「比良沼で見た事もない生き物にあいました。
父上はしっておるでしょうか?」
「おう?」
どうやら、澄明の今日一日は、楠やら九尾だけでなかったようである。
比良沼の生き物と交わした話を伏せながら、正眼の見識を待つ。
「聞いた事がある。だが、不思議な事に
観たもの観たものすべて、違う容をいいおるそうな」
「そうでしょう」
澄明の頷きはおもいあたるふしがあるということになる。
「どうして、そう思う?」
「私の見る前で姿を変転させました」
「なるほど」
と、なれば生き物は観る者の心の映しを象っていると言う事になる。
成れば、生き物は澄明の最初の目にどう映り、
次の姿が何を映えさせたかと気になるのは、正眼の親としての思いか?
はたまた同じ道の徒である陰陽師白河澄明の推眼を量りうる思いか?
「初めは得体の知れぬ、まるで、ぬえのようにも」
蜥蜴と猿を交じり合わせたらああなるかと思う奇妙な姿に思えた。
「ところが、姿を変転させたら・・・」
「なにになった?」
「老人でした」
「ふううむ」
老人は力が弱く害のない存在の象徴ではあろう。
かてて、知恵あるものと思うは正眼だけであろうか?
「なんぞ、ことばをかわしておろう?」
生き物が澄明と交わした言葉が澄明の意識をかえさせ、
その澄明が感じたことが生き物の姿にとってかわったとするなら、
生き物はひょっとすると賢人と思わす言葉を吐いたかもしれない。
「ええ・・ああ。そうですね」
生き物と交わした言葉は白峰との定めに類する事である。
それを正眼に伝えるにはむごいものがある。
「ふむ」
澄明が口を濁し
かつ、己の思念を読ませまいと塞ぎを仕込みだすのが見えると
正眼は黙った。
気まずい雰囲気を取りつくろうかのように澄明は
「父上もしらぬものですか」
と、生き物の存在自体に話を戻した。
「わからぬの」
澄明の触れられたくない事であるとならば、おそらく白峰のことである。
生き物が白峰のことで
何かを小ざかしく知った口をきいたにちがいなかろう。
ただ、なることなら、澄明ほどの眼力のある陰陽師に
賢しいとおもわすことはなかったろうが、
澄明の泣き所である白峰のことを言われれば、
澄明のほうもその生き物を認めてしまうくぼみを持っている。
「白峰のような・・ことはあるまいの?」
「え?」
思わぬ挙を付かれて澄明が声を詰まらせた。
「いいにくいことであるが、神を魅了したお前であらば、
その生き物も」
澄明をくじる欲に狂って姿をみせてはおらぬだろうか?
「わかりませぬ。ただ、あふりは・・」
考えてみれば、澄明に欲を抱く者がいれば、
白峰のあふりが必ずあがった。
だが、その生き物が白峰のあふりを喰らった様子は一つとてなかった。
「ふうううむ」
白峰のあふりが上がらぬだけで
この生き物が澄明に邪恋の情をよせていないとはいいきれない。
「白峰の域よりも遥かに高い者なのかもしれない」
そのようなものに目をつけられたとなれば。
『結局、相手がかわるだけのことですね』
投げ出したくなるやるせない言葉をのみこんで、
澄明はついと立ち上がった。
「朱雀に問いたい事がございます」
「そうか」
思念を逸にして朱雀を呼び降ろしたいということである。
「判った。邪魔はせぬ」
曖昧模糊な生き物の正体をいくら詮議してみても
実の所なぞ判るわけがない。
朱雀に聞くが早いかも知れぬと思いながら正眼は澄明を見詰め直した。
齢十七。
双生のかのとに比べ顔付きにもどこか、暗い物がある。
たった、十三で己の運命を知らされ
白峰にくじられる覚悟をつけようともがき続けている。
ただ、親の悲哀は情けなくも澄明に好いた男が現れぬ事を喜んでしまう。好いた男がいながら白峰のくじりを受けねばならぬ澄明であらば
もっとづつなかろうと思うと、
恋も知らず
それこそ、妖狐の思い一つも汲めぬ澄明である不幸に
ほっと胸を撫で下ろさずにいられない。
『女子としての幸せな思いを持たぬことをよろこばねばならぬか・・』
正眼の苦渋が呻きとして漏れ出さぬ前に
正眼もこの場を立ち去る事に決めて、澄明宜しく立ち上がると
「わしは居間におる」
淋しくつげて、澄明の側を離れた。
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