月がとっても青いから、遠回りして帰ろう。
菅原都々子の歌だったけど・・・
彼女の邸宅がどんな所だったんか知り得る人はいないだろう。
そう。
昭和30年代の後半、時として牛車のフンが落ちていた草が生える畑道の向こうは、元陸軍の練兵場だったサツマイモと陸稲の関東ローム層、細かい土で春の嵐では向こうに見える米軍基地も霞む。
昭和40年代から相武台団地の建設が開始され畑を掘り返し、赤土だらけの造成地となる頃。
戦後くらいまでは肥料として貴重だったはずが、合成肥料の登場でバキュームカーの捨て場が必要になった時代。
赤土を掘り起こして何台ものバキュームカーが捨て去り、山盛りに埋め立てた盛り土は、月面を思わせる独特なテクスチャーと化した。
何にでも興味を持つY少年も、その月面を歩き、沈み込んでしまう恐怖を確かめてみる勇気はなかった。
そして数年後は栄養豊富な雑草の生い茂る小山となった。
当時は、畑の中の一軒家。
「菅原都々子が越して来たんだって」と言うことを聞いた。
子供心に「え、あそこなの!」でした。
大学在学中のアルバイトとして、お中元・お歳暮の小田急デパートの配達員をやっていた。
宛名は覚えていないけど、勝手口に荷物を届けたら、ご本人が受け取りに出られた。
思わず、当時の月面が頭に浮かんだけど、黙って頭を下げて裏戸から出た。
うん、うん。
月はとっても青いから・・・
そのまま黙って帰ろう
菅原都々子の歌だったけど・・・
彼女の邸宅がどんな所だったんか知り得る人はいないだろう。
そう。
昭和30年代の後半、時として牛車のフンが落ちていた草が生える畑道の向こうは、元陸軍の練兵場だったサツマイモと陸稲の関東ローム層、細かい土で春の嵐では向こうに見える米軍基地も霞む。
昭和40年代から相武台団地の建設が開始され畑を掘り返し、赤土だらけの造成地となる頃。
戦後くらいまでは肥料として貴重だったはずが、合成肥料の登場でバキュームカーの捨て場が必要になった時代。
赤土を掘り起こして何台ものバキュームカーが捨て去り、山盛りに埋め立てた盛り土は、月面を思わせる独特なテクスチャーと化した。
何にでも興味を持つY少年も、その月面を歩き、沈み込んでしまう恐怖を確かめてみる勇気はなかった。
そして数年後は栄養豊富な雑草の生い茂る小山となった。
当時は、畑の中の一軒家。
「菅原都々子が越して来たんだって」と言うことを聞いた。
子供心に「え、あそこなの!」でした。
大学在学中のアルバイトとして、お中元・お歳暮の小田急デパートの配達員をやっていた。
宛名は覚えていないけど、勝手口に荷物を届けたら、ご本人が受け取りに出られた。
思わず、当時の月面が頭に浮かんだけど、黙って頭を下げて裏戸から出た。
うん、うん。
月はとっても青いから・・・
そのまま黙って帰ろう
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