矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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啓太がゆく ⑮(警視庁の記者時代)

2025年01月17日 14時24分50秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

(23) 3億円強奪事件の発生

東大など大学紛争が激化する中でも、記者クラブにいる時は忙中閑ありで、気持が安らぐことがある。ある日、草刈が笑いながら啓太に声をかけてきた。
「山本君、いま暇なら総務部に行ってみないか。とても可愛い子がいるんだ。紹介しておこう」
「えっ・・・いや、いいですよ」
啓太があわてて断わったが、草刈は強引に彼を促した。
「いいから、いいから。ちょっとだけだよ」
そう言って、草刈は勝手に啓太を先導して歩き始めた。仕方なく彼は従ったが、エレベーターに乗って4階で降りると、2人はすぐ前にある総務部の部屋に入った。
「皆さん、彼が山本啓太君です、よろしく。え~と、星野さんは・・・」
草刈が部屋の奥に目をやると、星野由紀恵という若い女性は電話中だった。しばらくして彼女が電話を切ると草刈が声をかけた。
「星野さん、彼が山本君です。よろしくね」
仕方なく啓太が挨拶すると、彼女も恥ずかしそうに笑って頭を下げた。草刈は周囲の職員と二言三言 話をしていたが、やがて啓太を連れて部屋を出た。
「どうだ、良い女の子だろう。あれで剣道二段なんだよ。俺のいい稽古相手さ、はっはっはっはっは」
草刈は上機嫌で笑ったが、啓太は返事をしなかった。キャップはきっといい若者がいるから紹介するよとか言って、彼を総務部へ連れてきたのだろう。“世話好き”な草刈がやりそうなことだと、啓太は思った。
同時に、彼は白鳥京子のことを思い出していた。彼女は最近忙しいのか、啓太が電話をしてもほとんど外出していて、なかなか連絡が取れない。たまに連絡が取れても、次のデートの日程をどうするか詰められないでいた。彼女は出版社の仕事だけでなく、青年海外協力隊のことで多忙なのか・・・

忙しいのはお互いさまだと思っていると、12月に入って草刈が皆に言い渡した。
「今月いっぱいで、英会話のレッスンを終わりにする。吉川君や坂井君からも要望があったが、こんなに忙しいと英会話どころではない。短い期間だったが、よく僕に協力してくれたね。ありがとう」
草刈がそう言ったので、啓太もほっと安堵した。坂井は外国語学院のある女生徒と2~3回付き合ったようだが、長続きはしなかったらしい。正直言って、毎週金曜日の英会話レッスンは皆の重荷になっていたのだ。
一方、例の『平凡パンチョ』の雑誌だが、新刊号が啓太の手元に届いた。彼が“事件を追う猟犬たち”という特集記事を読むと、なかなか見事にまとめ上げている。新聞とテレビ報道の違いについてもよく検証していた。 大新聞などの事件記者にまじって、民放テレビでは啓太1人だけが載っているので、内心は誇らしく感じた。
しかし、読んでいくと末尾に(他はみんな精悍な事件記者だが)、「山本氏だけはどこか、のんびりした感じの記者だ」と結んであったから、彼はムカッときた。どうせ俺はぼんやりした感じの記者なのだろう。
この野郎! 取材に来たO記者に文句を言ってやろうかと思ったが、民放テレビの記者を取り上げてくれただけでも善しとしようかと思い直し、そのまま放置することにしたのである。

寒さも深まり冬らしい季節になったが、啓太はある日、東大構内で白鳥京子の兄である邦雄を見かけた。背の高い眼鏡をかけた色白の男だ。彼はASAHI新聞の記者で同じ公安・警備を担当しているが、まだ言葉を交わしたことがない。そこで、啓太は邦雄に近づき思い切って話しかけた。
「あの~、FUJIテレビの山本ですが・・・京子さんとお付き合いさせてもらっています」
「妹から話は聞いていますよ」
邦雄は少し赤面したようだが、穏やかに返事をした。啓太はできるだけ平静さを装い、大学紛争の雑談などに話を持っていった。短い時間だったが、別れ際に啓太は言った。
「これからもよろしくお願いします」
「いや、こちらこそ」
邦雄も丁寧に答えて2人は別れたが、啓太はこれで、儀礼的な挨拶は終わったと一安心した。明くる日、彼はタイミングを見て京子のいる出版社に電話をかけ、彼女に邦雄との出会いを報告した。
「兄は神経質そうに見えるでしょ。でも、あれで意外に“のん気”なんですよ」
京子はそう言って笑い声を上げた。彼女も2人の出会いを喜んでいるようだ。こうして、京子とのデートはお預けになっているものの、白鳥家との友好が深まってきたことに啓太は満足したのである。

ところが、12月10日になってとんでもない事件が起きた。その日、啓太は普通の日勤だったので、少し遅めだが10時ごろ警視庁に着いた。そして、広報の部屋の前を通りかかると、けたたましい無線連絡の音声が聞こえる。
これは何か事件が起きたんだと思いながら記者クラブに入ると、間もなくして、府中市で大金を積んだ輸送車が奪われたという第一報が届いた。その後、広報の発表によると、現金輸送車には約3億円が積まれており、車の行方は依然として分からないというのだ。
3億円・・・
啓太は唖然とした。そんな大金は想像もできないほどだ。これは大事(おおごと)になるなと思っていると、次の発表で、国分寺市のある所で現金輸送車が乗り捨てられ、3億円が入ったジュラルミン製のトランク3個はなくなっていたというのだ。前代未聞の盗難事件である。
「これは大変だ~!」
「とにかく府中へ行ってくれ」
記者クラブの中は騒然となり、草刈の指示で1課・3課担当の吉川がすぐに現場へ行くことになった。
「僕も行きますか?」
「おお、行ってくれ」
啓太が言うやいなや草刈がうなずいた。もう大学紛争どころではない。吉川と啓太は連れ立って府中警察署や現場周辺に向かったのである。

3億円強奪事件の大筋は次のようなものだ。
それは当日、日本信託銀行国分寺支店の行員が、東芝府中工場で働く従業員のボーナス約3億円を輸送車で運んでいたところ、府中市栄町の通りで白バイを運転してきた警察官に停められた。
この若い警官は「あなたの銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この車にもダイナマイトが仕掛けられたのではという連絡があったので、調べさせてほしい」と述べ、輸送車の下に潜り込んで調べ始めた。
やがて、車の下から煙が吹き出してきたため、警官は「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と叫んで4人の行員を車から退避させた。そして、その警官は輸送車を運転し立ち去ったのである。行員らはこの時、「勇敢な警察官だ」と思ったという。
それは4日前に、支店長宅を爆破してやるという“脅迫状”が届いていたため、行員らは爆弾騒ぎに戦々恐々としていたのだ。しかし、警官が輸送車で立ち去ったあと、煙の正体は発煙筒であり、また乗り捨てられた白バイはニセ物と分かったため、そこで初めて、現金輸送車が“ニセ警官”に強奪されたことが判明したのだ。

以上が3億円事件の概要だが、こんなに大胆で狡猾な犯行は滅多にないと思う。8カ月も前から多摩農協に脅迫や爆破予告などがあり、関係者は内心びくびくしていた。皆が爆弾に気をつけようと神経を尖らせていた矢先に、事件は起きたのだ。その心理的な作戦、用意周到な犯行に啓太は唖然とした。
だから、大学紛争の取材も大切だが、この前代未聞の3億円事件に彼は惹かれたのだ。といっても、この地域には土地勘がまったくないし、知っている刑事もほんのわずかだ。警察の必死の捜査を待つしかないが、ただ一つ、事件の早期解明の手がかりはあった。
「こんなに“遺留品”が多いと、犯人は早く捕まるね」
吉川がそう言ったが、ニセの白バイをはじめ、遺留品は100点以上もあるという。
「うん、警察も懸命に捜査しているし、目撃証言もいろいろあるから、事件はあんがい早く解決するよ」
啓太も吉川に相槌を打った。大量の遺留品で、事件は早く解決するだろうと思っていたのだ。
一方、事件直後はどこへ行っても、この話で持ち切りだった。啓太も報道部の忘年会に出た時にいろいろ質問を受けたし、京子と電話した時もこの話題になった。世の中は3億円事件の話に花が咲いていたのだ。 年末になって、3億円のボーナスが犯人の手に入ったと・・・

参考映像・・・https://www.youtube.com/watch?v=QtH70968hSc

さて、京子と電話した時に、彼女は木内典子の結婚について話していた。予定どおり、山村邦男と年内に結ばれるということだ。ただし、婚姻届を出すだけで挙式はしないという。
そこで、京子はお祝いにドレスを贈りたいと言うので、啓太はその話に乗った。二人分ならかなり良いものを贈れるだろう。そして、ドレスのことは京子に任せ(というのは、婦人服について啓太はまったく無知だったから)、半額の立替分を年内に渡すことで京子とのデートを彼は取り付けた。
彼女に会えると思うと、啓太は嬉しかった。2人とも忙しかったが、場所は彼が設定して、とにかく年内に会うのだ。いろいろ考えたが、今度は自分の“ホームグラウンド”みたいな新宿の歌舞伎町で会うことに決めた。京子に聞くと、歌舞伎町には行ったことがないという。
そして、12月第4週の某日、2人はそこの洋風レストラン『K』で会った。この店は会社の同僚と何回も来たことがある。啓太はすぐに贈り物の半額分を支払った。
「これがドレスのカタログですよ」
京子がカタログを見せたものの、彼はそれにほとんど関心を示さない。
「典子さんは元気にやってるのかな?」
「ええ、山村さんと一緒に毎日 有機農業に取り組んでいるそうです。今は冬だからどうかしら・・・でも、元気そうな口ぶりでしたよ」
「そうか、とにかく良かったね、結婚して」
2人は山村新婚夫妻の話をしていたが、やがて食事をしながらそれぞれの話題に移っていった。
「3億円事件は大変でしたね」
京子が興味深そうに語りかけてくる。
「うん、犯人のモンタージュ写真を出したから、情報はいろいろ入っているようだけど、まだまったく分からないね。 遺留品が多いのは良いが、逆にあり過ぎて、どこから手を付けていいのか迷っているのじゃないかしら。
大量生産と大量消費の時代だ、物が余っているのさ。そうなると、遺留品と同じ物があちこちにあり過ぎて、なかなか“物証”につながらない。
一説には、有力な容疑者の1人が自殺したという話もある。それは少年のようだが、僕らにはどうなっているのかほとんど分からない。 おっと・・・こんな話はやめた方がいいね。京子さんにはまったく関係ないもの」
「いいえ、いいんです。山本さんの話は何でも聞きますよ」
京子が笑って答えたが、啓太はすぐに話題を変えた。
「あなたの青年海外協力隊の話はどうなっているのかしら」
「ええ、だいぶ分かってきました。来年の春ごろには結論を出すつもりです」
「それじゃ、やはり海外へ行くつもりなの?」
「ええ、そうなると思います」
彼女の返事を聞いて、啓太はそれ以上 質す気になれなかった。京子はやはり海外へ行ってしまうのかと思うと寂しさを禁じ得ないのだ。

ところが、京子は啓太の気持とは裏腹にこの話を続けた。
「友人の須藤さんも言っていますが、青年海外協力隊は日本の復興の一つの証(あかし)だと思います。日本が国際協力をするのは相手国から歓迎されるし、人道的にも良いことでしょう。また、派遣先の人たちと交流が深まるのは確実です。
私は教育関係の仕事をしたいと思っています。来年度の派遣先はまだ決まっていませんが、須藤さんと共に応募するつもりです。このことは家族にも言っていますが、別に反対はされていません」
京子が自分の考えを率直に語ることは滅多にないので、啓太は彼女の熱意に押された感じになった。彼はしばらく黙っていたが、やがて急に話題を変えた。
「ところで、京子さんは今の大学紛争をどう見ていますか? 例えば校舎を占拠したり、バリケードで封鎖するなどの行為は決して良くないと思いますが・・・」
「行為そのものは良くないでしょう。行き過ぎだと思います。でも、学生たちの考えや目指すところは分かる気がします。特に国立大学では未だに権威主義がはびこっており、こういう“絶対命令的”な側面を改革しようというのは当然の要求だと思います。大学の運営が早く民主化されて欲しいですね」
「ふむ、よく分かっているようですね」
啓太は相槌を打ったが、京子の説明はどこか優等生的なところがある。それが少し引っかかるが、彼はそのまま続けた。
「東大は大変だな~ このままだと、来年の入試は中止になる。東京教育大も一部を除いて入試を中止するようだが、正月は正に正念場ですよ。今度は3億円事件から、大学紛争に頭を切り替えなければならん。民放テレビの記者は哀れなもんですよ」
「でも、やり甲斐があるみたいですね」
啓太が自嘲気味に話すと、京子が笑って答えた。これで彼は少し吹っ切れたのか、すぐに彼女を誘った。
「せっかくだから、このまま喫茶店に行きましょう。今日は僕が全部持ちますよ」
そう言って啓太が立ち上がると、京子も素直に応じた。2人はレストラン『K』を出て、歌舞伎町を散策しながら新宿駅方面へ向かった。クリスマスが終わったばかりだが、街は賑わいを見せている。その途中で馴染みの喫茶店に入り、2人は夜のひと時を過ごしたのである。
啓太が言うように、3億円事件の解決は年を越すのが確定的になり、東大紛争などが山場を迎えることになった。こうして1968年(昭和43年)が終わり、新しい年が幕を開けることになった。

 

(24) 1969年・昭和44年

新年の勤務は元日が泊まりだ。1年前は大晦日が泊まりだったが、だいたい独身の若い社員がそういう勤務に就く。啓太は浦和の実家を出て警視庁に着いたが、1年前の元日を思い出した。
あの時は明けで実家に帰り、友人の三上洋司の家へ遊びに行ったところ東京・渋谷で殺人事件が起き、翌日(2日)はその取材で忙しかったのだ。それを思い出して苦笑いしたが、その後の激動の1年を振り返ると、時が経つのは早いものだと感じた。
今年はどんな年になるのだろうかと漠然と考えるのだが、そんなことは今から分かるわけがない。幸い、元日から2日にかけて事件や大きな事故は起きなかった。
啓太は同じ泊まり勤務の他局の若者たちと雑談に打ち興じたり、テレビを見ながら一夜を過ごした。また、“初打ち”だと言って、彼は他局の若い記者と花札の「こいこい」をして楽しんだ。

啓太はその日めずらしく実家に戻り、届いた年賀状を整理したりして泊まった。すると、兄の国雄が声をかけてくる。
「警視庁詰めもだいぶ永くなってきたな。他の部署へ変わりそうもないのか?」
「うん、変わりそうもないね。今のところはやり甲斐があるよ」
「そうか、啓太が事件記者に向いているとは知らなかった。はっはっはっはっは」
日本酒で少し酔った国雄が笑ったが、啓太もビールを飲みながら記者クラブの話など雑談を続けた。
「すると、アパート暮らしはまだ続けるんだな」
「ええ、当分は続くと思いますよ」
国義の問いかけに啓太はすぐに答えた。2人は顔には出さなかったが、内心では彼のことを気にかけていたのだろう。肉親だから当然だろうが、母の久乃を含めて啓太のことに安堵した様子だった。
翌日は休みなので、彼はゆっくり起きて田端のアパートへ向かったが、電車に乗っていても3億円事件や大学紛争のことが気になる。また、白鳥京子の声も早く聞きたかったので、アパートに着くやいなや彼女の自宅に電話をかけた。
すると、母親の寿恵(ひさえ)が出てきて言うには、京子は友人の家に行って不在だという。
「須藤さんという方の家でしょうか?」
「まあ、よくご存知で」
寿恵の返事を聞いて啓太は納得し、よろしくお伝えくださいと言って電話を切った。京子はやはり、青年海外協力隊のことで年明けから動いているのだと思ったのである。

さて東大紛争だが、1月早々に学内に『非常事態』宣言が出され、いやが上にも緊張感が増してきた。いつ何が起きてもおかしくない状況だ。こうしたことを背景に、翌年・1970年のいわゆる“70年安保闘争”に備え、警備の強化が大きな課題として浮上してきた。
啓太はこれは見逃せないと考え、草刈キャップに取材のアドバイスなどを相談してみた。
「それは面白い。何か“きっかけ”になるようなものを、警備部にぶつけたらいいじゃないか」
草刈はそう言ったが、特にこれといった手がかりはない。そこであれこれ考えていたが、たまたま1月第2週の某日、下山耕助警備部長の記者懇談会が開かれることになった。啓太もこの“記者懇”に出たが、オフレコとはいえ下山警備部長の口は堅い。でっぷりとした体型の彼は、いかにも警察エリートといった感じで悠然と構えている。
話も尽きたかと思っている時に、下山部長のすぐ側にいた某新聞社のMキャップが彼の耳元でささやくのが聞こえた。
「機動隊を増強するそうですね」
「うん? いや・・・」
下山はあいまいに答えたが、満更でもない表情を浮かべている。Mキャップの声は非常に低かったが、啓太は耳だけは良いので聞こえた(頭など他は全て悪いが、hahahahaha)。これだ! 彼は内心で叫んだ。機動隊の増強・・・これをすぐに取材しよう。
下山部長の記者懇が終わると啓太は作戦を考え、とにかく警備部に“吹っかける”しかないと思った。他の記者もMキャップの声が聞こえたかもしれないから、急いで取材するしかない。
そこで彼は、警備1課のS課長補佐の所へ急行し、少しウソを混じえて吹っかけた。
「警備部長から話は聞きましたよ。機動隊を増強するそうですね」
最高責任者の上司が明かしたのなら、部下は何のためらいも要らない。作戦は成功して、S補佐は啓太の質問に懇切丁寧に答え始めたが、それを聞いて彼は驚いた。
警視庁は現在の第1から第5機動隊に加え、新たに第6から第8機動隊を増設するというのだ。12年ぶりの増設で、大変な警備の強化である。S補佐は他にも細かいことまで、得意気にいろいろ教えてくれた。
啓太は意気揚々と記者クラブに戻り、草刈キャップに話を報告した。
「でかしたぞ! 特ダネだ。他の記者は来ていなかったのだな?」
「Sさんの所にだいぶいましたが、誰も現われませんでした」
「ふむ、それなら明日のニュースで大々的にやろう。ご苦労だった、原稿をまとめといてくれ」
草刈の指示で啓太は原稿を書き始めたが、夜になって急に、草刈が警備部と広報部に呼び出された。しまった! もっと早く処理していればと思ったが遅すぎた。警視庁が事態を察知して、草刈に“待った”をかけてきたのだ。
それから先は草刈と警視庁の交渉になったが、結局、警視庁は翌日の午後2時に機動隊増設の正式発表をするので、FUJIテレビは午後2時45分からの『奥さまニュース』で真っ先に報道するということで決着した。
警視庁に察知されたのは残念だったが、向こうも慌てたらしい。正式発表を予定より早めて対処したようだが、啓太は翌日の記者会見をわざとボイコットして、他社に先駆け機動隊増設のニュースを伝えた。
こうして、新たに生まれた機動隊だが、それから間もなく東大安田講堂の攻防戦に出動することになったのである。

 

(25) 東大紛争の終幕・安田講堂の攻防戦

その東大だが、ようやく事態収拾の動きが活発になってきた。大学側は加藤一郎総長代行を中心に学生側の切り崩しを行なった結果、1月10日、秩父宮ラグビー場で7学部の学生代表団と大学側の集会が開かれ、次々に「スト解除」が決定されたのである。
しかし、これに反対する全共闘過激派の学生たちはなおも安田講堂などに立てこもり、バリケード封鎖を強化した。このため、大学側はついに本郷キャンパスへの機動隊の導入を決め、警視庁が実力で封鎖解除に乗り出すことになった。
最後の決戦を控えて、啓太は急に白鳥京子と話したくなった。いやが上にも緊張感が高まってきたため、彼女の声を聞きたくなったのだろう。彼は出版社に電話をかけると、京子を呼び出した。
「東大紛争もいよいよ最後の時を迎えましたよ」
「そうですか、山本さんも現場に行かれるのですね」
「もちろん。どのマスコミも総動員をかけて取材しますよ」
「大変ですね、ご苦労さまです。気をつけて取材をしてください」
「ありがとう。これが終わったら、またゆっくりと京子さんと話がしたいな」
「ええ、そうしましょう」
たわいない会話だったが、啓太は京子と話ができて安堵した。まるで、出征兵士が最後に恋人と言葉を交わすような雰囲気ではないか。大袈裟かもしれないが、啓太の気持はそんなものだった。他の記者やカメラマンも、だいたい似たような気持だったろう。
それほど、東大のバリケード封鎖解除には緊迫感が漂っていた。これは無理もないことで、過激派の学生の抵抗手段は角材や鉄パイプ、投石や火炎ビンはもちろんのこと、他に硫酸やニトログリセリン、ダイナマイトまで噂に上っていたのである。

1月17日夕刻、FUJIテレビの取材班は東大に近い本郷のF旅館に泊まることになった。啓太ら警視庁の記者をはじめ、本社から来た中継班や記者、カメラマンでかなりの人数になったが、これは東大構内だけでなく周辺の取材にも対応するものだった。というのは、御茶ノ水や神田辺りで過激派学生のゲリラ活動が予想されたからである。
夜になって、取材班の責任者である草刈キャップがみんなに挨拶した。
「警視庁の話を総合すると、明日朝から封鎖解除の実力行使に入るということだ。機動隊はおよそ7000人、いやもっと多くなるかもしれない。一方、過激派の学生はおよそ1500人ぐらいだろう。
双方とも全力でぶつかると見られるから、相当に激しい衝突になるだろう。火炎ビンや投石、また催涙ガス弾などに十分注意し、怪我をしないようにして欲しい」
草刈の挨拶を一同は神妙に聞いていた。

そして18日、取材陣は夜明け前から報道態勢の準備に入った。本社から届いた朝食の弁当を平らげると、東大キャンパス班と近辺のゲリラ取材班に別れ、一斉に担当地域へ向かったのである。
啓太は東大班に入っていたが、身を切るような真冬の寒さに体がこわばった。
「寒いな~、やりきれないよ」と彼がぼやくと、同期のカメラマンの小出が「それじゃ、火炎ビンにでも当たるか」と冗談を言ったので、2人は大笑いした。冗談でも言っていないと、寒さと緊張感に耐えられないような雰囲気なのだ。
やがて、警視庁の機動隊が大学構内で整列を終えた。いよいよバリケード封鎖の撤去が始まる。機動隊はまず、安田講堂の周辺から実力行使に入るようだ。そこには医学部や工学部などの施設があり、過激派の学生が武装して占拠している。
そして7時過ぎ、機動隊は一斉に行動を開始した。啓太はしばらく様子を見ていたが、同僚の記者と手分けをして取材することになった。見ていると、工学部の列品館と法学部研究室の“戦闘”が激しいようだ。頭上から機動隊を目がけて、雨あられと投石や火炎ビンが降りそそぐ・・・ 
一方、機動隊はジュラルミン製の大楯とヘルメットで武装し、後方から催涙ガス弾を連続で発射したり、放水を繰り返すなどして施設内に突入しようとしている。機動隊は全部で1万発の催涙ガス弾を用意したというのだ。
啓太は工学部列品館へ向かった。機動隊のバリケード撤去作業は難航しているようだ。施設に突入するのも大変だが、入っても思うように撤去が進まない。事前の情報によると、日大闘争で“勇名”を馳せた日大工学部の学生たちが、ここのバリケード封鎖に協力し応援しているという。
こういう状況を取材して、啓太は昼ニュース用の原稿をまとめた。そして、テレビ中継車で現場を指揮している草刈の所へ行くと彼が言った。
「昼の中継は君がレポートしてくれ。Nアナウンサーとの掛け合いだよ」
「キャップがやらないのですか?」
「うん、昼は君に任せる。夕方のニュースと特番は僕がやるよ」
草刈がそう言うので、啓太はNアナにこれまでの状況を伝え昼ニュースに備えた。まだ時間があったので彼は構内の様子を見て回ったが、列品館では学生が上から石油をばらまき、火炎放射器で火をつけるなど抵抗は一段と激しくなっていた。このため、機動隊員にかなりの負傷者が出たようだ。
過激派の学生は1000人以上と見られていたが、昨夜のうちに相当数が学外へ出たもようで、キャンパスに残ったのは数百人だったろうか。しかし、この中には“外人部隊”と呼ばれる外部の学生が大勢おり、最後の決戦に臨んでいたのだ。
機動隊と学生たちの攻防はますます激しくなってきたが、啓太は昼ニュースの中継のため、Nアナと共にカメラの前に立った。他局の記者たちも同じようにレポートを行なっている。
ニュースは無事に終わり、啓太はまた元の列品館に戻った。当初、安田講堂を含めバリケードの撤去は18日中に終了するかと思われたが、午後になると、それは難しいとの見方が強くなった。それほど、学生たちの抵抗は凄まじかったのである。

午後になっても、工学部列品館や法学部研究室の攻防戦は続いた。一方、キャンパスの外では学生たちのデモが断続的に続き、彼らは大学構内に侵入しようとして、防備の機動隊とたびたび衝突を繰り広げた。いわば“二正面作戦”であり、神田カルチエ・ラタン闘争の再現である。
このため、機動隊は分散される形になり、構内の戦いに十分に集中することができなかった。
「これじゃ、今日中に片(かた)を付けるのは無理だな。安田講堂を攻めるのは夕方からか・・・」
草刈が苦虫をかみ潰したように言ったが、啓太も今日中の決着は無理だと思った。特番や夕方のニュースへ向けて2人は打ち合わせをしたが、事態は極めて流動的で先のことがなかなか読めない。
そのうち、列品館の戦いがようやく機動隊に有利になってきた。絶え間のない催涙ガス弾の発射や放水が学生たちに損害を与え、彼らにも何人かの負傷者を出した。やがてバリケードは全て撤去され、屋上にいた学生たちは降伏したのである。
一方、法学部研究室の抵抗も3時過ぎには鎮圧され、残るはいよいよ安田講堂のみとなった。そして、正面から機動隊が攻撃を仕掛けたが、バリケードは幾重にも頑丈にできているため、突破することは困難であった。
頭上からは相変わらず火炎ビンや投石が相次いだが、これはもちろん予想されたことで、警視庁はむしろ火炎ビンなどを“吐き出させる”ことを目的にしていた。ただし、この日の安田講堂制圧はとても無理なので、警視庁は午後5時過ぎに攻撃を中止し、翌日の作戦を練り直すことになったのである。
啓太らは夕方のニュースが終わると、一部のゲリラ取材班を残してF旅館に戻った。
「やっぱり思ったより、学生たちの抵抗は激しかったですね」
「うん、明日(あした)だ、明日こそ決戦だな。警視庁は面子にかけて総攻撃を仕掛けるだろう」
啓太が声をかけると、草刈自身が覚悟を決めたように答えた。
真冬の日没は早い。外はもう暗くなっていたが、スピーカーを通して何やら学生の声が聞こえる。過激派の誰かが演説をしているのだろうか。
取材陣は夕食を取ったあと、代わりばんこに風呂に入った。啓太もお湯の暖かさに生き返った気持になったが、ふと思うのだった。機動隊員も学生たちも、真冬の寒さに身震いしながら明日の決戦に備えているのだろうかと・・・

参考映像→ https://www.youtube.com/watch?v=3itnXEr7kLM
https://www.youtube.com/watch?v=Q5qq0jW1yTE

 

明けて19日、その日は日曜日である。前日と同じように取材陣は夜明け前から準備を進め、啓太たちは再び東大構内に入った。安田講堂が目の前にそびえ立って見える。相変わらず真冬の寒さで吐く息が白い。
やがて6時半を過ぎると、機動隊が正面から一斉攻撃を再開した。人員は8000人以上に増強されたようだ。バリケードの撤去に全力を挙げる隊員、そして3カ所辺りからの放水と催涙ガス弾の発射は昨日と変わらない。一方、立てこもる全共闘の学生たちは400人ぐらいか、この日も火炎ビンや投石の反撃を繰り返した。
機動隊はこの日、正面だけでなく講堂の側面からの攻撃にも力を入れた。新設まもない第7機動隊がその任務に当たったのである。
「山本君、今日は講堂側面の取材をやってくれ」
「分かりました」
草刈に言われて啓太がその場に行くと、同期のカメラマンの小出も来ていた。
「やあ、攻撃はまだなのか?」
「うん、もうすぐだと思う」
小出の問いに啓太はそう答えたが、やがて第7機動隊の突入作戦が始まった。ここは正面と違って、投石や火炎ビンの攻撃がほとんどない。学生たちは正面の攻防戦で手一杯なのだろう。啓太と小出は機動隊の後について講堂内に入った。
しかし、その先は頑丈なバリケードの防塞があって前へ進めない。機動隊は斧や大型の電気ノコギリを使ってバリケードの排除に取りかかっている。こうした状況をあとでレポートするのだが、啓太は小出が撮ったフィルムを持って行くことになった。
「おい、頼むぞ」「任せとけ」
そう言って、啓太はフィルムを預かり講堂の外へ出ようとすると、今度は火炎ビンや投石が激しく降ってきた。学生たちも機動隊の側面攻撃を放っておけなくなったのだ。これは危ない・・・
ひとしきり頭上からの攻撃が止むのを待って、啓太は外へ飛び出した。もちろんヘルメットで頭を防備しているが、怖くて仕方がない。運よく火炎ビンなどに当たらなかったが、走っている間に水をかぶった。
放水車の水か、それとも警視庁のヘリコプターが上空から散布している催涙ガスの水溶液か。それは分からないが、啓太はフィルムを“作業衣”のポケットに入れ、単車(オートバイ)が待っているFUJIテレビの前線基地に届けた。昼ニュース用のフィルムである。

そして、昼の放送は無事に終わったが、午後になると機動隊の総攻撃はますます激しくなり、分厚いバリケードも次々に撤去されていった。また、東大構内に侵入しようとした外部のデモ隊も排除された。そして夕方6時前、安田講堂の屋上で最後まで抵抗していた学生たちが逮捕された。安田講堂はこうして陥落したのである。
公式発表では機動隊の負傷者710人(うち重傷31人)、学生の負傷者47人(うち重傷1人)、逮捕者は全体で600人を超えたという。まことに凄まじい攻防戦だった。
取材陣は夕方のテレビ中継を終え、警視庁の記者クラブに引き揚げた。
「やっと終わったな。みんな、ご苦労さん」
草刈が部下の一人ひとりに声をかける。啓太も東大紛争がようやく終わったのだと実感した。

参考映像→ https://www.youtube.com/watch?v=zoWRtxombjw
https://www.youtube.com/watch?v=X7xcOi4fpro

 

ところで、東大当局は入試を実施したいと考えていたが、政府・文部省は大学の荒廃が凄まじいなどの理由でその要求を拒否した。このため、東大はついに入試を中止せざるを得なくなったのである。
この前代未聞の異常事態に、大きな影響を受けたのは受験生や卒業生である。東大に入ろうと懸命に勉強してきたのに、入試がなくなったのだ。多くの受験生が当惑したのは当然で、現役の高校生は“一浪”する者が増えたという。
しかし、すでに一浪や二浪をしている受験生は、これ以上 浪人はできないと、急きょ他の国立大学などに鞍替えする者が多くなったという。また受験生だけでなく、卒業予定者にも混乱が起きた。
長期のバリケード封鎖やストライキで、単位不足や卒論未提出の事態は深刻だった。啓太はあとで後輩の新入社員に聞いたが、会社側の配慮で“東大中退”のまま採用された者がいる。一方、中退がどうしても嫌だという者は、秋までにわりと簡単な「卒論」を提出して卒業生になった者もいる。
このように、大学紛争は多くの受験生や“卒業生”の身の振り方にさまざまな影響を及ぼした。東大だけでなく、紛争が起きた大学では想定外の事態が起きたのである。

 

(26) 京子への恋

安田講堂攻防戦が終わった翌日、珍しく白鳥京子の方から啓太に電話が入った。
「ご苦労さまでした。お怪我などはなかったでしょうね」
彼女の声を聞くと、救われるような気持になる。
「ええ、ありがとう。無事に取材は終わりましたよ」
啓太は昨日までのことを手みじかに話した。京子はなおも話を聞きたがっているようだが、記者クラブにいるので近日中に会う約束をして電話を切った。
「なんだ、彼女からの電話か」「ええ、まあ・・・」
耳ざとい池永が声をかけてくるので、啓太はあいまいな返事をした。
「今度こそいよいよ3億円事件だな。頭を切り替えないと」
「そうですね」
啓太は相槌を打ったが、3億円事件の方はますます混迷の度を深めてきたようだ。例の犯人のモンタージュ写真だが、公表されると情報が殺到し混乱をかえって助長した。新聞社やテレビ局にもいろいろな情報が届き、それをさばき切れないような状態だった。
「モンタージュ写真にそっくりの男が近所にいるよ」
「タレントのA氏があやしい。彼のアリバイは大丈夫なのか?」
「犯人についての重要な情報があるので、ぜひお会いしたい」など・・・
こうした電話が次々にかかってくるので、対応しきれなくなったのだ。3億円事件に関心を持ってくれるのはありがたいが、なにか“お祭り騒ぎ”になった感がする。
そうした中で、2月の人事異動で草刈キャップが外信デスクに移ることになった。彼は海外特派員を志望していたので、そのワンステップなのだろう。

「キャップ、長い間 お疲れさまでした」「いろいろ ありがとうございました」
部下からねぎらいの言葉がかけられる。すると、池永と坂井が冷やかし半分に言った。
「剣道二段になれて良かったですね」「英会話も上達したようだし」
「うん、いろいろできたのはみんなのお陰だよ。だいぶ迷惑をかけたかな、はっはっはっはっは」
草刈は明るい声で笑った。彼は警視庁記者クラブの仕事に満足して、去っていくのだろう。啓太はこのクラブに来た時、草刈から馬鹿やクズなどの“暴言”を吐かれたことを思い出した。あの頃は彼に強く反発したが、今ではそれが懐かしい出来事に思える。
いや、むしろその後、彼に鍛えてもらったことが記者生活の第一歩につながったと思えるのだ。啓太は気持よく草刈と別れることができた。そして、彼の後任のキャップには辰野慎也が決まった。辰野も以前 警視庁クラブにいたことがあるから、まず順当な人事だと言えるだろう。


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