大館市比内出身の吉田文憲さんが、
山本健吉文学賞の詩部門で受賞した。
現在、秋田さきがけ新聞に宮沢賢治について
「幻の郵便脚夫を求めて」と題して連載中の詩人である。
残念ながら受賞詩集「六月の光、九月の椅子」は読んでいないので
せいぜい、新聞に連載中の宮沢賢治論をもとに想像するしかないが、
それ以前に、創作意欲そのものに敬服する。
やはり”吸収する”事の積み重ねが感性を刺激し育て、
文章になっていくんだろうな。
先般、吉田さんから私信をいただいた。
遥か遠くの昔、私がまだ20歳そこそこの頃、
同じように突然私信があって、
帰郷された吉田さんにお会いした事があった。
秋田駅前の喫茶店だったような気がする。
それ以来だから、驚くしかない。
連載中の宮沢賢治論が、
新聞という不特定多数の読者にどう読まれているのか気にされていた。
書き方をみていると、大分読者に気を遣っているような気がする。
毎週金曜日の夕刊に連載されるので、楽しみにしている。
昨日で第12回目。
山本健吉文学賞の詩部門で受賞した。
現在、秋田さきがけ新聞に宮沢賢治について
「幻の郵便脚夫を求めて」と題して連載中の詩人である。
残念ながら受賞詩集「六月の光、九月の椅子」は読んでいないので
せいぜい、新聞に連載中の宮沢賢治論をもとに想像するしかないが、
それ以前に、創作意欲そのものに敬服する。
やはり”吸収する”事の積み重ねが感性を刺激し育て、
文章になっていくんだろうな。
先般、吉田さんから私信をいただいた。
遥か遠くの昔、私がまだ20歳そこそこの頃、
同じように突然私信があって、
帰郷された吉田さんにお会いした事があった。
秋田駅前の喫茶店だったような気がする。
それ以来だから、驚くしかない。
連載中の宮沢賢治論が、
新聞という不特定多数の読者にどう読まれているのか気にされていた。
書き方をみていると、大分読者に気を遣っているような気がする。
毎週金曜日の夕刊に連載されるので、楽しみにしている。
昨日で第12回目。