気温23度、初夏の陽気のなか山登りした。
九鬼山は標高970m、山梨百名山で真下をリニア実験線が通過している。
富士急行線の田野倉駅(標高392m)からスタートして林道を登り、途中視界が開けて富士山を眺め(頂上からは見えない)、札金峠を通って頂上へ。
頂上からは、中央高速道を挟んで高川山や扇山が眺められる。
ランチタイムを終えて急坂を下り(膝にキツイ)、麓の浅間神社に出て、駒橋発電所落合水路橋(国登録文化財)をくぐってゴールの富士急行線禾生(かせい)駅(標高424m)へ。
駅前の店で缶ビールを買って飲み始めたら、その店から自家製の奈良漬をツマミにと提供頂き、追加した缶チュウハイを片手に乗り込んだ帰りの電車は、車両間にノレンが掛かり床はフローリングとオツなデザインで、偶然にも動く居酒屋に入った気分であった。
今日も友人とドライブ。
宮沢賢治(1896-1933)ゆかりを訪ねて、お墓、生家、羅須地人協会跡地、下ノ畑、イギリス海岸、復元された羅須地人協会建物、記念館と廻った。
最後はやっと咲いた桜を眺めに展勝地へ、北上川に渡した鯉のぼりも泳いでた。
友人とドライブに。
途中の遠野では、この春4月4日に通過した爆弾低気圧の影響で千葉家住宅の石垣が崩れたり、カッパ淵そばの常堅寺境内の杉の老木が倒壊して被害が出たりしたようだ。
東北大震災の被災地三陸海岸沿いではあれから一年、港の再生は徐々に進んでいるようですが、市街地を覆っていた瓦礫とめちゃくちゃになった車がまだ寄せ集められたままになっている地域もあった。
建物が流されたり破壊されたりした街の跡は遮る物もなく、見渡す限りの更地になってしまって遺跡の発掘現場のように見えた。
奇跡の一本松と呼ばれ、高田松原で唯一生き残っていた松は、全身赤茶色に変わっていた。
一部の地域では、流された同じ場所に住宅を再建中だった。
久々に20度を超す好天気なので、ツーサムで近くの河川敷ゴルフ場でプレイした。
平日の10時過ぎで入場者も極端に少なく、ああだこうだとスロープレイ?を満喫した。
ランチは食堂風クラブハウスでパンにカップヌードルと、セルフで済ませた(土日祝のみコックが調理)。
ロハスな一日だった気分。
東京にあった建物を移築復元し、その庭も半分(敷地の関係で)ほど再現された山口青邨旧宅に行ってきた。
一句もひねり出せない自分でも、平屋の昭和レトロな建物と庭先の和めるスペースで、半日ほど滞在してきた。
邸内の書棚には、機関紙「夏草」(正岡子規の句 夏草や ベースボールの 人遠し から採ったタイトルか)が保存されており、ぺらぺらめくっているうちに時が経ってしまう。
他にもふ~んと思う置物(ほとんど頂き物らしい)類も展示されていて、工学博士だった俳人の生活がうかがわれる。
その庭「雑草園」の片隅には、「菊咲けり 陶淵明の 菊咲けり」の句碑が建っている。
「 みちのくの 雪深ければ 雪女郎」ってなミステリアスな雰囲気の句もあるね。