東海道を歩いていると、知らず知らずに神奈川県を過ぎて東西に長い静岡県に突入した。
電車賃は馬鹿にならない。そこで思いついたのが、この「青春18切符」。
長い休み期間だけ発売され、JRの普通電車が一日乗り放題という優れものである。5回(5人)ひとまとめに売られていて、11500円。1回分(一人分)2300円というリーズナブルさである。
「青春」という響きに気恥かしさを十分に感じて、JRのみどりの窓口で「青春18切符をください。」というのがとっても勇気がいったが、年齢制限なしという何とも有難いルールによってこうやって使わせていただく。
今回はそれを利用して、このタイトルのように、静岡県富士市の山部赤人の短歌「田子の浦 打出てみればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りつつ」で有名な田子の浦から関ヶ原の戦いで功績を上げるまで山内一豊が居城としていた掛川城がある掛川まで、電車を大いに利用しての一泊二日のウオーキングを決行した。
え~!電車でウォーキング?とツッコミを入れられそうですが、やはり私たちの年齢や体力では無理はしちゃいけないと感じておりますので、文明の利器は使わせてもらいます。それでも、東海道と電車の駅はなかなかリンクしていないので、歩かなければいけないところは多々あったのですが。
この二日間は平家が水鳥の羽音におそれを感じて逃げ帰った「平家越えの碑」や「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」で有名な大井川を見ることができる。それに駿府城や掛川城もコースに入っている。楽しみに胸をワクワク(蛇足ながらこのブログのタイトルの由来である)させながら今回も臨む。果たして大正解で、行ってみて確認できたことが数々あり、期待はやっぱり裏切らなかったなーというのが実感である。実際に行ってみることの大切さを再確認できた旅でもあった。
それでは、珍道中の様子を詳しく書くことにする。
平成24年8月6・7日(月・火) 夏休みももう中盤に差し掛かり、時間の流れは早いな~と感じながらも、時の流れに身を任せている中、出立する。
上溝駅、6時25分の相模線に乗る。いろいろ乗り継いて、8時53分東田子の浦駅に到着した。この日も晴天で、電車の中は冷房が効いていて快適だったが、一歩外を出ると、灼熱の太陽という言葉が、ぴったりとくる天候であった。
駅を降りて、海岸の方へ行き、俗に千本松原と言われている防風林の中を、山部赤人の碑を見つけようと、海岸線をずーと歩いた。また、何人かにその場所を聞いては見たが、はっきりとはみなさん分からず、結局地元では私たちが有名でその場所を見てみたいと感じるまでの史跡ではなくて、そんなに力を入れていないんだな~と感じた。
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実際その和歌が作られた場所は分からなかったが、同じようなところを歩きながら考えたことは、昔はこんなに海岸は整備されていなかったから、松林から海岸に出るともうそこは波打ち際で、波の打ち寄せる時に出る白い波しぶきと、振り返るとそこには富士の雄姿があり、その高嶺の雪の白さとを対比した和歌なんだろうと二人納得しながら歩く。何しろ暑かったので、最初から根負けして、この碑は見ないでいいやということになった。
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海岸をあとに東海道に戻り、次の目的地へ行く。
この辺は富士の名所であるので、見えたらさぞかし見事な富士の雄姿を拝見できただろうが、いかんせんこの日は天気は良くて気温も高かったが、富士山には厚い雲がかかっていて、全く見えなかった。
次は、いよいよ「平家越の碑」と広重が東海道五十三次「吉原」で描いている「左富士」である。ここへ行くまでも道に迷いながらだった。
まっすぐに幅広な道を東海道だと思いながら歩いていて、今思うと笑っちゃうけど、「左に富士が見えるには道が大きく迂回していなくてはいけないからきっとこの道を整備するときに、真っすぐにしちゃったんだよ」などと二人して納得しながら歩いていた。結局、一本道を間違えていたのが分かり、遠回りしたが、何とか見れた。
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ここでの発見は、富士川の戦いに義経が参戦していたことである。碑の中の絵には右の端に「義経陣」と書いてあった。以前私たちは、三島の「八幡神社」で頼朝と義経が対面して柿を食べたという「対面石」を見ている。その後二人の関係はねじれていくのだが、どうもこの富士川の戦いの前に対面し、その後に、この戦いに臨んだようだ。でも、他の資料では平家を退却させた頼朝のもとに、奥州から義経が駆けつけて対面したとあるが、どっちが正しいのか。
また、左富士の場所では、広重が描いている松が現在でも同じような形をしてそびえ立っていた。これは趣深いことだ。それに、ほんとに道が湾曲しているので、西に向かう時は本来なら右手にある富士がほんとに左手にあった。(実際には雲で富士山は見えなかったが)
次に、吉原から蒲原までは電車で移動した。
蒲原から由比までを歩く。ひと駅分とはいいながらもやはり歩きは大変である。
由比宿では、由比本陣跡や由比正雪生家を見る。そして、昼に食べた「桜えびのかき揚げ」の絶品のこと。こんな美味しい桜えびを今まで食べたことがない。やはり地元独特の揚げ方でもあるのか。残念ながら写真を撮ってこなかった。きっとあまりにも疲れていて忘れたのであろう。そして食べてからこの美味しさに気づいたのかもしれない。
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由比駅から清水駅までは電車で行く。この清水は昔江尻宿があったところで、今川氏が支配していた頃から栄えていたが、海を持ちたいという武田信玄が江尻城を築いて発展を遂げたらしい。清水は、私たち世代は清水次郎長が有名だが、今は清水次郎長よりもちびまるこちゃんや清水エスパレスが有名な町である。
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次に新清水から私鉄に乗って「狐ヶ崎」に行く。ここは私たちが興味を持ち始めている「梶原景時」の墓があると資料に載っていたので、探しに降りてみた。が、実際には墓は見当たらなかったが、それに引換に大きな収穫を得た。
天気が良くなり、虹が出た。今日初めて富士を見た。鉄道の上を川が流れている、そんな光景を見た。
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梶原景時の墓は見つからなかったが、駅の近くの吉川神社に行ったら、梶原と吉川家(きっかわけ・周防の国の領主・参勤交代の折いつもこの神社によって奉納する律儀な性格が家康に気に入られてこの領土をもらったとされる)のつながりがあることがわかった。
家に帰ってからインターネットで調べてみたら、どうも景時の三男景茂を討ち取ったのがこの辺の豪族吉香友兼(きっこうともかね)で、その人は吉川友兼とも呼ばれていて、景茂の首を取った刀はこの場所の地名をとって「狐崎」(きつねがさき)と呼ばれ、国宝になって吉川家の家宝として代々受け継がれているということである。
ちなみに、この近くで、梶原景時一族郎党全員が戦死したとある。頼朝と同じく文化人で読み書きに優れ、重宝された景時も頼朝死後はこういう結末が待っていろうとは思いもよらなかったであろう。
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東海道に戻って、薄暗い中、草薙駅まで歩く。
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草薙駅からJRで静岡駅に行く。ここで宿をとっているので、一日目終了である。
予約した駅近くのビジネスホテルに荷物を置き、夕飯を食べに行く。そこでは海の幸を食べようとしたが、紹介されたところがいかんせん高いので、同じく紹介された焼肉屋さんに行くことにした。そこが「ソウル」とかいうお店で、チェ・ジウの親戚だとかで、食べに来たとか、羽鳥アナウンサーも昨日来たとか、他にもたくさん有名人のサインが飾ってあって、そのくらい舌の肥えた人達が好んでいるらしいので、さすが、美味しかったと感じた。
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ホテルで、徳川家康が好んで飲んだという緑茶を飲む。それを飲みながらオリンピックの確か女子体操を見ていた。炎天下の中23キロも歩いて疲れているのでバタンキューかと思いきや、なかなか寝付かない。私はこの美味しい家康のお茶にカフェインがふんだんに入っているのかな~と思った。翌朝、千ちゃんに聞いてみたら、千ちゃんはそんなことがなく、私が全く聞こえなかった救急車のサイレンで見が覚めたと言っていた。ちなみに私の部屋の方が道路側なので、おかしいな~。人によって気になるものが違うようである。
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静岡は、駿府とも言うし、府中宿もある。いろいろな呼び方がされている。明治になって統一したらしい。
そう、この駿府は家康が今川に人質として19歳までの12年間生活をした場所だし、その後、駿府は信玄に攻められて焼き払われ、さらに、家康が武田勢を攻めて、壊滅状態にしているということだ。でもその後、家康は正式に駿府に入り、この駿府城を建て、関ヶ原で政権をとったあとも、この駿府城を老後の隠居城として整備させたということです。家康にゆかりがある土地である。
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駿河からは安倍川餅で有名な安倍川に歩いて行く。
江戸時代から続く安倍川餅を食べさせてくれる老舗「石部屋」(せきべや)へ行く。
そこのおじさんは色々話してくれたが、一番頭に残ったのは福山雅治が「安倍川で安倍川餅を食べる」と言って、この店ではなく、となりのお店に行ってしまったということである。以後、そっちの方が若い人が行くようである。なるほど、安倍川を渡る前にその前を通ったら、福山雅治や仲間由紀恵などの有名人の写真が大きく掲げてあった。
また、安倍川餅はきなこ餅のことで、砂糖は貴重なのでそのまま乗せてあった。
こちらも引けを取らずに、有名な人が来ていて、山下清さんも何度も来たらしい。
安倍川のところには薩摩藩に作らせた堤防もあった。
また、謀反の企みが露見した由井正雪は、府中宿で捕らえられ、安倍川の畔で処刑されたという。石碑があった。
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安倍川駅に行くのも大変で、歩いて安倍川を渡り、彷徨いながら安倍川駅に到着した。そこからは焼津に行く。焼津がマグロの漁獲高日本一とか聞いていたので、そこでお昼を食べる。駅から5分ほど歩いたところに手頃のところがあった。マグロ丼を食べる。果たして大正解で、まあ、歩き疲れたこともあったのか、これほど美味しいマグロを食べたことがないと思えるほど美味しかった。それも一日限定10食のマグロ丼を食べられた。
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次に焼津駅から大井川がある島田駅までまたJRに乗って行く。
島田駅から大井川近くの島田市博物館までもだいぶ歩いた。そこに行くまでの道は昔のように宿屋が立っていて、人足の人形や当時の風景の写真も展示してあった。
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大井川は東海道の難所の一つで、急流のために雨が降ると度々「川留め」となった。そこで島田宿で文化が芽生え発展してきたといわれています。
川越賃金は、川の深さと川幅によって違い、毎日測って決めていたそうです。
股通(太ももあたりの深さ)では48文(1440円)から脇通(首下、脇あたり)で、94文(2820円)(1文30円で換算)で、5段階に分かれていた。一人で肩車をして渡ればこの値段だけど、蓮台を使えば4人分のお金がかかる。そう考えると、川を渡るのは随分お金がかかったものである。
でも、行ってみて分かったことは、もう大井川は昔の水量はなく、写真のような川幅が広く水量も満ち満ちている大井川のイメージとは程遠く、バスで大井川を渡ったが、残念なことに川幅5メートルくらいしかなかった。小学校くらいから大井川といえば「越すに越されぬ」と思っていた私にとっては、とてもがっかりとしたことであった。
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博物館で新しい発見があった。
それは現代、花嫁さんが結う髪型が島田髷(まげ)と呼ばれ、虎御前(仇討ちで有名な曽我兄弟の兄十郎の恋人)が考案したという。そもそもこうやって興味を持って東海道を歩くようになったのも、「曽我兄弟の密命」をいたく感動して読んでからで、こうやってここでもこの曽我兄弟に関係ある人が出てきたのは驚きものである。
芭蕉の句碑もあった。
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「馬方は しらず時雨の 大井川」
「さみだれの 空吹きおとせ 大井川」
最後は、金谷駅までバスで行き、そこからJRに乗って、掛川駅まで行く。
そこは、大河ドラマ「功名が辻」で、舞台になったところで、その当時なのか、だいぶ町自体が整備されている感じがした。
5時を過ぎていたので中を拝観することはできなかったが、掛川城の外観を見ることはできた。
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掛川駅近くのコンビニで夕食のおにぎりを買い、電車の中で食べる準備をして、電車に乗り込む。上溝の駅に着くまで約4時間かかる。自転車大丈夫かな~と心配しつつ。
泊りがけの東海道珍道中も1回目の小田原、2回目の三島、そして今回3回目を数え、安い手段を覚え、充実を増している。
歴史とは何と奥深いものなんだろう。考えてみれば、こんなたわいもない私にも小さい歴史があって今がある。それが大きな流れに合流して時間が形成されている。そんな人間の営みの中で生きていかなくてはいけないのである。そんなひとつの小さいことを紐解く楽しさを今回も十分堪能できた。
いつものようにこうやって歩ける幸せに感謝して筆を置こうと思う。
炎天下の中、たくさん歩いて本当にお疲れ様でした。
こちらも相模原や埼玉から教員仲間が遊びに来てくれ、
大満足の夏休み。
明日から学校。
最後の学期です。しみじみ。
またおじゃましますねー