わたしは、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。(ピリピ人への手紙4章10章19節)
車を走らせていますと、過って1度は覗いた様な池がありました。多分反対側だったと思います。今の時期は緑が多くひっそりとした佇まいです。
漁船なのかボートなのか解らないですが、案外美しい池です。
空は曇り。さざ波、緑の葦を見てますと、湖北でひっそり佇むこの池が愛おしいし、琵琶湖と回りの自然がより情感のあるものに見えます。
どこかで聞いた「自然と人生」という言葉がぴったり当て嵌まる様ですね。
上の言葉
(パウロというキリストの弟子は、牢に繋がれたり、鞭で打たれたり、今にも処刑されかかったりしました。そんな環境でも、彼は満ち足りる事を学びました。なんででしょう。それは信じた時、神から心に入って下さる聖霊です。苦難があればある程、キリストを伝えるという喜びが湧いて来ました。そしてそれが段々大きな力となり、更なる試練により、神様から喜びと満たしを与えられ、満ち足りる事を学んでいったと思います。私自身も過って、次々試練が与えられました。その時、祈って乗り越え、また更に試練が与えられ、祈って乗り越え、そんな繰り返しで、主の忍耐と満たしを与えられたのでした。パウロの様な大きなものでなくても、そういった経験で満たされ、強められると感じます。)