梅雨の晴れ間、西武新宿線下落合駅近くの「薬王院」からスタート。
ゴールデンウィークの頃にはボタンの花が咲き誇っていたらしいが、この時期はツツジと蓮の花が咲いていた。
その先相馬氏の庭園だった「おとめ山公園」では、ヘイケボタルが養殖されていて、8月には公園内を飛び交うらしい。
そこから目白通りに出て山手通りを渡ると、旧椎名町5丁目(現南長崎)にあった「マンガの聖地」トキワ荘(1952~1982)界隈に出る。
その当時も、今も営業している中華食堂松葉の前(今この通りはトキワ荘通りと名付けられてフラッグが連なっている)を行くと、南長崎花咲公園内に「トキワ荘のヒーローたち」の素晴らしい記念碑が建っていた。
あの頃は、少年サンデー連載の「スポーツマン金太郎」(寺田ヒロオ作)が毎回楽しみだった。
夜は沖縄料理を食しました。
仙台港中央公園の海べりの遊歩道も津波で損壊していました。
写真の真ん中奥の煙突は火力発電所で、その手前にはあの時火災が発生したJX日鉱日石エネルギー仙台製油所のタンク群があります。
この公園の隣にはキリンビールの工場と花王の倉庫があり、そこから缶ビールやら洗剤やらが流されて散乱していたそうです。
また近くの広場は、流されて被災した車の集積場になっていて、おびただしい数の乗用車で埋まっていました。
ちょうど2ヶ月前の3月11日14:46に起きた大地震、その数十分後に押し寄せた津波の模様を、その時この上空を飛んでいたNHKヘリからのテレビ中継ライブ映像で見た場所がここ、名取川左岸の仙台市若林区。
ちょうどその時、この名取川に架かる閖上大橋のたもとでは、大型トラック事故の実況見分をしていた警察官と事故当事者は、田んぼを飲み込んで押し寄せた津波がその目の前ぎりぎりで止まっって、名取川へ堤防を越えて溢れて行ったために助かった。
その反面、その橋を通る県道10号線上では避難しようと車が右往左往していて、事故検分でふさがれた橋のたもとから降りる道路に入って行った車もあり、その先は行き止まりらしく、助かったのかどうか。
大津波は、海から仙台東部有料道路をくぐって、はるか6㎞先まで到達した。
山(丘)の上には、慰霊塔、花束、それに様々なメッセージが数多く添えられていた。
小山の麓にあった桜の木も倒されており、山の上には新たに桜の植樹がされていた。
見渡す限りの荒涼とした景色に呆然として、言葉も出ません。