日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

朝の光

2016-07-26 08:18:24 | 日記
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)



朝の光も様々で、暗い内に現場についても直ぐに日が昇って来ます。暗い内ですから光は段々強烈になって来ます。本当は昼の光が強いですが、慣れてしまって強烈に感じないものですね。夕日は私は丁度夕食の用意で殆ど出かけられないですが、秋の夕日は歌にもあるようにドラマチックで好きです。

この日の蓮田にほのかに朝日が指して来ました。



少し半逆光だと柔らかいです。





蓮田の場所にもよるでしょうが、逆光ですとモノクロの様になってしまいました。







少しカメラを逆光を避ければ少し柔らかさが出るでしょうか。





雫もあるのですが、この日は大きな玉は出来ないでした。





日が高くなり青空であります。



野道も何もかも輝いています。



帰る8時前でしたが最早花も光で萎えそうな感じでした。公園等と違い食用ですから違いますね。

上の言葉
(何という難しい言葉でしょう。少し傷付く言葉を人から受けても、怒りが湧いて来る人の心ですのに、まして自分を迫害されたらどうでしょう?今の日本は平和ですが、もし他国から迫害され、弾圧を受けたらどうでしょう?そういう事が世界ではアチコチで起こっています。やはり我らはその立場に立てば相手の為に神様から示され祈れるかもしれません。自分も相手の為にも。しかし小さな身近な人にも、神様は傷つけた人の為にも祈りなさいと言ってられるのです。そうすれば、必ず祝されると思います。)

水の森

2016-07-25 07:57:12 | 日記
自分の畑を耕す者は食量に飽きたり、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。(箴言(箴言12章11節)



草津水生植物公園「水の森」へ寄りました。ここは数回立ち寄った事がありますが、いつも蓮かスイレンしか撮らなかった記憶です。いつも地味な所ばまり行ってますから、カラフルで美しいです。





ゲートを入った所小さな滝と蓮が美しいでした。そしていろんな花が配置よく植わり、夏でも鮮やかなこと!



モネの絵を模した池と思うのですが、多くの花が植わり、スイレンは美しく可愛いです。





蓮がメーンの公園ですから美しい蓮ですね。



奥の温室での熱帯スイレンです。これからいろんな場所を回ります。

上の言葉
(自分に与えられたものを、努力して成長させる人は、生活に困らなくなります。しかし夢を追うのもいいですが、余り自分に過ぎたものを追ったり、空しい偶像を追うのは、生活が苦しくなってきます。思慮に欠けた者に
なるでしょう。だから神様に自分はどの道を進むのかを祈りつつ、その時その時示されたことを努力する事が大事でしょう。)

向日葵

2016-07-24 07:49:01 | 日記
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 (詩篇23篇1節)



一昨日、また琵琶湖南部の守山と草津の水生植物公園「みずの森」へ行けました。城陽の蓮とで続けて3か所、それも夏の花、蓮に向日葵を撮影出来たのですから嬉しいです。後は朝顔でしょうか。
知人がこの向日葵の植わったなぎさ公園の近くに住んでいまして、「咲きましたよ、」と電話下さったので、それじゃと出かけたのでした。これもすべてが整わないと出れないですから、感謝ですねぇ。



向日葵は随分長く撮ってないです。本当に久しぶり。イメージとして青空に夏雲。そして向日葵ですが、晴れの予報が曇り。残念です。そしてついでに水の森に着けば、青空に夏雲。なかなかままならぬは天気です。でも美しくて良かったです。向こうの山は比良山です。ここは冬は菜の花で比良山は雪山で、そのコラボが素敵なのです。



家族かカメラマンが圧倒的な場所ですが、中国の観光の方が。世の中変わりました。





お隣はリゾートマンションなのです。風光明美なとこなのです。



写真をやり始めた10年余り前に兵庫県へ撮りに行った思い出があります。暑かったし、道に迷い大変でした。
でもスケールの大きな向日葵畑で素晴らしかったです。もう1度は北海道のオホーツクに近いところで、ほかには比ではない見渡す限りの向日葵畑を見ました。写真は殆ど忙しくて撮れなかったですが。



また城陽蓮田とこのなぎさ公園とみずの森を更新して行きたいものです。
暑いですが、何故か爽やかさの感じられるこの頃です。この夏が守られますように。

上の言葉
(今朝のTVでクリスチャン番組「世の光」で沖縄のある病院を経営してられるクリスチャン医師の方のお証を偶然聞きました。緩和病棟を重点的にし、命が今にも消えようとしてられる方を信仰に導き、天国に行けるようにとの思いを強く持ってられるのです。人間最後が最も大事でしょう。尊い働きに感動しました。
人間は羊と同じで方向音痴。以外と解ってないのです。神様に導いて頂かないと難しさがあります。本当に神により頼む時、不平不満もなく、満たされた生き方が出来る幸いを感じます。)

朝日を浴びて

2016-07-23 07:51:40 | 日記
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。(詩篇34篇18節)



20日早朝、ようやく城陽市の蓮田へ行けました。二人とも都合の良い日がなかなか取れなくて、待ちとうしい事でした。朝4時に行こう!というものですから、慌てます。20分で家から行ける場所ですが、朝はつらいですね。でも着けば5時でしたが、丁度日が昇る頃。残念なのはいつも御贔屓にしてもらって来た寺田のハス田は朝光が良いのですが、新名神の大工事で行けず、これまたいつもの長池?です。小規模で保護された蓮があって一応安心です。この時期なら蓮は見頃ですが、花が少なく感じました。田んぼや周囲の野草に雫があって、平凡な田園地帯ですが、朝はいいです。寺田の蓮田の様に朝日が美しく入らないですが、稲田が美しいと感じました。





映り込みがあるのが公園等との違いでしょうか。でも花は食用なので貧弱です。農家が余り力を入れなくなった為でしょう。









何とか光が入る場所がありました。





農道に光が入っています。





花よりこんなのばかり目が向きます。



少しばかりの蜘蛛の巣に光が当たると虹色に輝きます。



雫は好きな被写体です。





蓮田の模様も世の様々の様に、面白さがあります。





稲田も大きくなって、9月、10月は稲刈りですね。早いものです。

上の言葉
(人の心は様々な面で厚くガードしています。人に悟られたくない、自分の弱みを見せたくない。良い人間に見せたい。頭脳明晰に見せたい。美しく見せたい。金持ちに見せたい。家族円満で仲が良い様に見せたい。もう享栄心の強さに満ちているのです。また人によっては自分が健康体に見せたい。優しい人間に見せたい。親切に見せたい。色々あります。芸能人等有名人なら、負の部分が解れば週刊誌にでかでかと。それを見て人は喜ぶ。

これは皆似たりよったり持合わせ、人間の罪に属します。こういった自分を縛るものから、神様に私は何も良いものもないし、立派なものもないです。誇るものは何にもないです。と言えた人が心が心砕かれた人です。神様はその人を救われ、その人は縛っていたものから開放され、ゆったり楽になるのです。)

浜辺とお別れ

2016-07-22 14:06:29 | 日記
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。(聖書)




蒸し暑かった梅雨も明け、以外と爽やかな日が続いています。もういい加減琵琶湖から離れなさいと、叱られそうですね。本当は1昨日、城陽の蓮に行って、今日また守山の向日葵に行けました。行ける時は行けますが。行けない時は、少しづつ小出しにしてどうにかってところです。

竹生島とも段々遠くなり、湖北とはお名残おしいです。









ようやく晴れて来ましたが、もう早く帰ります。夫は午後3時には眠くなりますから。



琵琶湖らしい漁業の仕掛けです。こういった場所が北から南の至る所にあります。



石山寺でスナップをと思って入りましたが、何故かシャッターは降りないし、バッテリーが熱くなって残念ながら中止して、帰途に着きました。何とかノロノロ旅から無事に帰れ良かったです。感謝です。♪

上の言葉
(落ち着いて考えますと、時にかなって主は相応しい事を成して下さる。そして人は霊的な者です。一人一人、永遠への思いを必ず持っているのではないでしょうか。目先の事しか考えないという人もありますが、人生には様々な出来事が起こりますから、主はそういった思いを与えられると思います。)