陽だまりの中のなか

前田勉・秋田や詩のことなど思いつくまま、感じたまま・・・。

詩人・秋 亜綺羅氏の講演「秋田の詩祭2023」開催します

2023-09-16 | 詩関係・その他

               

 秋田県現代詩人協会主催の『秋田の詩祭2023』が10月28日(土)秋田市内の協働大町ビル
で午後1時から
開催されます。
 今年は詩人秋亜綺羅(あき・あきら)さんをお招きし、「詩って何だろう」という演題で詩につい
て講演していただきます。
 
秋亜綺羅さんは月刊詩誌『ココア共和国』を主宰し、今、全国の幅広い年代から注目を浴びている
エネルギッシュな詩人です。

 詩を書いている人は勿論、詩とは無縁だという方も、詩を書きたいと思っている方も、一切制限は
ありません。秋の午後のひと時を詩の世界で
ご一緒しませんか?
 入場無料です。是非ぜひ、お
気軽においでください。お待ちしております。
 

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矢代レイ 詩展

2023-09-03 | 詩関係・その他

      

 

 矢代レイさんの詩展が9月1日から秋田銀行本店ロビーで始まった。
 今年のサブタイトルは「詩に導かれて」。ボードに掲示されている挨拶文には次のように書かれていた。

   未完の詩がパソコンの中にいっぱい眠っています。
   言葉の海はとてつもなく深く、一瞬姿を現わしても、活きのよい言葉をつかまえることが出来
  ないでいます。

   もし、詩を書くことが容易だったら、ここまで夢中にはなれなかったろうと考えます。つまり
  は、詩に導かれて今日に至っていると言えます。 


 矢代さんの詩との向き合い方の一部が見える一文だ。
 展示されているのは個人誌『ピッタインダウン』に発表された作品と、作品を組み入れた写真、これま
でに刊行された詩集や『ピッタインダウン』のバックナンバーなど。ロビーながら、立ち止まってじっく
りと読むことができるのがいい。
 会期は9月29日まで。9時から15時・土日祭日は休み。無料。

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菅沼美代子詩集『乳甕』

2023-08-14 | 詩関係・その他

      

 静岡市住の詩人、菅沼美代子さんから第6詩集『乳甕』をご恵投いただいた。

 菅沼さんは日本現代詩人会、静岡県詩人会、静岡県文学連盟の各会員、
詩誌「穂」同人。
 
表紙は、第5詩集『手』と同じ造形作家、内藤淳氏の作品。私的には菅沼詩のイメージと結びついて
いて
印象的な装幀だ。

 情
感の多様な表現に出会うたびに思うことだが、「何を」よりは少しでも「いかに」という修辞的な
力量が上回ることが出来れば、「何を」を、より効果的に表出し得る、ということ。それを読む時に感
じることもまた新しい発見になったりする。
 
菅沼さんの詩には無駄な言葉が無い。少ない、ように感じた。表出しようとする段階で、多面的にか
自身の感性をより広角的に見据えることが出来ているからであろうか。読み進めていると、区切りの
良さ、センテンスの短さ、小気味よいリズム感。また予想外のコトバの出現に
驚いたりした。
「(略)そのうえで眠るなんて/なんたる精神」(沐浴)、「(略)旨いビールをカーッとやる」(温度)、
ドヤ顔でにやりとするから」(初めの一歩)。
(あたりまえだが?いや、いや、穏やかな詩行が続いている中に突然と出て来るから・・・。とても新
 鮮だ。)

 詩集のタイトルとなった『乳甕」は、新生児が母の母乳を飲む姿を表している。作者のやさしい目線
と、乳児の生への力強さが描かれている。

「乳甕」
甕のようにゆたかで/迸る液体が/いのちそのもの/生きてのみ/飲み干すことが/糧になる/なだら
かな丘陵が/弾力のある
溌溂に/ぱんぱんに膨れあがり/生きるということに前向きで/たわわな実り
が/ぎちぎちと詰まっている/きみはふれたくなる//ちいさな掌でつかむように/甕に埋もれて吸い
尽す/無目的の愛のような/輝きに満ちていて/音楽が聴こえてくる/ごくごくと飲み込む/力強い 
リズム/勢いよく盲目的に/尽きない泉を汲もうとする/真摯さにただただ呆れる/永遠に続けばいい
/やさしい風が吹いてきて/平和であることの/証のように眼を瞑る//人が近寄れば/乳の甕を確か
めて/いちどは放し/ぼくのものだと言いたげな/ぼくだけのものだと/自信に満ちた顔をする/それ
なくして/甕の存在は無いかのような/主張をする

 当詩集にはお孫さん(と思われる)について書かれている作品が多いが、決して「孫自慢」の詩では
ない。こどもを通した生や世界観をきっちりと描いていて好感。 

後半は、故新藤凉子氏(前日本現代詩人会会長)への詩、散文が収録されている。

 

著 者  菅沼美代子
発行所  思潮社
発行日  2023年7月22日
定 価  2,500円(+税)

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松下美和子詩集『ら行の悲しみ』

2023-08-08 | 詩関係・その他

      

 静岡県菊川市住の松下美和子さんから第一詩集『ら行の悲しみ』が届けられた。深謝。
 詩集のタイトルとなった詩、「ら行の悲しみ」は次のように始まる。
 
 時々透明人間になる/彼女の持ち物を調べると/ある部分に/ら行の悲しみがきちんと佇んでい
 た//工場の煙突から真っすぐに煙が立つ/それを見ながら/多分明日は透明人間になれそうだ
 なと/密かに目論む//そしてどうもその必然性がある//誰にも全く同じ形で分かってもらえ
 ない/至福の悲しみが彼女の中に存在したのだ/だからその悲しみを迎えるように/少しだけ今
 という時間軸から/泡のように消える//ららら/りりり/るるる/れれれ/ろろろ/メレンゲ
 の様な呪文を説き消えてみる//この術を使い彼女は時々/ら行の悲しみを深い海に沈め/真珠
 になんぞしてしまうらしいと/華やかなフリルの波たちが/物語を語るように教えてくれたのだ
 った//そして/ら行の悲しみは/彼女のとても大切な持ち物だ/ということを/誰もがよく知
 っていた/

 ときどき透明人間になるという”彼女”に巣食っている「ら行の悲しみ」が、少しだけ今・現実の
時間軸から消えてしまう。どうもこれは”彼女”が習得していた”術”のようでもあり、悲しみを海に
沈めると真珠にしてしまうというから、これまたすごい。”彼女”の本源か。

 読んでいてその語り切れない行間に残っている奇抜さ?や、ある意味読み取れない?ことも混交
していながら、それがまた雰囲気をつくっていて、思わずふふっと笑みながら楽しい世界観を感じ
ることが出来る。作者の感性の鋭さ
が成す世界が溢れている詩集だ。

 

著 者  松下美和子
発 行  2023年4月8日
発行所  土曜美術社出版販売
頒 価  2,000円

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佐藤光江詩集『菜の花の海の』

2023-08-07 | 詩関係・その他

     

 静岡市住の詩人佐藤光江(さとう・みつえ)さんから第5詩集『菜の花の海の』を拝受。
 佐藤さんは日本詩人クラブ、日本現代詩人会各会員。詩誌「楷の木」同人。

 この詩集に収められている「戸口」と言う作品を読んでいるとき、不意に若い頃に私淑してい
た画家のことが思い出された。<自分らしさとは何だろうか。自分らしさという言葉を出すこと
はすでに自分らしさの「らしさ」を知っていることだよな>と語り、<自分のことを知ろうとし
ても、なぜかいつまでたってもその先へ到達できないのは不思議なんだよね。勿論、一般論だけ
ど>・・・とも言っていた。半世紀も前のことだが。
 それはさておき、佐藤さんの「戸口」は次。

 「戸口」
 
息をきって/たどり着いた/此処/戸口はピシャリと閉ざされ/気配ひとつない//何を追い
 かけてきたか/何に駆りたてられてきたか//
自分らしく/生きることを/願いながら/履き
 間違えたか/それとも/選んだか/
ようやく気づいた/誰かの靴を履くことの/心地悪さ//
 いつも/腰の辺りにぶら提げていた/不格好に膨れた堪忍袋/捉われの紐を解こうと/手をか
 ければ/思いがけず/たわいなく緩んだ//
待っていたのだろうか/戸口は軋みながら/ゆっ
 くりと開いた/其処に/朝の陽をまとう/
ひとがた

 佐藤さんの詩世界の底流にあるのは、ご自身の在り方を希求する姿勢であろうか。ずっと走り
続けてきて、ふと止まっては置き去りにしてきた自分を確認しようとする。さりげなく自身を見
つめながら振り返ってみるのだが、その後も前も霞だっている。そのような詩世界を描いている
ように
感じた。当然ながら、詩の世界であってそれらが作者個人のこととは限らない。
 <あとがき>から、印象的な佐藤さんの詩との繋がりを引用しておきたい。

 ~(略)詩と歩んだ長い時間を振り返れば、越し方のせいだろうか自己肯定感に乏しい性分は、
 今さら変えようもなく、私にとっての詩は一歩踏み出すために生まれるものだ。/
~(略)何よ
 りも自分に一番正直に向き合えるのが詩作り。/手放してはならない存在。/生き抜くための
 杖。/鉛筆を握ることは必然なのだ。

 

発 行  2023年5月10日
著 者  佐藤光江(静岡市)
発行所  土曜美術社出版販売
頒 価  2,000円

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宮本苑生詩集『あかね雲』

2023-08-07 | 詩関係・その他

     

 宮本苑生(みやもと・そのえ)さんから詩集『あかね雲』をご恵投いただいた。
 宮本さんは東京都住。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本ペンクラブの
各会員。

 いつもは<あとがき>に触れてから読み出すのだが、たまたま、あとがきを目にしないまま読み
進めて
いたところ、なにか全体が”死者”との語り、あるいは関わり合いを描いていることに気付い
た。
あとがきを開いてみて、なるほどと頷く。
 
  『Ⅰの「ひかり」は、東日本大震災のその年のうちに編んだ個人詩誌「ひかり」に、
   作品「水底の骨」を加え、他は、ほとんどそのままの形で掲載しました。あとがきに
   「震災の犠牲となられた方々にこの小さな作品集「ひかり」を捧げます。」と記しまし
        た。』

 とある。大震災の時、詩を書く者には何ができるのかとか、詩を(あるいは詩らしきものを)
こぞって直截的な事象として書くだけ・・そんなものか?と問われていた。詩を書く人がそう思っ
てそのように問う姿が多かったということは、ある意味での限界とか無力さを感じていたからに違
いない。詩はどうあるべきか、などと私はとても言い得る素養を持ち合わせていないが、宮本さん
のこの詩集に収められている作品群を読み進
めて行くと、亡くなられた人の側とこの世の側の人と
の交感が実に
現実的な感じさえして、こういう表現の仕方に感動した。詩は何をすることが出来る
のかという問いへの、より近接した<コタエ>の一つかも知れない。 

 

    見つけたかしら

  この川は あの川と同じですか
  渦巻き 逆巻いた
  あの川と同じですか

  この私は あの時の私と同じですか
  こんなに儚くなったけど
  同じですか

  随分遠くまで探しにきました
  哀しみだけが点る
  ここは いったい どこですか

  わたしの胸は張り裂けて
  もはや記憶も曖昧です

  私はあなたを探しています
  水の匂いたよりに 探しています

  あなたは 私を見つけたかしら

  蛍になった あなた
  蛍になった 私を
  見つけたかしら

 

発 行  2023年5月10日
著 者  宮本苑生
発行所  土曜美術社出版販売
頒 価  2,000円

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『自選 成田豊人詩集』刊行

2023-07-09 | 詩関係・その他

         

 成田豊人さんの『自選 成田豊人詩集』が刊行された。
 成田さんは北秋田市住、秋田県現代詩人協会会員、日本現代詩人会会員、詩誌「Komayumi」編集発行人。

 成田さんは26歳の時に処女詩集『北の旋律』を刊行してから、2年前の2021年『夜明けのラビリン
ス』まで実に8冊の
詩集を刊行しているが、このたびは、その8冊の詩集から41編を”自選”した文庫本サ
イズで刊行。巻末には、
2014年に詩集『夕顔』で三好達治賞を受賞された青森県詩人連盟会長の、藤田
晴央氏が26ペ
ジにも及ぶ「解説」を寄せている。これだけでも、成田さんと藤田さんとの交流の深さを
推しはかることが出来る。素晴らしいことだ。

 手に取った時に思ったのは、率直に言えば「なぜ今、自選集なのだろうか」ということであった。
 そういえば・・・という仮定は適当ではないが、数年
も前から「Komayumi」の編集後記だったか、それ
とも何かの会の時であったか、「詩は青春の文学という思
いがある。詩をやめ俳句を書きたいと思う」とい
うようなニュアンスの発言があったのを記憶
している。その事だろうか?あるいは、同誌第38号のあとが
きで、「最近、なぜ詩を書いている
のだろう、とか、詩を書いて何になる、と思うことがある」と吐露し、
「高校生の頃から書いているのだか
ら、作品の数と質はともかく50年は書いている。(略)詩集は7冊ある
が、ほとんど評価される事もなか
った。かなりのエネルギーと金を消費しながら、どう見ても自満足そのも
のに過ぎない、と自分に呆れてい
る」と述懐している。冷静に立ち位置を自己分析していると感じたが、
その事だろ
うか・・・。
 同世代の一人として詩を
書いてきた私にも、実は同じような感慨がある。が、さて、さてさて・・・。
 いずれにしても、成田さんは詩に関するイベントがあれば県内外を問わず出掛けることも朗読することも
講演することも積極的な人。その線状の活動と受け止めた。
 既刊詩集の自選集につき、作品への感想を控え紹介だけとした(成田さんには叱られるが)。

 

発行日  2023年6月18日
著 者  成田豊人(なりた・とよんど)
出 版  書肆えん  
     秋田市新屋松美町5-6
頒 価  1,800円(税込み1,980円)

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「詩の小径 ~文学散歩」・世界文化遺産『伊勢堂岱遺跡』(北秋田市)へ

2023-07-05 | 詩関係・その他

 6月25日(日)、秋田県現代詩人協会主催の「詩の小径 ~文学散歩」が北秋田市を会場に行われた。
 今年は、何回か候補にあがっていた世界文化遺産(北海道・北東北の縄文遺跡群)「伊勢堂岱遺跡」とその展示館。
 参加者は23名、これまでで最高の人員であった。

 特別参加の元秋田県埋蔵文化財センター所長、小林 克(こばやし・まさる)氏から遺跡発掘時の状況を含めた説明・
案内をしてもらいながら約一時間、縄文の世界へ思いを馳せた。
 この遺跡は1992年(平成4年)、大館能代空港へのアクセス道路建設工事中に発見されたもので、環状列石、配石
遺構、掘立柱建物跡などが発掘されたという。2021年7月に「北海道・
北東北の縄文遺跡群」17ヶ所のうちの一つ
として「世界文化遺産」に登録された。
 
 市内鷹巣へ移動し遅い昼食をとった後、参加者による詩の朗読、スピーチが行われた。自作詩は勿論、縄文に関連した
ものとして、著名詩人の詩・自作詩・現地をみての即興詩などなど
。ここ
数年、新型コロナウイルスの感染拡大により、
なかなか集まることが難しい
状況が続いただけに、参加者の思いが集約された濃いひと時であった。

                 

   

 
(画像提供 横山 仁氏)
               

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駒木 田鶴子詩集『雪の吐息』

2023-07-03 | 詩関係・その他

       

 駒木田鶴子(こまき たづこ)さんの第4詩集『雪の吐息』が刊行された。
 駒木さんは秋田県横手市住。秋田県現代詩人協会会員、日本詩人クラブ会員、詩誌「舟」同人。
 
 あとがきで、「六十歳で第一詩集を上梓してから第二、第三と、なぜか7年周期で出版してきた」が、
今回の詩集は13年ぶりになると記す。

 また、所属誌詩「舟」(岩手県滝沢市。レアリテの会)とのかかわり方や自身の詩の在り方を「私の
詩はレアリスムが基調になっている」と述懐しながら、
「亡くなった人の生きられなかった時間を含め
八十八年を生きてきた自分の証となる詩を残したい」と、その意図を明言する。第三者へと言うより
は、自身へ向けて”付託”するかのように。

 描かれた情景は、時として少女の目であり、地域性であり、そしてまた不意にコケティッシュな”女人”
の目であり、それらをさりげなく表出している。

「レアリスム」と語る言葉の持つ意味合いが、その手法としていわゆる”現実”や”生”であるならば、これ
またそうあることを意識しながらも、固定されない視点
を持った、詩人の全方向性を示している作品集
であると思った。


    雪の吐息

  風が止まるとき
  雪は 本音を漏らすのでしょうか
   シンシンと?

   ひひとして?
  いいえ 様子ではありません
  雪そのものの吐息です

  それは
  眠りかけた屋根を伝い
  しめ切った二階の窓から
  木綿のパジャマのようにヒンヤリと
  ひとり寝の素肌に触れるのです

  昔「雪喰い」した銃後の少女は
  年を重ねても
  雪の音やにおいに敏感です
  ジョリッ ジョリッ と
  雪玉をかじる勇ましい響き
  今も舌の上に残る
  燃えさしの 移り香まで

  人知れず
  真綿色した雪の華が
   咲いて
    散り敷いて
     消えてゆく

  ほらっ 聞こえるでしょ
  風がブレスするつかの間の
  雪の吐息が
  夜のとばり越しに鼓膜をふるわせる
  小さな命のしたたりです

 

 

著 者  駒木 田鶴子(こまき たづこ)
出 版  書肆えん(しょし えん) 
     〒-010-1604 秋田市新屋松美朝5-6
     ℡・Fax 018-863-2681
発行日  2023年6月25日 
定 価  本体2,500円(税込2,750円)  

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『本を造る、詩を創る』あきた文学資料館新収蔵資料展Ⅱ

2023-06-01 | 詩関係・その他

あきた文学資料館の”新収蔵資料展Ⅱ”『本を造る、詩を創る』が本日6月1日から同文学資料館で始まった。
展示されているのは、秋田の文化を広範に取り上げてきた詩人であり出版社主であった故吉田朗さんの遺品や出版物、
そして戦後秋田の詩運動を代表する「北方詩人集団 処女地帯」の第二次「処女地帯」の冊子や同人の生原稿などなど。
特筆すべきは、1990年代前後?の秋田の詩人(及び名だたる俳人、歌人)の色紙の展示。その時代の社会性や文学の
薫りが溢れていて、まさに先人の文化を創るという情熱が滲み出ている。(撮影禁止だったのでUP出来ず)
貴重な資料展。是非とも系譜=財産を知るうえで見ておきたい!!

◆開催期間など
 ・6月1日~7月9日(10:00~16:00・月曜休館・入館無料)
 ・秋田市中通6-6-10 ☎018-884-7760

■お知らせ
 同文学資料館の関連講座として下記開催されます。
 ・「秋田現代詩の流れ」
 ・講師:佐々木久春氏(秋田大学名誉教授)
 ・6月11日(日)13:30~ あきた文学資料館
 ・定員30名。上記連絡先へ申し込み要

 

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3年ぶりに対面総会開催・秋田県現代詩人協会

2023-04-27 | 詩関係・その他

4月23日、秋田県現代詩人協会の2023年度総会と詩人賞表彰式が秋田市内で行われた。
コロナ禍に埋もれてここ数年、止むを得ず書面総会となっていたこともあり、会員の皆さんの喜びは
今年に咲いた桜と共に満開~🌸!!であった。

ありがとうございました。

  

 

   

 ①総会の様子                    ②同左
 ③秋田県現代詩人賞(詩集賞)受賞・船木俱子さん   ④同(作品賞)受賞・見上 司さん
 ⑤同(奨励賞)受賞・北村瑠美さん          ⑥祝賀会兼懇親会出席の皆さん

  (画像提供:横山 仁 氏)

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詩誌『穂』・静岡からの波紋

2023-03-13 | 詩関係・その他

                     

 静岡の詩人、菅沼美代子さんから詩誌『穂』第44号を寄贈頂いた。同誌の同人は静岡県内
在住の女性9人。

 先号の第43号を初めて寄贈頂いた時ふと、6年前に第114号で廃刊となった秋田の詩誌
『海図』が思い起こさ
れた。『海図』もまた女性だけの同人詩誌であった。

 さて、『穂』第44号は同人の詩作品と追悼文、そして「Essay 詩の周辺」と位置付けられ
た全員のエッセイが掲載されて
いる。

   「叩く」  

  幼児の涙の中に街路樹の深緑が まだ 残っている/小さな手が見送りの父親を引き寄せ
    て/手の届くありったけ
を叩いている/戦争に巻き込まれた国で/国に残る父親と幼児の
    ために隣国へ避難する母親/父と母の間で架け橋
の形で揺れながら/手は父の肩や頬を叩
    き続けている/

 井上尚美さんの詩「叩く」の第一連を抜粋。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃、何
度かテレビニュースでみ
たことのあるシーンに”違いない”。戦況を伝えるアナウンサーの声
に関連した映像として流れていたはずで、その映
像への説明アナウンスはなかったと記憶する。
音声のない映像から感受した詩人の表現は見事に「叩く」姿を描写している。幼児の哀しみ
が、
兵士として国に残る若い父の苦悶が、子の手を止めない若い母の苦しみが伝わってくる。
  幼児は、戦禍の理不尽さよりも父との別れを、
もう知っているのだ。あんなにも小さいのに。
「叩く」ことでしか伝えられない・・・。それがどういうことかをこの詩は言おうとしている
ようだ。
 第2連では、先輩が語った終戦後の記憶を散文調で表し、先輩の「僕」は牛より貧しい自分
に腹が立って、畑を耕している母の
背を「叩いた」が、母は間を置かずその倍のビンタを返し
てきた・・・と述懐させる。「母は僕を通して、僕ではない何者かを叩いていた
のだ」とする
「僕」のこの吐露は、井上さんの本質的な声でもあると感じた。重い数行の詩世界だ。

 追悼文では、先の日本現代詩人会会長である新藤凉子氏への想いを菅沼美代子さんが綴る。
その関わり方が羨ましい。私の知る秋田の「歴程」会員の方からも新藤氏のことや連詩のこと
を伺っていたので、氏のお人柄や面倒見の良さなどを更に知る事ができた。

 

発行日  2023.03.01
発行人  井上尚美
発 行  穂の会 静岡県島田市
頒 価  500円

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若狭麻都佳さんの特集『花美術館』

2023-03-12 | 詩関係・その他

      

秋田県大館市出身・若狭麻都佳(わかさ まどか)さんの表現世界が、美術文学の総合誌
『花美術館』で紹介されている。

VoL.79で詩「華供養」「手の花」と、パフォーマンスを演じる画像。
VoL.80では評論家「小出龍太郎特筆・若狭麻都佳の世界」として詩「夢原罪Ⅱ」
「Amazing planet  Kの正体」と
ミクストメディア(多種類の素材を使い、様々な手法で
制作したアート)の
「麗しき悪夢」「馨しき牢獄」。
(画像は「麗しき悪夢」の一部。(著作者承認済み)・・・画像UPシステム上の制限によ
り一部カットされている)

  
   「Amazing planet  Kの正体」

  ばら・・・ばら
  の
  秩序だった
  白い混沌
  が
  まぶしい
  底が
    抜けた
  時間

  人々は楽しげに狂っている
  魚たちが
  燃え立つように青く走り
  ちりばめられた丘のうえ
  荘厳な声が吹き抜ける

  絞首台に吊られてゆく
  シャーマンの
  こなごなになった
  いのちの破片を拾い集めて
  覆されたものたちが
  草になる

   古代ノ骨ガ咲イテイル

  やがて・・・
  草が産み落とした
  ツギハギの星
  が
  何処にあるのか
          遡るたび
   進化してゆく
  その
  おとこにだけは
  聞いてはいけない

評論家の小出氏はこの詩を「政府批判の眼差しで現在の日本政府を見つめれば、冒頭から
末尾まで、全行に共感することが出来る。この詩は、じつに興味深い、抱腹絶倒の作品で
さえある」と言う。
「日本の現状を考えれば理解できる」として、「コロナウイルスとワクチン騒動」を挙げ
ながら、
「こうした現状を認識して読み進めると、なるほどとなる」と書く。
「<魚たち>と<丘のうえ>の<荘厳な声>、魚たちは「群れて泳ぐ小魚」=民衆、先導
者の意のまま右に左に向きを変える。
「丘」と「荘厳な声」は権威の象徴だ」と断言。
「絞首台に吊られてゆくシャーマン」は「科学的権威者に逆らう人」「<ツギハギの星>
とは地球全体、つまり各国矛盾
だらけの政策」と読み解く。

なるほど、そういう読み方もあるのか!と実は驚いた。
私のような社会とか芸術とか文学などに疎い者にとっては、ちょっと衝撃的な解釈であっ
た。しかし、よく考えてみると、吉本隆明が『真贋』で「自分の表現したものが自分から
離れてしまえば、他人から見て何か言われることは、覚悟の上だと考えるのが普通ではな
いでしょうか」と言っていることが、端くれものを書いている端くれの私にしてもそうだ
と思っているところがあるから、これもまた、そう解釈した人にとっての”若狭詩”の一つ
なのだ。

若狭さんの描こうとした意味合いはどういうことなのだろうか、とは私は思わなかった。
極論すれば、ここに具象性を求
めているのではないと感じた時、それはそのまま全体と
して、一つの塊としての映像を頭に描きながら曖昧であ
れば曖昧のまま受け入れるしか
ない。それは詩作する側にも言えることで、少なくとも詩作中の思考では具象性を持った
細切
れのテーマが散在していて、詩作途中で掬い取ったり棄てたり戻したりしながら、
イメージは言葉で探り出されて翻訳され、文字に変
換され、そして視覚的に表現される
のではなかろうか。
だから若狭さんの作品は字数下げや回転や記号を組み入れてい
く。・・・のだろう。
発表された作品は、受け取る側の感性のようなものによって形を変え香りを変えてゆく
のは当然のことながら、そのようにあ
らためて思った。

若狭さんの紹介のつもりが脇道に逸れてしまったが、”若狭詩”に刺激を受けたひと時で
あった。

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横山 仁 評論『ビンボーチョー 3』

2023-02-11 | 詩関係・その他

横山 仁さんの詩論・評論集『ビンボーチョー 3』が「書肆えん」から刊行された。
2008年8月のビンボーチョー 1』、2013年12月のビンボーチョー 2』に続く発行。

今は廃刊となって存在しないが、当時所属していた詩誌『匪』の
第32号(1981年9月1日)から同40号(1984年12月9日)までに発表した、
詩人立中潤に関する評論とその周辺を論じる詩論、文学論である。

当時、私も同誌の同人のひとりであったが、立中潤の名を思い出したくらいで
実は、横山さんが論じていた内容は全く記憶にない。
ただ、彼の論調の凄さは、何よりも広範にわたる視点からの近接の仕方だと記憶している。
それは、時には読み手が<当然知っているであろう>との前提で進める独特の文体なせいか、
私のような俄仕立ての者には辛いもので、よく呑み込めていなかったのは事実だ。

立中潤という詩人への近接を、
「北川透氏の「あんかるわ」でみたことがきっかけだったとおもう。」と
あとがきにある。
逆算してみると、横山さん30歳の頃になる。
この頃、私は何を感じていたのだろうかと思い返そうとしたが、何も蘇ってこない。
おそらく、横山さんのこの論文を読めず理解できず・・・にいたのだろう。
年老いた今、読めて、理解することができるだろうか。
心もとないが、チビチビとページをめくってみようかと少しは思ったりしている。

 以下、冒頭部分を引用する。 

 

立中潤ノート

(1)

 自死する1日まえのハガキに立中潤はかいている。

 「もう問もなく<おれ>の詩も終焉することになるだろう。谷川雁なら『殺す』とゆー
 かも知れないが、<おれ>はゲンシユクな気持ちと、ある寂しさをもってそれを受けと
 めようと思ってゐる。(中略)詩が終焉したら、ヘタクソな文章ながら、批評の方で自
 立しよう(?)と思ってゐる。」

 詩の終焉とはどういうことか。そもそも詩とはなんなのか。この問いは、詩になにをも
とめるのかという問いと重なるようにおもえる。たとえば近代詩の創始者といわれるポー
にとって「言葉の詩とはつまり『美の韻律的創造』だといえよう。その唯一の判定者は美
意識」でなければならなかったが、それは科学が自然を即物的にするとか、真理の追求は
散文がまさるなどとかんがえたからで、ポーは「あらゆる詩の究極の目的は真理であると
考えられている。すべての詩作品は教訓を垂れるべきであって、作品の詩的価値はこの教
訓をもって判断されなければならない」といった情況のなかで「天上の美を我がものにし
よう」というように、詩を手段から解放し、自立させるために、非詩的なものを追放しよ
うとしたのである。つまり、現実にたいして、〈反〉近代的な、意識的な抒情で抵抗する
(させられる)のである。小林秀雄が、ユーゴーでもって素朴な詩人の時代は終わったと
いい、ボードレールの思想について「詩は何かを、或る対象を或る主題を詩的に表現する
ものではない。詩は単に詩であれば足りるのである。そういう考えである」(『近代絵画
』)というとき、このような態度に言及しているのである。

 

 

著 者  横山 仁
発行日  2023年1月12日
体 裁  並本50頁 四六版
出 版  書肆えん(秋田市新屋松美町5-6 ℡・Fax 018-863-2681)
定 価  600円(本体600円+税10%)

 なお、「1」は定価600円+税、「2」は1,100円+税。
 お問合せは「書肆えん」横山さんまで。

  

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「坂本梅子 詩の世界展」角館・新潮社記念文学館

2023-02-09 | 詩関係・その他

      

         新潮社記念文学館                      特設展示コーナー(許可を得て撮影)

 

                 

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                   (在庫や販売期間などは直接文学館へお問い合わせを)

 

 秋田県仙北市角館にある「新潮社記念文学館」において、『坂本梅子 詩の世界展』が開催されている。(開催は2月26日まで ⇒
その後、好評を得て3月19日まで期間延長された)

 昨年11月15日から始まっていたが、雑用と怠惰な日常に追われてなかなか訪れる事が出来ずにいた。実は、昨年10月上旬、県現代
詩人協会の「詩の小径」が角館を会場に行われたが、その下見で同館を訪問した折、松橋館長さんから坂本さんの展示を行うと聞いていた
ので、開催期間が強烈にインプットされていた。

 ということで、先日ようやく・・・。

 坂本梅子さんは50歳の時に第一詩集『わがままな春』を出してから、101歳の生涯の中で私家版を含めて11冊の詩集を刊行してい
る。最後の詩集は『落日の花』。なんと実に93歳の時である。
 展示されている生原稿や詩集の装幀案原版などを見ながら、坂本梅子さんの名を初めて知ったのはいつ頃だったろうかと振り返ってみた
が、よく憶えていない。おそらく所属していた詩誌『海図』か、ご寄贈頂いた詩集『いろはにほへどちりぬるを』、『土蔵ものがたり』辺
りであっただろうか。両詩集だとすれば坂本さんは90歳・92歳。もっと前なはずだが・・・。接点を見いだせないのがなんとも悔しい。

 生き方や詩世界のことは勿論だが、殊に驚いたのは坂本さんの人とのつながり。第54回直木賞作家の千葉治平氏は、坂本さんの10歳
年下の実弟という事は知っていたが、「週刊新潮」の表紙絵画家谷内六郎氏、イラストレーターの横尾忠則氏、日本画家の佐藤元彦氏、歌
手の加藤登紀子氏などなどと交流があったということ。届いた書簡に坂本さんの世界を見たような気がした。

 メモをしながら展示室内を移動していると、松橋館長さんが話しかけてくれた。挨拶を交わしてから、開催までの準備や新たに分かった
こと、前任の「平福記念美術館」で画家佐藤元彦氏の絵を通じて坂本さん・詩を知ったこと、それがなかったら今回の坂本梅子展は企画で
きなかったこと、そのほか県内の文学者展実現への夢など熱い想いを伺うことが出来た。我が故郷の先人に光を当てることの熱意に敬服。

 やはり、角館は文化醸成の歴史ある町だ。あらためてそう思った。

 坂本さんは、幼少時の弟千葉治平氏をよく背中におんぶしていたという。その弟が亡くなった時、葬儀に寄せて書いたという詩を下記。
なお、展示品をメモしたものなので、字句等が間違っていた場合はご了承願いたい。(千葉治平氏は、1991年6月、69歳で他界)

 

    弟堀川治平へ捧ぐる詩
        少 年 と 湖

  少年は釣りをしている
  湖も山も空もひとつの色に
  少年を包んでいる
  岸辺の白い砂はきらめいて
  一すじの道のように
  湖につづいている

  少年は釣糸を垂れている
  少年は魚を釣っている
  少年は動かない

  陽はかげって湖は波立ち
  白い砂粒を蹴っている
  少年は暗い波しぶきを浴びて動かない
  少年の釣糸は見えない湖底に
  沈んでいる

  空のいろも山のいろも
  湖のいろも
  重い夜のいろにかわって
  さわぐ風の葦原から
  一羽の白い鴨が
  羽音もなく湖に飛ぶび立った

  少年は魚を釣っていたのではない
  少年の垂れた湖底ふかい釣糸は
  少年の永遠を釣っていたのだ


  平成三年六月二十八日

 

 

    ◎新潮社記念文学館 
     〒014-0311 秋田県仙北市角館田町上丁23
     ℡ 0187-43-3333
     (特別展 300円)

   
        

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