陽だまりの中のなか

前田勉・秋田や詩のことなど思いつくまま、感じたまま・・・。

「詩と思想」へ拙作詩集「橋上譚」の評

2014-11-29 | 詩集「橋上譚」

 「詩と思想」12月号の<新刊Selection>で、青森県の詩人高橋憲三さんが拙作詩集「橋上譚」の評を寄せてくださった。詩集の著者である私が「なるほど!」と思う切込みがあって、うれしい。紙面は600字程度のものだが、簡潔に有難いほど的確な評。
ありがとうございました。

 本文は私のホームページ「窓枠大の空」へUPしたので是非ご一読を。
 http://www.geocities.jp/maedaben/details1.html    

                                                           

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詩集「橋上譚」 感想(その4)

2014-06-06 | 詩集「橋上譚」

◎北川朱実氏

(略)日常の中から社会を、そして生きていく人を静謐な目で見つめた作品が多く、心魅かれて読みました。特に、「秋田大橋の下で」「河口」「朝」「深夜・海のある街を思う」は、心に残りました。

◎吉田文憲氏

(略)「川は以前と同じように/波の音を橋桁にこだまさせて 生きていた」という詩句が印象的で、「川流れて・生」から始まり、「雷鳴響く夜・病む人へ」に至るⅠ章が、とても心に残りました。川はわたしたちの日常生活のすぐそばを流れる異界なのかもしれませんね。

「行き交う人々の思いを繋げるために/ただ/立ちつくしている/たちつくしてきた」に万感の想いがこもるようです。

ザオザオという風切る音、「その先に生があったということは/こちら側でも生きてきたということだ」という詩句も印象的です。それが、この詩集の発見なのかもしれないな、と思いました。

「花輪沿線」は、鹿角市、花輪の町でしょうネ。昨年、父を亡くして、何度か墓所のある扇田を訪れ、駅が無人駅になっていることにある種の感慨を覚えました。

読みながら、雄物川の河口風景を思い浮かべておりました。それから、ぼくも何度か足を運んだ石巻、北上川の河口や女川の海岸を歩き回ったこともモノローグのようでもあり、静かな時間や風景と対峙しているようでもあり、全体が大きな意味での鎮魂歌のようにも感じました。(略)

 

◎岡 三沙子氏

(略)茨島といえば大橋と旭橋にはさまれた地域なので、この題名に納得致します。このタイトルで私も何か書けそうな気が致しますが、橋というとやはり男性的なテーマになりますね。茨島は小学校六年から二十三才まですんでいた古里ですが、それ以前の原野だった幼少時代の思い出もあり、亡父が埋め立て工事にかかわった原風景が懐かしく思い出されます。(略) 

 

<「橋上譚」関連サイト>  http://www.geocities.jp/maedaben/     

                          http://www.geocities.jp/maedaben/details1.html

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詩集「橋上譚」 感想(その3)

2014-06-03 | 詩集「橋上譚」

◎中村不二夫氏

(略)私は同世代ですが、第一詩集の刊行は前田様のほうが早いです。ここから、推察すると、どうしても鮎川信夫の「橋上の人」を思い起こしてしまいます。お詩集は、我々世代の心象風景を描いて、鮎川の詩とは別の意味で共感できます。ひとつひとつのことばに、まだ、詩が哲学や宗教に通路を持っていたいた時代の残像がうかがえます。(略)内側で必死に答えを出そうとする、不可能性の詩学を体現されています。「朝」という作品は、一日一日、肉体の消耗と引き換えに、ありふれた日常が上書きされていく現実が書かれています。特別な日を内側に隠して。「雷鳴響く夜・病む人へ」は、病む人の描き方が具象とも抽象ともつかないタッチで、不思議な現実感を醸し出しています。とても巧い詩です。「盆の踊り」も人の歴史を描いていて、共感できます。「ウミネコ」を読むと、詩を書くことは希望であることを思います。これからもど、んどん書いていってほしいです。(略)

 

◎佐川亜紀氏

(略)<一つの容器 河川敷/その底で私の思惟も精一杯に生きている> 川と橋を形象としながら、私の生存を浮かび上がらせている所にさわやかさを感じひかれました。(略)

 

 ◎丸山乃里子氏

(略)川とは時間である。詩人の視線によって形を持つ時間である。あるいは川の流れは過ぎ去った風景である。流れているが、流れてゆかない記憶である。電車もまた時間である。往き来する中に重く積み重なってゆく時間。そして坂、海。この詩集は時間を文字(言葉)という形にしていて読者はそれぞれの物語を連想する。

 

◎成田豊人氏

(略)人生に対して諦観のようなものを感じながら生活しているという印象を受けました。橋のある風景や花輪の風景を見る目は、決して熱を帯びてはいなく、何となく、違和感を感じている、という風に受け止めました。「川流れて・生」の最終連「帰る時間になって/滞留した私にも似た小さな渦に/小石を投じてみた」が印象に残ります。「河口」の「何度ここに立っただろうか」から「始まりの位置を決めたときであったか」の連も印象的です。「橋上譚」の「その先に生があったということは」から「そのものたち」までの連は特に重みを感じます。「朝」の「この日も/あたり前のように朝が始まり」から最終行までは、前田さんの生き方を端的に表しているのかなと思いました。(略)「石畳」ですが、読み進んで行って最終連を読み終えると、この連が急に重みを持って来るのでした。(略)

 

◎小峰秀夫氏

(略)これが第三詩集とは、貴兄にしては少ないのかな、などと考えました。(略)一編が小説一編に相当するものでしょうから、それだけ耽読したいものです。

 

◎あゆかわのぼる氏

(略)静ひつです。選びぬかれた言葉が心のひだにしみて来ます。思いを文字(言葉)にする力ですね。もしかすれば長いお休みをとられた効果かも知れない、と思いました。                                           

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詩集「橋上譚」 感想(その2)

2014-06-01 | 詩集「橋上譚」

◎細部俊作氏                                           

 (細部氏のブログ「かたつむりの旅だよブログ」・・・アクセスは当ブログ左のブックマークからどうぞ) 

                                                 

 「松風ざわめいて」               
 生家の近くの神社に来た。以前、この松に囲まれた神社に「君達」を連れてきたことがあった。そのとき・・・ざわざわとびゅうんびゅんと松風がうなり大きな幹が揺れる音に驚き、太い幹がゆらりと揺れる様を怖がっていた。そんな年頃の「君達」だった。「二人とも両手で耳をふさいで/何かを言った」が「何を言ったのか/何かを叫んだのか」自分には聞こえなかった。
 一方、幼年期の自分と今の自分が遠い時間を超えて混ざり合う。子供のころの「私」が階段を下りてゆき、「何かを言っているようだが聞こえない」。「君達」が言ったことも、子供の「私」が言ったことも「潮騒のような松風がざわめいていて聞き取れない」。潮騒のような松風は昔と今の間を吹き抜け吹き続けている。
そんなイメージを抱いた。

 ところで、この詩に出てくる「君達」と「河川敷」の「君」とを見つつ眺めつするうちにある想像をしたくなる。

 「河川敷」の「君」は、遊具で遊び、お地蔵さんを一緒に見た存在であったのだろう。そこで私は勝手な想像をする。河川敷も河口も前田が自分の日常の象徴を手探りで形作ろうとする場だったと思われるが、同時にそこは、お地蔵さんを共に見た「君」へ語りかけ、問いかける場でもあったのではないか。お地蔵さんがいるから河川敷に来た。河口はその延長にあるから、河口に来たのではないかと。

★「時には」
 「思い返すことはしない」とつぶやいていた母がいた。「戦争の話を一度も語ることなく/そこから避けるようにして生きていた」父がいた。そして「今 から逃げてきた」私がいる。親からそのつもりはなくとも受け継ぎ、組み込まれた「因子」
に気づいた自分がいる。「静かすぎて自分の位置がわからない」と叫びたい自分がいる。

◇ヘボ眼(まなこ)で気ままにぶつかった幾つかの作品について感じたことを綴ってみた。「あとがき」によると、この詩集は十年間書けなかった後の50歳代に発表された作品で編まれたことを知った。十年間の作品三十九編。幾つかのパートで分けられているそれら作品群を、各々の性格で一言ずつで括ってしまうのは乱暴だし、気が引けるけれど、河川敷の日々、病棟の夜、花輪沿線の町で訪ね歩くような日、民俗行事や大震災の方へ向かって言葉を立てようとする試み、肉親と過ごした幼年期の追憶の中に自分の源を見出したい思い、「君」や「君達」へ向ける呼びかけ・・・私にはそんなふうに見えた。

 詩を書かない者からすると、それらは夜な夜な言葉を紡いできた営みの蓄積であって貴いもののように感じた。そこには長い空白の後の十年間という時間的な重さ厚さも加わる。

 これからも前田の詩を見たい。それも、読者は身勝手で欲張りだから言ってしまえば、前田の抒情をもっと見たい。昔、詩を書いていたが、今では全く書くことのなくなった者は、そのころと相も変わらず、抒情を含まない詩は水気を失った果物と同じだと今も思っている。

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詩集 「橋上譚」  感想(その1)

2014-05-31 | 詩集「橋上譚」

◎細部俊作氏 

(細部氏のブログからコピーさせていただいた)

『前田勉詩集「橋上譚」を読む』

5月中旬、送られてきた詩集は立派なものだった。帯の色に使っている青は空を映す川のようだ。帯の文字の白はさざ波かもしれない。カバーを外して表紙を出すと、そこには日本海に沈もうとする夕陽が見えた。

★「川流れて・生」
 「岸辺に・・・絡むようにして浮遊物がゆっくりと渦巻き/滞留している/あれは私なのかもしれない/過去の私も今の私もグルグルと巡り/巡ることで生を確かめ/渦からはじき出されるのを待っている」。

 この情景は「河口」では次のように表現される。「流されてきた木片が/川と海がぶつかり合うあたりで/揉まれ/海へ出ることを躊躇している」と。川の淵や橋脚のあたりで目に見えてくる浮遊物も木片も、脱色したビニール屑も、それらは日常が生み出す滓(かす)のようなものであり、またそれは自分でもあると吐露している。その渦から抜け出そうとするかしないかの間に漂っている。

 「朝」、「川霧立ち込める朝に」にも、前田が情景に自己の心象を投影させる巧みさがうかがえる。そして冒頭の作品の情景は詩集全体を彩る象徴でもあるようだ。どこか物憂い、独り言のような、孤独なトーンが流れている。

★「河口」
 何度ここに立っただろうか
 少年のようにもがいていたときであったか
 少女のように夕陽に憧れていたときであったか
 今の自分の
 始まりの位置を決めたときであったか
 

 川床を這うように
 私の時間は流されてきた
 (略)
 あの木片のようだ

 抒情を感じさせる数行ではある。けれど、「・・・であったか」といってしまえば、あっさりと遠い記憶として一瞥してそれで終わりになってしまう淡泊な慨嘆になっている。その流れに「そんなものさ」が投げやりな気分を乗せている。
 しかし、それでも前田は何度も河川敷に来る。河口に来る。人の日常や営為を、波が洗い川の音がかき消す世界に。日常は生活臭のする家や勤め先や隣家等などの中に見ようとすればいくらでも見えるはずだが、そうした日常の生活空間から抜け出して、河川敷や橋や河口のあたりまで来る。
 前田の詩作の現場はそこにあるようだ。昨日と変わらない日常の中に埋没している中から自分を掬い取ろうするかのように言葉を探している。誰にも聞こえない声で、呻きつつ。

★「河川敷」
 お地蔵さんに会いにくる。「君」の心の中にもその姿が残っているのではないか、と問いかける。いま、私はそれを見ている。君と共有していたものに会いにくる。君が遊んだ遊具は取り替えられたがお地蔵さんは今もそこに立っている。
お地蔵さんについては後でまたふれる。

★「朝」
 白鳥の物悲しい声のする朝、今日は特別な日か? 単に一日がカウントされただけか? 日々の同じ相貌の中に埋没してしまわない特別な日・・・六十歳の誕生日も「一万数百回目のいつもの物憂い朝でしかない」。一日の始まりという実感を失っている。そこを突き詰めて書き刻んだ作品だ。「かもしれない」という非断定のあいまいで中途半端な位置に佇んでいる。落ちるでも飛ぶでもない中空にいる自分から、目をそらさずに見ている。

★「川霧立ち込める朝に」
 昔、車両の連結部分の隙間から白鳥の飛ぶ姿を見たことがあった。その情景を、今、白鳥を見ながら思い出している。前田はそこにも日を重ねている自分を反射的に見出す。そんな自分を白鳥に見透かされているようだと書く。白鳥の物悲しい声は前田の声であったかもしれない。しかし、物悲しさの正体がどうなのか前田は書かない。ただ自分と重なって見える白鳥をずっと見ている。飛ぶ白鳥の描写がよくわかる。

 

★「雷鳴響く夜・病む人へ」
 行頭を一段下げてからの二連目をどう読んだらよいか。文章のように読むなら、お収まりがつかないように感じた。しかし、「痛みに耐えながら/夜の白い時を数えているに違いない」や終連は強く印象に残る。秀逸だと思う。

★「花輪沿線」
 「待つ 待っている 乗ってゆく人 列車を 列車を待つ人 人を」これから乗ろうとする人を駅で待っているのか、到着する人を待っているのかわからない。駅舎にいる人は大体が自分が乗る列車とか、誰かを待っているといっていいが、その一般的な理解から書き起こして何かの意味合いやイメーにつなげようと意図しているのではない、と思う。わからない。何か煙幕を張っているような感じではないか。この作品以外にも二、三感じるが、言葉を胸に秘めておいて、しかしそれを語らない、そんな傾向がないか。

★「峠」
 尾去沢街道踏切を通り過ぎるのは、あるいは尾去沢鉱山の「西道金山旧鉱」、「山崎御山旧鉱跡」といった鉱山跡に佇むのは、雄物川河川敷や河口にいた前田だろうか。日常への埋没感におぼれそうな日々から、新たな生活の地に、前田は雄物川の感傷を持ってきただろうか。同じ感傷を抱きながら異邦として町を歩いている。どこか探訪するような眼差しも感じさせる。この日々にどのような新たな意味を見つけるか、詩はその意味と出会っただろうか。

★「ウミネコ」など
 東日本大震災に関連した作品もあった。テーマとしてはとても難しいのではないか。それでも書いたということに、前田の詩作への思いの強さを感じる。
川シリーズより後年の作品と思われる。川シリーズで書いた日常へのこだわりから抜け出ようと試行している必死さを感じる。

 「ウミネコ」。震災後に女川に来た。ウミネコに見られているのが「何もできない私」だとしても、直接自分の目で見た被災地の様子は記憶に残るだろう。それがいつか若い人や幼い子に語る日があるだろう。

★「その日」以下
 Ⅴには肉親の死や弔いの時のことが書かれている。それらは川シリーズとは違って、幼少時の自分や母親の追憶がある、兄たちもいる。それらは黒いシルエットとなって映る。「石畳」はいい作品だと思う。それは自分の存在を日常の中に探そうとする“もがき”から解放されているからかもしれない。

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詩集「橋上譚」を出版しました!

2014-05-16 | 詩集「橋上譚」

30年ぶりに詩集を出しました!

30年前、第二詩集を出したときに描いていた計画?から大きく遅延したが、ようやく迷いを吹っ切っての第三詩集。詩集のタイトルは「橋上譚」とした。                                           構成から字体・表紙のレイアウト・色あい・・・原稿以外は、すべて、長年の友人である横山仁氏の感性にお願いした。横山氏は、"ひとり出版"「書肆えん」の社主である。編むにあたって、私がお願いしたのは、私が転勤していた時期の数編は一つのくくりにしてほしいということのみであった。その他はお任せ・・・?。私の50代からつい先ほどまでの約10数年間の詩編、それらを放り投げられた彼は困惑したに違いない。申し訳なし。                                     

<関連サイト>  http://www.geocities.jp/maedaben/     

                          http://www.geocities.jp/maedaben/details1.html    

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