さて、父の入院と手術の話の続きです。
入院2日目(1/9)に主治医が手術の予定日を
繰り上げてくれて15日(水)になり
有難い気持ちと、
そんなに急いでるのかという気持ちながら
調整をしていたら、
更に変更になって17日(金)に変更に。
最初は22日(水)で調整出来るかもという
話だったので、17日でも早くなってるんですが
人間欲深いもので15日と一度聞いてしまうと
本当なら…と思ってしまいます。
頑張って下さってるのに申し訳ない。
そんなわけで、
私が主治医の説明を聞きに10日(金)の
3時以降に来て下さいと言われたんですが
当日朝になって4時頃に変更、
説明前に父に会っとこうと面会30分を考慮して
3時半頃に行ったら、
面会は30分で切り上げて待合ルームに移動して
待つよう念押しされて、
厳格なんだなぁと思う。
思ったより元気そうな父と
昼間はコルセット外すのを許されてるみたいで
床擦れ防止に少し動けるようでホッとして、
とりあえず“報連相”を済ませて30分になる頃
看護士さんがきて、
主治医が手術中で長引いてるため
少し待って欲しいことと
移動してくださいということを言われる。
その時に、看護士さんに確認したいことを
いくつか確認させてもらう。
主治医の手が空いたので、説明を聞く。
そこで、父の背骨が隙間がない
1本の竹のような状態であること、
手術するしかないこと、
神経のあるところだから何が起こるか
その何かがどの程度の状態として起こるか
やってみないとわからないこと、
無事に手術が終わって順調にいけば
2月に入ったらリハビリ病院に転院すること、
そのリハビリもどの程度のものになるかは
やってみないとわからないし
本人の頑張りで変わること、
術後のトラブルが起こる可能性もあることetc
今は “可能性” がある悪いことは
全部説明しておくのが普通なので
どんなことが起こる可能性があるか
怖いことをいっぱい説明されました。
そして、肺の腫瘍の方は
とりあえず『神経鞘腫』という
良性の可能性が高くて
そんなに急がなくていいということになり
この病院でしてもらうことは
『第一腰椎と第二腰椎を繋げる手術』と
それに伴うサポートということになりました。
移動ができるようになって
リハビリ病院に転院して様子を見てから
肺のことは考える。
胆石のことは一旦忘れようぐらい
最後回しで良し。
そこまで無事に辿り着けるよう
今できることは…ない!!!
動かしちゃいけないし、
面会30分では話をするだけで
看護士さんの代わりに出来ることもない。
(食事や着替や下のことなど)
母が入院してた時代とは
すっかり変わってしまいました。
12日(日)
妹が面会に行くと病室が
ナースステーション前に移動している。
“せん妄”が出てきてしまい、
動かしてはいけないのに動く可能性がある為
見える場所ということらしい。
13日(月・祝)
妹と面会に行く。
父は普通そうで、
“せん妄”という話は何だったんだろうと思う。
ご飯が美味しくないらしい。
許可が出たブラックコーヒーを飲んで
気を紛らせてもらう。
父の好きなナンプレを持って行ったので
気晴らしになればなと思う。
腕を動かしにくくて やりにくいだろうから
やってくれるかわからないけれど。
14日(火)
妹が面会に行くと
“せん妄”がおこっていたらしい。
今できないことを しなければと言ったり
見えなくていい人は見えるのに
亡くなった母さん(実母ではなく妻の方)は
見えないのが嫌だと言ってるらしい。
確かに問題発言ではあるけれど、
まだ筋書きがしっかりしてるので
私が思うものより酷くないと思ってますが
妹は深刻に思ってるようです。
私は腎摘手術後の麻酔あけに
母の幻覚が見えたりしたので
手術前ストレスで動けないし
思うことがいっぱいあるのに
思うように出来ること何にもなくて
ここが此岸なのか彼岸なのかと思ったし、
私は手術まで日が短かった上に
切っちゃえば何とかなるよーという
あっけらかんタイプの主治医だったので
とにかく早く切ってくれだったけど、
切る時に あんなことあるかも
こんなことあるかもを強調されちゃったから
冷静になると怖いこといっぱい考えちゃうの
かもしれないなーなんてことを思ってます。
さて、今日はどんな様子だろうか。
きっと明日は手術の準備に入って
説明をいっぱい受けることになるだろうから
今日は手術のこと考えずに
過ごしてもらえたらいいなぁ。
父のサイズに合わせてあるコルセット。
なかなかのお値段でビックリしたけど
そりゃそうだよなです。
しっかり父を支えて下さい。
よろしくお願いします。