東北・関東大震災発生から10日目。
TVの画面を通じその凄惨な実態が増大してゆく。
発生当日の夜、仙台で生活している長男とようやく連絡が取れた。
発生した時の恐怖はもとより、死体が流れていることや街が冠水している事実に震えが止まらなかったと言っていた。
勤務先の事務所も社用車もマイカーも冠水し、その後、電気、ガス、水道、電話が途絶えたらしい。
食料と最低限の生活必需品は、相方が常々緊急時用にとストックしているものがあったので何とかして救援物資を届けたいと思った。
しかし、結局、ガソリンが無いので諦めた。
(翌日には、すでに市内各所でガソリンスタンドへ長い列が続いていた)
地震発生1週間目の18日、物流大手S社が持ち込みと受け取りを条件に仙台へ荷を運ぶという情報を得て、早速持ち込んだ。
ガソリン、灯油、そして勤務先では重油が無いので停止、もしくは一部保安状態のまま。電気も予備電源の供給だから操業には至っていない。
※写真は、空っぽになっているスーパーの食品売り場の棚