平成26年7月16日(土)、かねてから行きたいと思っていた、小田原攻めの口実となり、豊臣が全国を治め、戦国時代が終わるきっかけとなった事件の山城「名胡桃城」へ行ってきた。
大河ドラマ「真田丸」の影響で、各旅行社が長野・群馬方面のツアーを組んでいる。その一つに、日帰りで「群馬に残る真田氏ゆかりの城へ 岩びつ城・沼田城・名胡桃城」と、いうのがあり、丁度いいので、申し込んだ。
岩びつ城は大河でやっていたように、真田昌幸は織田・徳川連合軍に攻められていた武田勝頼を迎えようとこの岩びつ城に御殿を作っていたというので、見てみたいし、
沼田城は、一旦は、1587年には真田信幸が任せられたけど、秀吉の裁定で、利根川を挟んで、沼田城がある東側は北条氏、名胡桃城がある西側は真田氏として、北条氏邦の重臣猪俣氏が支配するが、その直後、「名胡桃城事件」があって、北条氏が滅亡したため、また、信幸が帰ってくるという、歴史的な場所である。
では、順を追って、載せておこう。
まずは、岩びつ城。
ここは、岩山に築かれた山城である。鎌倉時代、ここに鷹狩りに来た、頼朝が「この山はおひつ(ご飯を入れておくもの)に似ている」と言ったということから、付いた名だという。歩いてみると、急な縦堀や横堀、それに崖もあって、なかなか攻めづらい城だと感じた。
武田信玄の部下であった、真田幸隆(信幸・信繁の祖父)が置かれ、上州攻略の拠点となった城である。その後、昌幸が持てる知謀の限りを尽くして整備し、昌幸自身の作戦能力に絶対の自信を持っていたのが伺える城でもあると、ガイドさんが言っていた。
次に、沼田城。
沼田城には、信幸と小松姫の銅像が立っていた。
有名な話で、関ヶ原の戦いの際に、上田に戻る昌幸・信繁親子が沼田城を訪ねた際、入城を拒んで、女丈夫とうたわれたという。一方で、正覚寺を宿として提供し、ここに、4人の子供を連れて、会わせたという。
犬伏の別れとして、真田の名を残すように、東西に分かれたと思っていたが、ガイドさんが言うに、最初から別々で、独立していたのだから、自分たちそれぞれの考えで、動いたのではないかということだった。兄弟・姉弟間での手紙も頻繁にしていて、家族は繋がっていたとも言っていた。
最後に、名胡桃城。
この城は、上杉と同盟を結んだ武田勝頼の命令を受けた真田昌幸が築いた城である。
ここを足がかりに、沼田城を手に入れたということだ。
この辺の地域は、豊かな土地で、それに、山を超えれば越後に行けるし、要衝の地であったことは、間違いない。だから、上杉・徳川・北条といろいろな武将がとりあったのである。
それに、この名胡桃城は真田領として残されたのに、北条の家臣が攻略してしまう。「惣無事令」(そうぶじれい)に違反したとして、怒った秀吉は小田原北条氏を滅ぼして、天下統一を果たしたのである。最初から筋書きは出来ていたのかもしれない。
こうやって、その現場に行ってみると、これから、三谷幸喜さんはこの名胡桃事件や豊臣秀俊(のちの小早川秀秋)をどのように描くのか楽しみで仕方がない。
大河ドラマ「真田丸」の影響で、各旅行社が長野・群馬方面のツアーを組んでいる。その一つに、日帰りで「群馬に残る真田氏ゆかりの城へ 岩びつ城・沼田城・名胡桃城」と、いうのがあり、丁度いいので、申し込んだ。
岩びつ城は大河でやっていたように、真田昌幸は織田・徳川連合軍に攻められていた武田勝頼を迎えようとこの岩びつ城に御殿を作っていたというので、見てみたいし、
沼田城は、一旦は、1587年には真田信幸が任せられたけど、秀吉の裁定で、利根川を挟んで、沼田城がある東側は北条氏、名胡桃城がある西側は真田氏として、北条氏邦の重臣猪俣氏が支配するが、その直後、「名胡桃城事件」があって、北条氏が滅亡したため、また、信幸が帰ってくるという、歴史的な場所である。
では、順を追って、載せておこう。
まずは、岩びつ城。
ここは、岩山に築かれた山城である。鎌倉時代、ここに鷹狩りに来た、頼朝が「この山はおひつ(ご飯を入れておくもの)に似ている」と言ったということから、付いた名だという。歩いてみると、急な縦堀や横堀、それに崖もあって、なかなか攻めづらい城だと感じた。
武田信玄の部下であった、真田幸隆(信幸・信繁の祖父)が置かれ、上州攻略の拠点となった城である。その後、昌幸が持てる知謀の限りを尽くして整備し、昌幸自身の作戦能力に絶対の自信を持っていたのが伺える城でもあると、ガイドさんが言っていた。
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次に、沼田城。
沼田城には、信幸と小松姫の銅像が立っていた。
有名な話で、関ヶ原の戦いの際に、上田に戻る昌幸・信繁親子が沼田城を訪ねた際、入城を拒んで、女丈夫とうたわれたという。一方で、正覚寺を宿として提供し、ここに、4人の子供を連れて、会わせたという。
犬伏の別れとして、真田の名を残すように、東西に分かれたと思っていたが、ガイドさんが言うに、最初から別々で、独立していたのだから、自分たちそれぞれの考えで、動いたのではないかということだった。兄弟・姉弟間での手紙も頻繁にしていて、家族は繋がっていたとも言っていた。
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最後に、名胡桃城。
この城は、上杉と同盟を結んだ武田勝頼の命令を受けた真田昌幸が築いた城である。
ここを足がかりに、沼田城を手に入れたということだ。
この辺の地域は、豊かな土地で、それに、山を超えれば越後に行けるし、要衝の地であったことは、間違いない。だから、上杉・徳川・北条といろいろな武将がとりあったのである。
それに、この名胡桃城は真田領として残されたのに、北条の家臣が攻略してしまう。「惣無事令」(そうぶじれい)に違反したとして、怒った秀吉は小田原北条氏を滅ぼして、天下統一を果たしたのである。最初から筋書きは出来ていたのかもしれない。
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こうやって、その現場に行ってみると、これから、三谷幸喜さんはこの名胡桃事件や豊臣秀俊(のちの小早川秀秋)をどのように描くのか楽しみで仕方がない。
していた城の場所や地形を見たくなりますね。たくさん写真を載せてくれてありがとうございます。
ブルキナファソから長距離フライトの飛行機の中、百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」を読みました。オススメ。