相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

※このブログは以前のYahooブログの記事のバックアップです。
そのためこのブログの更新はありません

携帯電話狂想曲!! その32(書類では交換、しかし保証期限もそのまま引き継ぐので・・・・)

2013-03-24 22:43:31 | 非鉄ネタ(携帯・スマホ等)

前回は、交換済みの「F-04D」でした。今回は手続きの関係で書類を再確認します。




今回の「故障受付票」です(自分の控)↓
イメージ 1
イメージ 2
『鳴音不良』の結果でした。


2012年3月27日に購入した「F-04D」です↓
イメージ 3
イメージ 4
ドコモショップで故障を確認しました。今回は、無償交換となりました。


しかし、「保証期限」は2013年3月26日のままです↓
イメージ 5
イメージ 6
ここにあるとおり、元は2012年3月27日の機種変更が基準です。つまり残りの期間を引き継いだ感じですね。



2枚組みの「故障受付に関する確認書」です。まずは1枚目です↓
イメージ 7
イメージ 8
本体の入れ替えなので、当然製造番号が変わります。


同書類の2枚目です↓
イメージ 9
イメージ 10
そのとおりですね。



こうして、携帯電話の問題は無事に解決しました。また故障しないことを祈るのみです。それでは・・・














            Written by 短髪豚野郎!!



携帯電話狂想曲!! その31(交換してもらった状態の『F-04D』です。何もかも同じです)

2013-03-24 20:39:15 | 非鉄ネタ(携帯・スマホ等)

前回は、半年使った「F-04D」が故障、無償交換したところまででした。




事前にバックアップを取っていました↓
イメージ 1
イメージ 2
これがあれば、新しい携帯電話にそのまま移す事ができます。(まあ、同じ機種だから)



交換後の「F-04D」です↓
イメージ 3
イメージ 4
正に新品って感じですね。


画面も↓
イメージ 5
イメージ 6
ボタンも一緒です。(当たり前か・・・ただ新品であるかないかの違い)



裏を見ます↓
イメージ 7
イメージ 8
裏のシールが新品のままです。あとでスピーカー部分のシールは、一部剥がしました。


充電池は、前のをそのまま使っています(今回は、本体の故障なので)↓
イメージ 9
イメージ 10
製造が2013年1月って、最近じゃん。たしか後継機種「F-01E」が出たのって昨年じゃなかったかな?
(もしかしたら、保有部品をそのまま組み合わせたのかも知れない)




こうして、「F-04D」が2代目を迎えました。かつてのmova「F212i」が3代目を迎えたので、別に驚きません。(ただし、故障品にあたったのが富士通製のみって何かの法則があるのかな?)


また、同じ機種に交換でも当然書類は作成されます。契約はそのまま引き継がれます。補償もそして、無料補償の期限日も・・・



次回「その32・書類では交換、しかし保証期限もそのまま引き継ぐので・・・・」に続きます。それでは・・・・












            Written by 短髪豚野郎!!



携帯電話狂想曲!! その30(2013年1月下旬、「F-04D」の着信音が鳴らず)

2013-03-24 16:07:50 | 非鉄ネタ(携帯・スマホ等)

前回から半年たった、2013年1月下旬にやっと判明しました。「F-04D」の着信音が鳴らなくなったことを・・・


その日、AU「iPhone4S」に兄から電話がかかってきました。なぜAUに・・・
兄からは「何回もおまえのFOMAにかけたが出やしない。どうなっているのだ!!」としかられました。


よくよく調べると『不在着信』とあり、兄からの携帯からでした。
実は、その前からいつの間にか「着信あり」になっていた事がありました。今回は重症です。とりあえず、仕事が終わったらすぐに近くのドコモショップで見てもらいました。



結論
 ・着信音が鳴らないのが確認とれた。
 ・原因が不明。
→これだけでした。


今回は、同じ機種に交換か預かり修理のどちらかになりますが、修理は2週間以上かかるので、無償交換となりました。ただその時は在庫なしとの事で入荷したら電話するとの事でした。


音が鳴らないので、いちいち確認しないと・・・
(しかし、富士通製の携帯はmovaの時もトラブルを起こしている。F212iなんて故障ばかり続いて3台も交換してもらった。当然、無償交換です。あの悪夢が再び・・・)



その「F-04D」です。当時は、結構欲しかった携帯でした↓
イメージ 1
イメージ 2
そんなに乱暴には使っていないのですが・・・


画面も・・・↓
イメージ 3
イメージ 4
ボタンも特に汚れてはいません。


裏です↓
イメージ 5


充電池は、そのまま使います↓
イメージ 6
イメージ 7
2012年の2月製か・・・この時期は、注文に対し大量生産しても追いつかなかった状態だったかな?



その3日後に、ドコモショップから電話が来て「商品が来ましたのでいつもでも来てください」との電話あり、そして交換してもらいました。



次回「その31・交換してもらった状態の『F-04D』です。何もかも同じです」に続きます。それでは・・・











            Written by 短髪豚野郎!!



今回3月のダイヤ改正で失われたもの

2013-03-23 09:41:07 | 鉄道・自己中ウンチク記
すでに、3月15日のダイヤ改正が行われたあとになります。


JR各社のホームページには、「新型車両」とか「この時間帯に列車を設定しました」とかがあります。




しかし、今回はそれ以上にいろいろと失われました。自分の周辺ですが、簡単に厳選したものを報告します。



①上越新幹線200系の引退
 →開業当時の車両でした。ダイヤ改正前日をもって定期運転を終了しました。今後は波動用か?


②ミニエコーの愛称で呼ばれた123系の引退
 →中央本線の辰野支線の辰野~塩尻間を走っていました。老朽化で引退、E127系が走っています。


③快速みすず(快速なのか?)のJR東海車両の乗り入れ廃止
 →長野~天竜峡1往復がJR東海車両でした。昔は115系、最近は313系でした。
  自分は、3月10日に塩尻→岡谷のみ乗車できました。


④2両ワンマン運転開始
 →大糸線では当たり前でしたが、それが篠ノ井線(長野~松本)、しなの鉄道線もやるようになりました。しなの鉄道線は完全ワンマン化される日もそう遠くないかも知れません。(ワンマン快速の登場には驚きました)


・・・とまあ、きりがないのですが、結構失われたのが大きいです。平成27年度に「北陸新幹線」の金沢延伸開業までにどうなるか・・・不安です。それでは・・・・













            Written by てつ人28面相



平成24年度の仕事を振り返って・・・って、振り返れれるんかい!!この馬鹿ブロガーは!!

2013-03-23 08:12:59 | その他の非鉄ネタ
まいどおなじみの仕事ネタです。(と言っても通算5回もいっていないのですが・・・)


平成24年度もあと1週間あまりで終わります。長いようで長かった1年間でした。
今回ほど、まじめに現実逃避したいと思ったことはありませんでした。



今をさかのぼること20年前かな?平成5年(1993年)に今の職場へ就職しました。
当時は、新井市(現、妙高市)・板倉町(現、上越市板倉区)・中郷村(現、上越市中郷区)・妙高村(現、妙高市)・妙高高原町(現、妙高市)のエリアを担当する組合でした。ちなみにJAではありません。県職員ではありません。公務員ではありません。某団体職員です。


他にも
 ①上越市・清里村(現、上越市清里区)・三和村(現、上越市三和区)のエリアを担当する組合
 ②柿崎町(現、上越市柿崎区)・大潟町(現、上越市大潟区)・頸城村(現、上越市頸城区)・吉川町(現、上越市吉川区)のエリアを担当する組合
 ③糸魚川市・名立町(現、上越市名立区)・能生町(現、糸魚川市)・青海町(現、糸魚川市)のエリアを担当する組合
 ④安塚町(現、上越市安塚区)・浦川原村(現、上越市浦川原区)・松代町(現、十日町市)・松之山町(現、十日町市)・大島村(現、上越市大島区)・牧村(現、上越市牧区)のエリアを担当する一部事務組合


・・・・がありました。それらも以前は市町村が業務を担当もしくは小さな組合などが合併しての形でした。



自分が就職したその年は冷害で、翌年は干害で、その次の年が水害(7.11水害)と3年連続大災害が続いた年でした。自分がいた組合では、「災害を呼ぶ男」とか「歩く大災害製造マシーン」とかいろいろ言われました。



年々農業情勢が厳しく、離農者も激しく・・・平成11年にこれらの組合が合併して上越一円の組合となりました。(ここまで書くと農業者は、わかるかも知れません。あと○とすさんもね)


平成14年度までは、上越本所と他支所(仮称)でしたが、平成15年度に新本所が完成(実際は市の建物と土地を購入、改築しただけ)と同時に自分のあった新井の支所と吉川にあった支所が本所に統合しました。


初めて環境が変わりました。結構、慣れなくて、夜の12時越えなんて2週間連続やったことがあります。翌日の朝5時まで仕事をして、アパートに戻りシャワーを浴びてまた出勤なんてことは今でも思い出に残ります。それだけやりがいがあったのですが・・・



さらに時が流れ、市町村合併がありました。そして、旧松代町と旧松之山町が十日町市となり組合のエリアを変更することになりました。平成18年にその2地域は隣の組合が管轄し、大島にあった支所が本所に統合されました。その前に旧名立町が上越市になったので、糸魚川の支所管轄から本所管轄に変わりました。


平成24年度・・・あれから時が流れ、人も変わりました。世代交代と言われていますが、正にそのとおりです。



さて本題に入ります。平成24年度、自分は初めて総務しかも企画広報の係となりました。担当が広報と苦手以上の合わない仕事になりました。


結果
 ①広報紙の余剰部数が1,000部追加されました。(発注部数は、23年度と同じ)
 ②締め切り遅延が多すぎ
 ③ついに11月号の発行日を4日遅れました。
 ④初校→再校→三校と差し替えや修正を繰り返したため、印刷業者にかなり苦労をかけました。
  (営業のM氏が最初は笑顔でしたが、最近は引きつった顔をするようになった)
 ⑤苦情はがきが多くなった。
  (次号で返答したが、新たな苦情を生んだ)
 
 →平成11年合併時の広報の積み重ねていた実績(信用などを含む)が吹っ飛び、いわゆる黒歴史になってしまった。(いやそんなレベルをとうに超えている)



ちなみに現在4月8日発行の4月号の初校が戻ってきました。各管理職・各課の広報委員から「どうやって修正していいかわからん!!」と言われ、すべてのページが修正の赤で真っ赤になっています。
(ああ、また営業のM氏が落ち込んだ顔をして、受け取るのだろうな。これでうつにさせたら、自分の責任だな・・・今から誤ります。ごめんなさい)


全ては自分が悪いのさ。雑誌で言うと編集長に値する立場ですから・・・
(一般雑誌だと、下に各部門の編集担当、上には編集人がいるのですが、何せ小さな組合ですから・・・)


そう思うと、新潟の組合はすごいです。毎月発行、1年のスケジュールを組み、毎月会議を開催(その内容は、原稿のチェックらしい。本当の編集会議)をしています。自分がいる組合もほぼ毎月会議を行って伊いますが、今回発行される広報紙の内容及び記事の担当、また連載記事の取材担当を決める会議です。毎回、誰が担当するのかで各委員に迷惑をかけています。(4月号は、12月の会議で連載物の担当を決めたのですが、記事が間に合ったのが入稿時)
新潟の組合とは、雲泥の差なんてもんじゃない。お互いの事務所の距離以上に離れすぎているくらいレベルが違います。



兄に言わせると「普通はくびレベル。むしろ100回以上は解雇にしても足りない」と言います。そう思うと、辛いんだよね。まあ、全て自分が悪いのですが・・・(結果を出していないので、この言葉もむなしくなるだけ)



無理にお願いして
 
 ①広報の記事をボイコット
 ②課自体が広報協力をボイコット
 
 される可能性が高かったので、ひたすら頭を下げるしかない。変に修正したら①②となる・・・
(各課の広報委員もむしろそうしたいと思っている雰囲気があります)



もう無理です。気がおかしくなるか(すでに究極・至極レベルに到達しているが、さらに超える)変な犯罪を犯すかもしれないと思ったことが何十回もあります。


・・・という事を「自己申告書」に記載したいくらいでした。(実際書いたら、書き直しされる)


・・・結果、平成25年度変わりなし。「もう限界だ!!」と思い失踪も考えたのですが、『身元保証書』に2名署名してもらったので変なことはできない。(まあ、自分からはする気もない・・・今のところ)


だけど、自信がないな・・・



とにかく4月号を何とか発行できるようにしよう。それからあとは考えよう。



つくづく、自分自身の情けなさ・だらしなさ・別の意味での手遅れ余命○分・・ですね。
(いろいろフォローしていただいている職場の皆さんには申し訳ない)



はあ・・・と考える日々が平成25年度も続きます。それでは・・・



※普通なら、こんな事はブログで投稿するネタではありません。
 でも、もう職場以外の人で広報に詳しい人からアドヴァイスを頂かなきゃいけないくらいまで追い込まれています。誰でもいいから助けてほしいとまじめに思いました。(完全に自分の頭の中が粉砕されているな)












            Written by 短髪豚野郎!!