『明日は誰が迎えに来てくれるの?』
か細い声でその人は言った
白い部屋の、固いベッドに寝かされたままで、私たちに向かって呟いた
ごめんね 連れて行けなくて・・・ こころが痛みました
初孫の結婚式に、どうしてもどうしても出席したかったんだよね
身体が不自由になって、外出もままならないと諦めていても、行きたかったんだよね
11月が始まったばかりの日
婆がお世話になっている苑から電話が入った
〝肺炎を起こしていて、酸素濃度が低いので入院しました〟と聞かされた
息子の結婚式の日だけは、 会いに行ってあげられなかった
みんなで盛り上がっていたあの時間を、病院にひとり残していたのは事実。。。
きっと淋しかったんだろうな 淋しくない筈が無いよね ごめんね
結婚式の翌日、遠くに暮らす相棒の弟を連れて、病室を見舞った
様子がおかしい 目を開けてはくれない 何故? 何があったの?
「熱が上がったんですよ」 処置を終えた看護士は言った
義弟は、婆の手を取ったまま「たぶん分かってるよ」と、ぽつりと言った
せめてこの時だけは、目を覚ましていて欲しかったのに…
日を帯びるごとに悪化の一途~ 看護師は熱があるからだと言ってのけた
入院から14日目、医師会病院へ突然の搬送 不整脈があらわれたからだとか・・・
一度も、、、担当医師からの説明は有りませんでした (今も聞いてはいません)
どうして? どうして・・・ 長い道のりを南へ南へ走った
医師会病院の救急センターにて、即刻 検査!
重症の肺炎 一刻の猶予も無い 集中治療室にての治療が始まった
家族と会えた時、婆は言いました 《心配掛けるね》って~ 心配掛けていいんだよ
あの時と一緒
三年前の冬、私の母の命の闘いが始まった時と、まったく同じだ
強制的に眠らせて、生きる為の治療が始まった
かなり重症だと、担当のドクターは言い、事細かな説明をしてくれた
何とも言えないが、今はただじっと祈るしかない
再び会えるまで、みんなでここで待っている 婆の闘いは、まだ始まったばかりです
こんなこと書いて~と、誰かにお叱りを受けるかもしれないが、どうかお許しを-
絶対に元気になる! そう願って待っています