「連環の計」で歴史に名を遺した「龐統」出仕前の住まい(内部にはつぶらな瞳の龐統像が祀ってある)。
周りには、東屋での読書、周瑜と魯粛に火計を進言する場面の塑像が建っている。
出仕前には、伏龍(孔明)か鳳雛(龐統)かと並び称される才能の持ち主と評価されていたが、孫権の臣下になった時も、劉備に鞍替えした後も、特段の功少なく、若くして戦死(214年四川省落鳳坡にて36歳)した。
昨夕移動して来て宿泊した赤壁市のホテルから、100mほど歩いた場所に「三国赤壁古戦場」の入り口があった。
内容的にはテーマパーク的で様々な工夫がなされていて、最初の塑像をガイドさんは「ガンダム関羽」と説明したが、正しくは「解放ブランドのトランスフォーマー関公」との説明板(日本語説明文多数)があった。
園内には、「鳳雛庵」「拝風台」「赤壁摩崖石刻」のメインスポットがあるが、ほかにも「孫子の小径」(兵法36計の解説パネルが並ぶ)の先に「舌戦堂」(孔明が呉の知識人に開戦論を展開した場所)や「八卦陣」(映画「レッド・クリフ」に登場)。
「三国彫塑園」には、「赤壁を詠んだ詩文」、「桃園の誓い場面」、「周瑜像付き摩崖石刻コピー」、「小喬出嫁場面」(周瑜への正式な嫁入りだったのか、略奪婚だったのかは不明)、「曹操と劉備の英雄論場面」などの彫像が並び、三国志のストーリーを彷彿させる仕掛けが楽しい。
武漢市内の長江の畔の丘の上にあって、当初は三国時代に呉の孫権によって軍事目的の物見櫓として建てられた(赤壁大戦の後)ようです。
軍事目的から離れた後、焼失などに遭いながらも、その都度再建され、時代々々に李白など古の詩人たちに詠まれた建築物だ。
楼内には唐代や明代などの楼閣の変遷模型展示があり、現在の姿とはまるで違う様子が良く分かる。
現在の建物は、清代の楼閣を参考に1985年に再建されたものだ(70歳以上で使えるエレベーターもある)。
麓から丘の上まで電動カートを利用。(往復10元)
このあと2時間半(135km)のバス移動で、赤壁市へ。
小魚山公園の展望台から眺めると、周辺にはドイツ租借時代の建築が数多く残っていて特徴的にオレンジ(赤とも表現)
の屋根だ。
海水浴場から、東シナ海に続く海を見渡せる。
この丘を下ると、当時は一番高かった建物の天主教堂が今もそのまま建っていました。
斉文化博物館内のロビーにある開祖姜太公(太公望)を中心とした英雄たちの巨大なレリーフが目を引く。
展示品には、山東省にあった漢代の墓の調査で大量の竹簡が見つかり、この中に現行の「孫子の兵法」とほぼ同じ記述の「孫子13篇」が見つかったため(一部展示中)、軍事思想家の孫武が実在したと思われているようだ。
古車博物館は、高速道路の工事中に発見された古代の戦車と殉馬群を展示している博物館ですが、歴代の馬車の変遷も復元展示していて、中でも三国志演義で諸葛孔明(山東省出身)の北伐時に登場する「木牛流馬」の木牛を再現した展示を見られて、三国志後半の戦いが思い浮かべられました。