大岡越前の守と茅ケ崎
2024年4月19日㈮午後5時30分から三金会(ミニセミナー)が進交会館にて開催された。講師は茅ケ崎ゆかりの人物館学芸員
平山孝通氏。テーマは「大岡越前守と茅ケ崎」、出席者37名で会場は熱気に包まれた。レジュメに従い下記大岡家と茅ケ崎市の関係が語られた。
1、大岡家略系図によると
藤原鎌足から始まり、大岡家の初代は忠勝、始め助右衛門助勝と称す、松平宏忠(徳川家康の父)より武功を上げたため本名の一字を賜り、忠右衛門忠勝に改めた。忠右衛門は通称。
2代忠右衛門忠政の時、天正19年(1591年)5月3日相模国高座郡堤村(現茅ケ崎市堤)、380石を家康より拝領した。
2、絵葉書(大正2年(1913)発行)に見る大岡家
3代忠政の時(慶長16年(1611年))大岡家菩提寺・浄見寺を建立し、ここに大岡忠相の墓もある。
3,大名武鑑にみる大岡家(10代忠愛の時に刊行)
大岡家の歴史が詳細に記載されており、大岡越前守忠相は5代目、その正式名称は
従五位下大岡越前守藤原忠相(ジュゴイノゲ オオオカエチゼンノカミ フジワラノタダスケ)
(従五位は朝廷から与えられる位階)、大岡(名字)
越前守(官職、越前国守、福井県北部)藤原(四姓の一つ、源平藤橘)の(読み方としてはのが入る)忠相
大岡忠相は時代劇でおなじみであるが、実像は徳川幕府高級官僚で能吏、非常に几帳面な性格であった事が自筆の書から伺える。町奉行は当時3名から4名おり南町奉行に任命された時、当初能登守の予定であったが先輩に能登守がいたことから急遽越前の守に変更されたとの事。5代目として分家から本家に養子として入り、その子孫が大岡家を代々継ぎ現在まで続いている。その後加増を受け、町奉行として唯一1万石の大名になった。国持大名ではなく御定府(参勤交代はなく高級官僚として常時江戸詰)、能吏であったことから8代将軍徳川吉宗の信頼が厚く高く評価された。
大正元年(1912)11月19日贈従四位(国持大名に昇格)22日浄見寺の墓前に贈位報告(大岡家13代子爵忠綱)が行われた。
大正2年(1913)以降茅ケ崎において臨時贈位祭、贈位例祭、例祭が開催され、平成6年(1994)第39回、大岡越前祭に名称変更し今日に至る。今年は第69回大岡越前祭が4月20日、21日に開催される。大岡忠相は今も茅ケ崎市民に大岡さんとして親しまれ、当日は多くの茅ケ崎市民、県内県外からも多数の人が見物に訪れる。
エピソードも交え平山先生に熱く語っていただいたき、質疑応答も活発に行われ参加者全員大岡越前守をより詳細に知り、有意義で楽しい時間を過ごすことができた。
文責 仁井淳二 写真 稲葉昌史 記 仁井淳二
講師 平山孝通先生
初参加者 金丸潤さん
初参加者 永井浩明さん
初参加者 野田邦弘さん
初参加者 横山久雄さん
東島会長挨拶
講演に聞入る会場参加者
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