日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

朝日を浴びて

2016-07-23 07:51:40 | 日記
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。(詩篇34篇18節)



20日早朝、ようやく城陽市の蓮田へ行けました。二人とも都合の良い日がなかなか取れなくて、待ちとうしい事でした。朝4時に行こう!というものですから、慌てます。20分で家から行ける場所ですが、朝はつらいですね。でも着けば5時でしたが、丁度日が昇る頃。残念なのはいつも御贔屓にしてもらって来た寺田のハス田は朝光が良いのですが、新名神の大工事で行けず、これまたいつもの長池?です。小規模で保護された蓮があって一応安心です。この時期なら蓮は見頃ですが、花が少なく感じました。田んぼや周囲の野草に雫があって、平凡な田園地帯ですが、朝はいいです。寺田の蓮田の様に朝日が美しく入らないですが、稲田が美しいと感じました。





映り込みがあるのが公園等との違いでしょうか。でも花は食用なので貧弱です。農家が余り力を入れなくなった為でしょう。









何とか光が入る場所がありました。





農道に光が入っています。





花よりこんなのばかり目が向きます。



少しばかりの蜘蛛の巣に光が当たると虹色に輝きます。



雫は好きな被写体です。





蓮田の模様も世の様々の様に、面白さがあります。





稲田も大きくなって、9月、10月は稲刈りですね。早いものです。

上の言葉
(人の心は様々な面で厚くガードしています。人に悟られたくない、自分の弱みを見せたくない。良い人間に見せたい。頭脳明晰に見せたい。美しく見せたい。金持ちに見せたい。家族円満で仲が良い様に見せたい。もう享栄心の強さに満ちているのです。また人によっては自分が健康体に見せたい。優しい人間に見せたい。親切に見せたい。色々あります。芸能人等有名人なら、負の部分が解れば週刊誌にでかでかと。それを見て人は喜ぶ。

これは皆似たりよったり持合わせ、人間の罪に属します。こういった自分を縛るものから、神様に私は何も良いものもないし、立派なものもないです。誇るものは何にもないです。と言えた人が心が心砕かれた人です。神様はその人を救われ、その人は縛っていたものから開放され、ゆったり楽になるのです。)