何回か観たおなじみ青森田舎館の田圃アート。
役場がお城の形なので、その”天守閣”から見下ろすこのアート、
コンピュータを使って絵の下から上に向けての遠近法を用いているという。
休日、近くまで行ったので立寄ってみたら、
相変わらずの人気で他県ナンバーの車が多かった。
長い行列でも文句を言う人もいないから、やはり一度は観てみたいのだろう。
十分、その価値はある。
何回か観たおなじみ青森田舎館の田圃アート。
役場がお城の形なので、その”天守閣”から見下ろすこのアート、
コンピュータを使って絵の下から上に向けての遠近法を用いているという。
休日、近くまで行ったので立寄ってみたら、
相変わらずの人気で他県ナンバーの車が多かった。
長い行列でも文句を言う人もいないから、やはり一度は観てみたいのだろう。
十分、その価値はある。
上:藤原祐子さん 下:前田
9月8日午後、「秋田の詩祭2012 詩の講座」が秋田市中通の秋田文学資料館において
開催された。
講師は詩人協会の藤原祐子さんが「編み笠をかぶれば」と題し、
また、前田が「詩との出会い・人との出会い」について
それぞれ40分ずつ詩とのかかわり方を述べた。
会場には小学生の姿もあり、山形会長から歓迎の挨拶があったほど。
話した内容はともかく、こうした活動が広がっていくのはいいことだ。
10月27日には「秋田の詩祭2012 詩表現を楽しむつどい」が開催される。
大勢の方の参加をお待ちしています。
10月27日(土)13:30 秋田市大町 協働大町ビル
仙台の秋亜綺羅(あき あきら)氏から、詩集「透明海岸から鳥の島まで」が届いた。
挟まれていた私信によると、なんと、2冊目の詩集だという。発行詩集はもっとあると思っていたが、あとがきを読んで感じることがあった。
”この詩集の中で、どうしても詩になれなかった三つの日付”があるという。祖父が死んだ日、東日本大震災の日、東京に住んでいた頃、恋人がアパートから飛び降りた日。恋人がアパートから飛び降りた37年前から”自分の言葉を見失った”と書く。
「鳥の島」
机の上の銀河に
チョコレートのかけらが浮かんでいる
あなたの歯型が残ったままだ
三十七年になるかな
もう死にたいわけじゃなく
もう忘れたいわけじゃなく
遠泳
透明海岸から鳥の島まで
開封して手にとって、あとがきや作品をちょっとそのままの姿勢で読み込んでいた。秋氏と直接会ったことはない。が、若い頃に某商業詩誌で活字になっていたいわば同期。バリバリ詩も評も書いていた人である。年齢も同じ。違うのは、秋氏の才能。そして考え方、表現力、パフォーマンス、行動力か。そんなことを思っていた。思えば、私もある事がきっかけとなって長い間、人から逃げ詩から逃げ本を読むことから逃げ、そして言語失調になっていたことがある。そこから出ることが出来たのは、ひと言で言えば、人とのつながりであったような気がする。人から助けられたという思いがある。
心を空っぽにし、寝転んで、あるいは腹ばいになり、炭酸を飲んで、時には詩語を口にしてみたり、行間か頁をめくる動作の間に過去形を呼び戻してその詩行に移入してみたり、ギンギンに冷やしたビールをグビリとやってみたり・・・しながら時間をかけて読んでみようと思っている。何か書ければ儲けもんだ、が・・・。(そんな余裕はないか)
発行日:2012.08.31/発行者:小田久郎/定 価:1800円+税
10年位前になるだろうか、それとも10年よりちょっと以前だったか・・・。
山形県羽黒町(今は鶴岡市)の月山8合目駐車場まで行って、周回20分の湿原を散歩したことがあった。
月山神社中の宮の鳥居から望む月山の山容はなだらかに緑鮮やかで、いつか必ずこの山に登ろう!!と思っていたのだが、なぜか無為な年月が過ぎていた。
真夏日の続く週末、とはいえ9月初日、偶然?月山へ気持ちは向い、早朝自宅発。久々の早い時刻の朝は光の射す具合も街並みも懐かしいほどに新鮮!であった。
登山道は敷石と自然石の凹凸連続で、数ヶ月前から右脚膝に違和感を持っている身としては辛い。なんとも情けない!
海から稜線をなだらかに押し上げてそびえる鳥海山を振り返りながら、その容姿に励まされて進む。
なかなか見えてこない月山の頂上にちょっと苛立ちを感じたりしたが、一般的なタイムである2時間30で頂上に到達することが出来た。
頂上は神聖な神域。撮影禁止、頂上立ち入り(参詣)有料・・・。文句は言えまい。