賣トレード⇔西本
など。
【第二次政権(1996~2001)】
大島宏彦オーナー(大島派)佐藤毅球団社長(大島派)の体制。
敢行したチーム改革は
日ハムからFA獲得⇔武田
仁村徹、酒井、山本保→ロッテトレード⇔前田、平沼、樋口
大豊、矢野→阪神トレード⇔関川、久慈
門倉、古池、東瀬→近鉄トレード⇔小池、佐野、善村
など。
星野監督に逆風が吹き始めたのは…。
00年、加藤オーナーの天敵で同じ小山派の白井氏が新オーナーとなった。
また、01年限りで佐藤毅球団社長の辞任が決まると後ろ盾をなくし、球団内での力を失い、急速に星野降ろしが起こり辞任に追い込まれた。
星野監督は成績不振と長期政権は好ましくないと、辞任の理由を挙げたが実際はこうした派閥争いの影響も大きかったはず!?
時は経て2018年1/4、“星野氏死去”と突如の悲しい知らせが飛び込んできた…。
中日、阪神、楽天と監督としてリーグ優勝へ導いてくれた星野氏に対しても、現中日白井オーナーは、星野氏お別れの会でも消極的だった。
3/19、東京都内で行われたお別れの会は、楽天の三木谷浩史会長兼オーナーが発起人となり開催。3/26楽天は背番号77を永久欠番とすることを決めたと発表した。
3/28、大阪市内で行われたお別れの会は、阪神の坂井信也オーナーが発起人となり、楽天と同様に積極的に行われた。
しかし中日は2/24、名古屋市内で行われたお別れの会は、白井文吾オーナーではなく、後援会が主催し愛知県知事の大村秀章氏が発起人代表となった。
白井オーナーは出席すらしていない…。
それにしても、何故これほどまでに白井オーナーは星野氏を嫌うのか。別の中日新聞関係者が解説する。
一つは、
「白井オーナーとベッタリの落合博満元監督の存在が大きい。落合さんは監督時代からずっとドラゴンズから星野色を消すようオーナーに囁いており、それが今でも続いているのでしょう。」
二つ目は、
「白井オーナーの天敵だった加藤巳一郎氏(故人)が寵愛したのが星野さんだったんです。それもあって、オーナーは今も星野さんのことを嫌っているのだはないか」
※デイリー新潮記事より
星野色を一掃した中日小山派。
落合色を一掃した中日大島派。
中日新聞社の派閥争いは露骨で醜い・・・。
【最後に】
今後のチーム組織運営は?
大島宇一郎オーナー(大島派)
矢野博也球団社長(大島派)
壁谷浩和営業本部長(多分?大島派)
加藤宏幸球団代表(多分?大島派)
中日球団の重役ポストが全て大島派に一新される。
立浪氏は、1987年にドラフト1位で入団、中日一筋22年。竜の不動のレギュラーとして活躍した。現役通算2480安打、1037打点、171本塁打、打率・285。487の二塁打はいまも破られないNPB記録。
そんな地元名古屋が誇るスター選手でありながら、2009年に引退してからは一度もユニホームを着ていない。
「かつての立浪さんは派手な女性関係をはじめスキャンダルが多かった。現役時代に球団フロントが、『君も将来の幹部候補なんだから、少しは身を慎まないといけない』と注意したが、その後もいろいろと週刊誌をにぎわせた。そんな立浪さんに対して白井オーナーは『オレの目の黒いうちは、絶対にユニホームを着させん!』と激怒したといわれている。それでも、立浪さんは球団OB内でも人望があり、『監督になってくれ』と推す声も多い。白井さんが退任するのであれば、いよいよ現場復帰の流れになるのではないか」(スポーツ紙記者)
立浪氏は今キャンプ中、2年目の根尾に打撃指導を行ったことが話題になった。これは与田監督が立浪氏に直々にお願いし、実現したもの。ミスタードラゴンズの手腕に期待している者が多い証左でもある。
与田監督は今年が3年契約の2年目。早ければ2022年にも「立浪監督」誕生となるかもしれない。
Coming Soon立浪和義。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます