我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

朝鮮の不幸な歴史とは朝鮮戦争のこと 日本統治の時代は好い時代だった

2011年01月25日 | 歴史

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 旧朝鮮総督府 アホな盧武鉉サヨク政権により、歴史的建造物は取り壊されました。
 サヨクは壊すことしかできない。 
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刑法第218条

(保護責任者遺棄等)

第218条
老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、3月以上5年以下の懲役に処する。

 

 子捨ては、重罪である。日本は法治国と謂うが、上層部は権力や富をカサにきて、法治を乱している。仙谷由人らによる、海上警備の公権行使に対する妨害は、あまりにもヒドかった。故に仙谷由人官房長官と、馬淵澄夫国交相は、参議院にて問責決議に付されて、更迭された。

  慈恵病院(熊本市)の赤ちゃんポスト」なる施設の設置は、保護責任者遺棄罪の幇助に当たる。腐ったマスコミや、痴呆の政治まで動かしてこれを大々的に宣伝(パブリシティー)したことは、従犯というよりむしろ主犯とも言える。そしてマスコミ・読売などはその共犯である。仮の親がたとえ、実の親でなくとも、裕福で人格も厚ければそれでよしとの風もある。しかしおのれの身に引きよせて考えて見れば、子捨ては、子捨てである。自分が親に捨てられたと、かりそめにでも思ってみれば、その身に迫る底なしの寂寥感、世間への不信感は如何ばかりのものか。

 2007年5月に仕掛けられた罠にかかった、哀れな親らと可愛そうな捨て子の数が、これまでに 57名という。この子達は親を失った。たとえ何年か後に、もし親の元に帰ることが万一あろうとも、『親に捨てられた』事実は、この心に重くのしかかる。カネや経済的力のあるものが奢り、人の弱みにつけこんで、子供を奪う。子供の心に生涯消えない傷をくわえる。悪魔の声にそそのかされた親も、また心に傷をうける。

 そして善人者面の、『故捨て箱』 設置者は恬 (てん) として恥じない。

 マスコミも、おのれの罪を知ることも、恥じることもない。

 子を育てられない不遇な環境の親はいくらもいる。それを救うのが、社会保障を施すべき政治である。しかし日本の政治が腐って、子を育てられない、家庭を多く作っている。失業者の増加政策は、人件費の抑制で子を育てられない家庭あるいは、家庭崩壊の増加政策である。与謝野馨経済財政担当相(少子化担当相)は自民党の比例でかろうじて議員の席を得た者である。それが自民を裏切り、たちあがれ日本にすりより、終には敵とおのれが呼ばわった、民主党の傾いた政権の大臣になった。傾いた屋台骨を腐った廃材で、支えよえと言うのが、缶から菅の能なし菅直人である。この腐った廃材を蹴破って、菅政権をこん倒させる。人倫の感覚からすれば、『衆議院解散』総選挙で国民の信を問うべしの声は、すでに日本国中に充ち満ちている。

 国民はキムチ・マスコミに乗せられて、『政権交代』を選ばされた。

 しかし民主党政権は、日本の一般国民を捨てる、『子捨て箱』であった。

 

民主党は史上最悪の政権である。 たたき壊べしと思う方
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 能力のある者が、派遣や契約で、高い収入を得る。結構なことである。ところが子供が、いきなり冷たい世間に投げ出される。仮親とも謂うべき、企業は気に入らなければ、人を変えろと派遣会社にいう。あるいは契約を打ち切るという。

 人間を雑巾のように酷使して、ボロボロにして儲ける企業には減税を行う。無能で奢る役人には、多額の報酬をはらい続ける。これでは予算が足りなくなる。

 無能で恥知らず、ただ財務相の官僚に取りすがる根性だけは異常に強いのが、廃材の与謝野馨経済財政担当相である。

 

 

 

 

 
  前原誠司

 もう一人無能で恥知らずがいる。ラベルは「青年将校」だが、本当は単なる、コスプレの中味はキムチ臭いニセモノである。

 前原外相は国防では右よりともいわれるが、じっさいは外交演説の要旨 を読んでもわかるが、単なる事大主義者のヘタレにすぎない。「身の丈以上の外交を展開することは困難だ」と言うことだか、これはニセモノの「平和」つまり、防衛は主体性を放棄して、自衛隊は張り子の虎ならぬ、雨のポチに徹せよ言っているにすぎぬ。雨に濡れたら上っ面の外装が剥がれ、中味は防衛装備を食い潰す予算喰いムシだらけ。田母神氏のような軍務の実務者で愛国者は追い出す。ただ、只アメリカ軍産や、日本にもいる国際金融売国グループのフトコロを肥やすだけ。このような制服組とその周辺の防衛族のオモチャが、前原軍装コスプレ人形ではある。

 

 田母神氏は、一般に信じられている国防予算よりもはるかに安く、日本の普通の国への軍事力整備ができると言っている。

 このような防衛実務の解る人物が、大きな影響力を行使するようになれば、防衛族の不当な権益は大きく損なわれる。それでアメポチの犬=防衛背広組=防衛省の前にある犬小屋、その糞掃除当番の北澤防衛相はあろう事か、防衛省出身の田母神氏や佐藤議員に諜報機関員を配置した。諜報部隊は日本国を武力・暴力で攻撃せんとする組織への情報対応組織である。これを日本国内の政敵に配置するとは、権限の逸脱もはなはだしい。文民統制とは国民の信を請け、国民の安全を保全するために、政治が実力部隊を統制すること。その国民の利益をまもるべき政府が、尖閣や北方領土問題では失策つづき。その缶カラ菅の菅内閣の責任を問う、国民の防衛問題のために働くまっとうな田母神氏らを、スパイするとは何事か。

 

 『北朝鮮とは日朝平壌宣言に基づき、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算し、国交正常化を図る。』などと前原外相は今や反故同然の『日朝平壌宣言』を持ち出している。自民党に潜んでいた、北朝鮮の大物スパイとも言われるものが結んだ売国国交が、『平壌宣言』である。これは日本人拉致を恫喝材料として、日本国から金品そして技術あるいは優秀なる技能者を奪う、北朝鮮の国花を挙げての、【誘拐事案】である。

 前原の売国キムチの本質は、『不幸な過去を清算』と言ったときから、軍装のコスプレが破れて、朝鮮のスパイの本性がむき出しになる。日本国の朝鮮統治は、半島にとっては『幸福』な時代だった。農地や農民には適切な政治が行われ、生産は何倍にも増えた。国民教育も実施された。日本国本土に出稼ぎにも行け、努力する者は財をなすことも出来た。朝鮮国内のインフラも整備された。

 朝鮮の不幸な時代は、日本が朝鮮統治を止めた戦後におこっている。

 朝鮮戦争が朝鮮の不幸の始まりである。一説によれば、300万人以上の朝鮮人が死んだという。国土も荒れた。人心も荒れた

 これを、日本国の所為にする、『不幸な過去を清算』を言う前原は、国賊である。

 

前原はキムチの手下。日本国から富を奪って、朝鮮半島に送る。 この売国は許せぬ、そう思う方
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本日の話題の記事

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アクセスの記録  2011.01.24(月)    1839  PV     563  IP     1055 位  /  1525770ブログ

 

 

 

 過去記事などの ご紹介 

 

前原外相は 三枚目のダイコン役者

 2011年01月16日 政治


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日本人はバナナだと言われたことがある。

肌の色は黄色だが、中味はまっしろだとか。

誉め言葉ではもちろん無い。アジア人から見れば、欧米の植民地主義者とおんなじに、抑圧者だと云う意味で、白人とおなじと言われる。

 

 『日本はさきの大戦で、アジアの人々を苦しめた』とかいうのは、これはウソ。小生は戦後生まれなので、直接見聞きしたわけではないが、戦争の経緯とか、満州国の有様は親族から、聴いている。よく謂う『満州は日本の植民地』は日本を占領した、米軍のウソである。亀はおのれの甲羅にあわせて、穴を掘るとはよくいわれること。つまり自分らの関心事に、アナロジーしてしか物事が見えない。フィリピンの開発の遅れを見れば、占領されて植民地にされた経済と、日本が投資開発しそして国家再建を手助けした満州の経済がまったくの別物だと解る。東亜の新秩序とは、大日本帝國が軍事的には安全を保障して、それぞれの民族が自分の国は自分で運営する、そのような世界観実現の政策だったのだろう。

 満州は独立国であった。只軍事的には、自立がおぼつかないので、関東軍が後ろ盾となっていた。

 しかし、『金融のグローバリズム』とかは無かったので、資本関係では日本の大きな影響下にはあったと思われる。

 

 戦後になり、日本は東アジアの権益をすべて奪われた。東アジアとは、支那と朝鮮そして台湾である。樺太や千島列島もその範囲であり、委任統治領のグアムなどマリアナ諸島も東アジアの範疇である。地政学的には、ベトナムあたりも漢文化圏なので、範囲に入るという言い方もある。しかし、"漢文化圏"などという言い方は、シナチク臭い。当時の日本が経営に力を入れていたのは、朝鮮と台湾そして樺太であった。満州は独立国であり、日本は軍事的後ろ盾、これが原則であった。

 

 アメリカが日本にハルノートを突きつけて、満州から追いだそうとしたのには、ワケがある。

 日本国を占領したかった。

 たぶんそのようなことは、出来ないとは思っていただろうが、そのように夢想していただろうことは、今から思い返せば想像出来る。

 

 小生はアメリカ占領下の時代に生まれた。しかし占領されていると実感したことはほとんど無い。田舎の村には占領軍など一兵もいなかった。

 ただ、頭髪や衣服の中に、DDTを噴霧されたのには、たいそう腹が立った。これを実施した学校の先生や関係者には腹が立つというよりも、「無能な奴らだ」と心底で侮蔑していた。わが郷では貧乏ではあるが、ほとんどの生徒は下着や靴下は、毎日洗濯したのをつけている。ほとんどが農家であるから習慣として、毎日新しい湯に入る。

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 皇統でも二千数百年。文化的連続性ならば、数千年以上もある日本を、たかだか江戸時代に英国から独立したばかりのアメリカが、植民地にする。あり得ない妄想と思うのが、常識ではあろう。しかしその気違いじみた、愚劣な陰謀に荷担する者がいる。

(この記事の全文は、ここクリック してお読み下さい。)

 

 

 

 


うずくまるヴィーナス

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サッチャー Margaret Hilda Thatcher

2011年01月25日 | 政治家

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 マーガレット・ヒルダ・サッチャー(英語: Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher, LG, OM, PC、旧姓:ロバーツ(Roberts)、1925年10月13日 - )は、イギリスの政治家。

イギリス史上で初めて保守党党首、英国首相(在任:1979年 - 1990年)に就任した女性。1992年からは貴族院議員。保守的かつ強硬なその性格から 鉄の女(the Iron Lady)あるいはアッティラ(Attila the Hun)の異名を取った。


 マーガレットサッチャー 鉄の女
自虐史観と官僚への労働組合の圧力を消し去り、
フォークランド紛争で徹底的にひるまず自国領土を守り抜いた鉄の女

マーガレット・ヒルダ・サッチャー
(英語: Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher, LG, OM, PC、
旧姓:ロバーツ(Roberts)、1925年10月13日 - )は、イギリスの政治家。元首相。

ーーーーーー
イギリスの奴隷制度などの自虐史観からの脱却をやり抜いた人がサッチャー。
戦争などの自虐史観を払拭するためのお手本として、
安部晋三、平沼氏などが例を挙げる政治家。

【新自由主義】

1979年の総選挙では、イギリス経済の復活と小さな政府の実現を公約として
保守党を勝利に導き、女性として初めてイギリス首相に就任。
そして、市場原理と起業家精神を重視し、政府の経済的介入を抑制する政策を取った。
こうした政治姿勢は新自由主義(ネオリベラリズム)あるいは新保守主義と呼ばれ、
理論的には、ハイエクやフリードマンの経済学を背景としていると言われる。

新自由主義の立場に基づき、サッチャーは、
電話会社(1984年)やガス会社(1986年)、空港(1986年)、航空会社(1987年)、
水道事業(1990年)などの各種国有企業の民営化や規制緩和、金融改革などを断行。
また、改革の障害となっていた労働組合の影響力を取り除く政策を多く打ち出した。
さらに、所得税は25%~80%の11段階から、
25%と40%の2段階へ、法人税は50%から35%へ、それぞれ段階的に大きく引き下げられた。
一方で、付加価値税(消費税)は、8%から15%まで大胆に引き上げられた(1979年)。
ーーーーーー
ほぼ時を同じくして、1980年に選出されたアメリカ合衆国大統領の
ロナルド・レーガンも新自由主義的な政策を数多く打ち出した。
さらに、カナダでも、1984年に選出されたマルルーニー首相は保守派であったため、
80年代はアングロサクソン各国において新自由主義が支配する時代となる。
また、この時期、日本においても、1982年に誕生した中曽根内閣によって、
行政改革や国鉄分割民営化(1987年)などが行われた。

この世界中で大流行した、行財政改革で日本経済の縮小が刻まれたんだよね。
このあたり、アクセルとブレーキの両方をふむという
不思議な現象がおこっていたんだよね。

インフレのイギリスの経済政策を
デフレの日本がやってどうするのか?

竹中平蔵氏の新自由主義はこのあたりから生まれたのだろうなぁ・・。

でも、この新自由主義によってイギリスのインフレーションは抑えられた。
そして、経済が回復したんだよね。でも、これってインフレ政策だったんだよね。
それをデフレの日本で今もやっているってふしぎね

マーガレット・ヒルダ・サッチャー(英語: Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher, LG, OM, PC、旧姓:ロバーツ(Roberts)、1925年10月13日 - )は、イギリスの政治家。

イギリス史上で初めて保守党党首、英国首相(在任:1979年 - 1990年)に就任した女性。1992年からは貴族院議員。保守的かつ強硬なその性格から 鉄の女(the Iron Lady)あるいはアッティラ(Attila the Hun)の異名を取った。

 

 

 

 

 

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