2月に入って、啓太はようやく京子と会えることになった。お互いに忙しくてデートができなかったが、彼はこの時、ある決意を胸に秘めていた。それは彼女が青年海外協力隊員になろうとも、終生 変わらぬ“契り”を交わそうというものだ。まだ早いかもしれないが、こうと思ったらじっとしておれないのが啓太の性分である。
彼はこの日、自分の本心を伝えようと思った。デートの場所も新宿・歌舞伎町にして、京子を和風レストラン『N』に呼んだのである。彼女は少し遅れてやって来た。
「ごめんなさい、遅れてしまって。仕事が長引いたので申し訳ありませんでした」
「いや、いつも僕が遅れていますから」
京子が謝るのを啓太は軽く受け流した。2人はこのあと食事を注文してしばらくぶりの逢瀬(おうせ)を楽しんだが、彼女は3月いっぱいで『女性の未来社』を退職するという。そして、青年海外協力隊に本腰を入れるのだ。
彼女は以前にも増して生き生きした感じに見える。派遣先はアジアやアフリカ諸国の中で、特にフィリピンかマレーシアを希望するという。これは前にも聞いた話だが、京子の亡父は先の大戦中にこの辺りで海軍の戦闘に参加し、戦死したことが主な動機になっているようだ。
啓太は彼女の亡父についてはあまり尋ねないようにしていた。辛い想いを呼び起こすだけだから、努めて聞かないようにしている。京子も戦争の話は避けているようだ。それより前向きに、日本の国際協力の話をしたいのだろう。できれば、日本語など教育関係の仕事につきたいと言った。
「いつごろ出発するの?」
「さあ・・・ たぶん5月か6月ごろでしょう。その前に応募して合格することが先決ですよ」
それはそうだ、選考試験に合格しなければ協力隊員にはなれない。京子がおかしそうに笑ったので、啓太も苦笑せざるを得なかった。彼はなんでも先を急ぐ癖(へき)があるのだ。
食事をしながら談笑しているうちに、時間がだいぶ過ぎた。啓太は話しながら、このあとどうしようかと考える・・・やはり、思い切って胸の内をさらけ出そう。そう決めると彼は京子を誘った。
「これから喫茶店に行きませんか。いえ、ほんの短い時間ですよ」
彼女がいぶかしげな表情を浮かべたので、啓太はあわてて断わりを言った。
「ええ、でも、今日はこのへんで。明日は早朝から仕事が入っているのです」
「そうですか、それじゃもう少しここで」
啓太は実は“同伴喫茶”に京子を誘うつもりだったが、この店で本心を伝えるしかないと思った。周りの様子をうかがいながら、彼は単刀直入に自分の想いを述べた。
「京子さん、僕は前からあなたに好意を持っていました。それはあなたが木内(典子)さんと一緒だったころから変わっていません。あなたが青年海外協力隊へ行こうとも、僕との交際を続けてくれますね。これは一生のお願いだと思ってください。できれば、あなたが海外へ行く前に末永い契りを約束して欲しいのです」
啓太はここまで言うと、一呼吸おいて京子の顔を見つめた。彼女の頬がやや紅潮したように見えたが黙っている。“末永い契り”なんて古臭くて少しオーバーな言い方だったかなと思っていると、やがて京子が答えた。
「そう思ってくれるのはありがたいのですが、私はいま青年海外協力隊のことで頭がいっぱいなのです。帰国してからのことまで想像もできません。山本さんのご好意には感謝しますが、それ以上 答えようがありません。ごめんなさい」
ある程度 予想したような返事だと啓太は思ったが、それではやはり物足りない。もっと熱い反応を期待していたのに、プロポーズを婉曲に断られたような気がした。いや、断られたに違いない。彼はそう思って店の窓越しに外へ目をやった。
町は人通りが絶えない。次から次に人が通り過ぎてゆく・・・ 啓太が諦めた気持になっていると、京子の方から声をかけてきた。
「今日はこれで失礼しますが、またぜひ誘ってください」
「ええ、いいですよ。今度は京子さんが場所を決めてください。歌舞伎町はあなたに向いていないようですね」
皮肉っぽくそう言うと、啓太は出口へ行きさっさと精算を済ませ外に出た。帰り道は京子とほとんど言葉を交わさず、2人は新宿駅付近で別れた。彼は思い通りにいかなかったことに、残念な気がしてならなかったのである。
それから1週間ほどが過ぎた。記者クラブの仕事の方はやや落ち着いた感じになり、東大紛争と並んで大きな注目を浴びた日大紛争も、8カ月ぶりにバリケード封鎖が解除され鎮静化されることになった。
ある日、少し余裕ができたのか同期の坂井則夫が話しかけてくる。
「啓ちゃん、いま付き合っている白鳥さんとは上手くいってるの?」
「うん・・・まあまあだ。彼女も忙しくてね」
啓太はあいまいに答えたが、坂井の方は自分の“彼女”と順調にいっているらしい。啓太はあまり聞かないようにしているが、何かの拍子で彼がよく打ち明けるのだ。
「則(のり)ちゃんの彼女はSHIRAYURI(白百合)女子大を出ているんだっけ? きっと素敵なお嬢さんだな」
「そんなことはないよ、普通の女の子だ」
坂井が謙遜して答えたが、若いと異性のことには話が弾む。
「いいな~、君たちは。俺なんか女房をもらったからもう終わりだよ。いいのは今のうちだぞ、はっはっはっはっは」
隣から池永が茶々を入れた。彼は啓太たちの3年先輩で、結婚して2年ほどになる。
「でも、池永さんの奥さんは美人だと評判ですよ」
「いやいや、その辺に転がっている普通の女だ。まあ、飯(めし)をつくったり洗濯をしてくれるのはありがたいけどね。どうやら子供ができたようだ」
「えっ、それはおめでたい! 早く生まれるといいですね」
明るい話題になって話が余計に弾んだ。大した事件や事故がないと、みんな若い男たちなので記者クラブは生き生きとした雰囲気になる。そういう時、啓太はここに配属されて良かったなと改めて思うのだった。
大きな動きはなかったが、3億円事件については相変わらず情報や問い合わせなどが入ってくる。ある日、横浜に住むという男から、犯人についての重要な知らせがあるとの連絡があった。
「山本君、横浜に行って聞いてみたらどうだ」と、辰野新キャップが言う。
「こんなのは、どうせ“ガセ”ですよ。やめときましょう」と、啓太が答えた。
ガセとは“ガセネタ”のことでニセや嘘の情報を言うのだが、万が一にも犯人に結びつくのであれば大変なことだ。啓太は乗り気になれなかったが、辰野が重ねて言うので、暇つぶしだと思いながら車で横浜へ向かったのである。
横浜中華街の近くで車を降りると、啓太は約束の小料理店へ行った。中に入ると、髭を生やした初老の男が声をかけてきたので、彼が情報を寄せてきたKさんだとすぐに分かった。Kさんは60歳前後だろうか、なにか一風変わった感じのする男だ。
挨拶をすますと、2人は日本酒を酌み交わしながら、3億円事件の“犯人”などについて雑談を始めた。Kさんが犯人に結びつく情報を話すかと思ったら、そうではなく、単に“犯人像”について語るので、啓太はやっぱりガセと同じ作り話だと分かった。
しかし、せっかく横浜に来たのと、Kさんの話自体は面白いので2時間ぐらい小料理店で過ごした。もう帰ろうかと思ったら、Kさんはぜひ他の店に行こうと執拗に誘うので、啓太は諦めて彼についていった。結局、Kさんは話し相手が欲しかったのだろうか。
もちろん、勘定は彼が全部払って問題はなかったから、たまにはこういうことがあるのも息抜きになるかと、啓太は思った。Kさんは、3億円事件について持論を展開し満足したようだ。この事件は、それほど一般の人たちの関心を呼んでいたのだろう。
それから数日して、報道局の全体会議が社内で開かれた。この日は啓太も都合が良かったので会議に出席し、久しぶりに社内の人たちと顔を合わせた。全体会議は年始めや大幅な異動があった時など年に2~3回開かれる。
会議が終わると、啓太は草刈から声をかけられた。
「どうだい、元気にやっているか?」
「ええ、まあまあですよ。草刈さんは?」
「うん、外信デスクはまだ慣れないが、どうせ僕は海外特派員になるんだ。今年はベトナムへ行くことになるんだろうな」
そう言って彼は笑い、2人はしばらく雑談を交わして別れた。
余談だが、啓太が草刈と顔を合わせたのはこれが最後で、翌年(1970年)の4月に彼は“カンボジア内戦”の取材に出かけ、高村カメラマンと共に行方不明になった。
その後、FUJIテレビはあらゆる手段を尽くして2人の行方を探したが、草刈、高村両名の安否は不明のまま時間だけが過ぎ去ったのである。
〈備考・・・のちに目撃者の話などから、草刈、高村両氏は反政府勢力のゲリラに捕まり、命を絶ったと推定されている。〉
3月に入り、ようやく春らしい陽気になってきた。啓太は相変わらず大学紛争やデモの取材などで忙しかったが、白鳥京子のことが片時も忘れられなかった。彼女は出版社から身を引き、青年海外協力隊への応募の件で手一杯のはずだ。
京子とゆっくり会う機会がないので、ある日、啓太はアパートから彼女に電話をかけた。その日は泊まり勤務だったので余裕があり、けっこう“長電話”になってしまった。そして協力隊の件で雑談を交わしていると、京子が気になることを言った。
「この国際協力には、日本健青会が大いに貢献しているんですよ」
日本健青会・・・啓太はハッとして思い当たるふしがあった。この会は、実は啓太の縁戚の人が主宰してやっているものだ。
「そうか、健青会が尽力しているんだね」
「山本さんもご存知ですか?」
「うん、吉次(よしつぐ)一郎さんという僕の親戚の人がやっているんだよ」
「まあ、奇縁ですね!」
京子が明るい声を張り上げたが、啓太は逆に複雑な気持になった。彼はこの話題を避けて他のことに話を移し、やがて彼女との長電話を終えた。啓太が複雑な気持になったのは、彼と吉次一郎の考えや経歴があまりに違っていたからだ。
啓太は戦後育ちだから“デモクラシー”や個人の自由、人権に深い敬愛の念を抱いている。一方、吉次は生粋の軍人で、あの陸軍中野学校の出身なのだ。もちろん、戦後になって彼も人生観などが変わっただろうが、根は陸軍の軍人である。
そういう先入観があるせいか、啓太は吉次と距離を置こうとした。彼は兄嫁(国雄の妻)の遠縁なので、親戚の慶弔ごとなどで時たま席を同じくした。また吉次は戦後、海外からの引き揚げ者の救済などに尽力したため、シベリアから引き揚げてきた上司の石浜部長とも仲が良い。
このため、啓太は石浜らと一緒に吉次と同席したことが何回かある。しかし、彼はできるだけ吉次を避けていた。のちに、啓太は吉次の人柄や生き方に惚れ込むのだが、この当時は自分と別世界の人として“敬遠”していたのだ。
その人が青年海外協力隊に貢献しているんだって! そのグループに京子が参加しようとしている。正直言って、啓太は彼女が協力隊から外れることを願っていた。そうなれば彼女は海外に行くこともなく、いつでも自分と会ってくれるだろう。
しかし、もし京子が海外へ行ってしまったら・・・そう考えると、ぽっかり穴が空いたように虚しく感じる。彼女はもうすぐ25歳だ。1年以上 外国にいたら26歳に、そして自分も29歳になる。
そんなもやもやした思いに耽っていると、3月中旬のある日、啓太は取材先で京子の兄の邦雄と話す機会があった。邦雄はASAHI新聞の警視庁詰め記者だということは前にも述べたが、WASEDA大学卒で啓太の1年先輩でもある。
この日、同じ警備・公安担当の記者として、2人は神田界隈の大学を取材していたのだ。この辺は神田カルチエ・ラタン闘争の拠点でもある。明治や中央などの各大学では、依然として過激派の学生たちが勢力を維持していた。
邦雄に出会った啓太は、思い切って声をかけた。
「白鳥さん、ちょっとお話しを聞いてもらえませんか」
「ああ、いいですよ。その辺の喫茶店にでも入りますか」
邦雄はそう言って、まるで啓太を案内するかのように先を歩いていった。彼は御茶ノ水や神田界隈をよく知っているのだろう。啓太が黙ってついていくと、彼は最寄りの喫茶店に入った。学生の姿があちこちに見える。2人は窓際の空いている席に着いた。
「話とはなんですか?」 邦雄がやや改まった口調で聞いてきた。
「京子さんのことですが、よろしいですか」
「ああ、京子のことね。どうぞ」
邦雄があっさりと答えたので、啓太は素直に自分の気持を述べていった。京子を慕っていることや、彼女との過去の交際などについて話し最後にこう述べた。
「京子さんは結局、外国暮らしが良いのですね?」
すると、少し間を置いて邦雄が答えた。
「決してそういうことではないでしょう。ただ、今は青年海外協力隊に熱心だということです。その点は理解して欲しいな」
「ええ、それは分かっていますが・・・なんだか、彼女はそのまま海外に居つくような気がして」
「それは分かりませんよ。この先のことは京子が決めることだし、その点は山本君も知っているでしょう。僕に何かして欲しいとでも言うのかな・・・」
「いや、そういうことではなく、お兄さんとして妹をどう思っているのかと」
ここまで会話が続いたが、邦雄はしばらく沈黙したあと声を上げて怒ったように答えた。
「山本君、君はまるで“探り”を入れているようで面白くないな。京子とも話したでしょ。僕がとやかく言うような問題ではない。君が京子にはっきりと言えばいいじゃないか! 京子の方も迷惑に思うかもしれないよ」
すぐ近くにいた学生が、何ごとかとこちらの様子をうかがった。啓太はまずいことになったなと感じつつ、最後の言葉を選んで答えた。
「すみません、余計なことを白鳥さんに言ったようで。よく考えて、今度 京子さんに話すつもりです」
気まずい雰囲気が2人の間にただよった。しばらくして、邦雄が立ち上がりながら言った。
「僕はもう少しこの辺を見て回るよ。君は?」
「警視庁に上がります。ここは僕が払いますよ。すみませんでした」
「いや、割り勘でいこう」
そう言って2人は席を立ち、店の出口でコーヒー代の勘定を済ませた。邦雄と別れると啓太は憂うつな気分になり、彼に話さなければ良かったのにと悔やんだ。邦雄からの色よい返事を期待して、かえってまずい結果になったのではないか。
彼はきっと、自分を甘っちょろい人間だと思ったに違いない。気落ちした啓太は、寂しく警視庁に戻ったのである。
それから数日して、啓太は『女性の未来社』に電話をかけ京子と話した。
「もうすぐそちらの出版社を辞めるのでしょ?」
「ええ、今は残務整理の真っ最中です」
「ところで先日、あなたのお兄さんと会って少し話をしたけど」
「えっ? そうですか、それは聞いていません」
啓太は京子が知らなくてほっとした。邦雄が彼女に話したのであれば碌(ろく)な話ではないだろう。彼が余計なことを妹に言わなかったことに安心したのだ。
「それより、準備は進んでいますか?」
「ええ、まあなんとか。4月中旬に選定試験があります。倍率はどのくらいか知りませんが、女子の受け入れ先は少ないようですよ」
「いや、あなたならきっと大丈夫ですよ。真面目に鋭意 取り組んでいるのだから」
啓太は心にもないお世辞を言ったような気がした。しかし彼は、京子ならほとんど問題もなく青年海外協力隊に合格するだろうと思った。それほど、彼女の資質と前向きな姿勢を評価していたからだ。だが、次の話に彼は愕然とした。
「あの~、この前は任期が1年のようなことを言いましたが、2年になるそうです」
「えっ、2年だって? 2年も行くのですか」
啓太は驚いて問い返した。任期が1年なら、我慢すれば時間はわりと早く経つだろう。しかし、2年となるとそうはいかない。相当に長い期間だ。自分は30歳に京子は27歳になってしまう。そんなに長い間 彼女の帰国を待たなければならないのか・・・
「ええ、2年だと聞きました。つい最近 分かったことです」
京子の落ち着き払った返事を聞いて、啓太は絶句した。2年間も彼女に会えないまま自分は過ごすのか。 啓太はそれ以上 京子と話す気力が失せていくのを感じた。彼が無言でいると、京子が笑って答えた。
「でも、2年って案外と早いものですよ」
「いや、2年は長いですよ・・・」
ようやく啓太が答えたが、彼は1年なら我慢するが、京子と2年も会えない生活には耐えられないと思う。2年は1年の倍なのだ! この前、彼女に“末永い契り”などと古臭いことを言ったのは偽(いつわ)りだったのか? 今度は京子が黙ってしまった。
「僕は待ちきれないな」
啓太が追い打ちをかけるように言うと、今度は京子がはっきりと返事をした。
「仕方がないですわ、私は2年でも3年でも構いません。特に日本語教育なら何年いても結構です。あの~、残務整理の真っ最中ですから、また日を改めて話をしませんか」
彼女から突き放すように言われて、啓太はようやく我に返った感じだ。
「ええ、また連絡をします。できれば桜が咲くころに会えるといいな。遅くても4月の上旬までに会いませんか」
「ええ、いいですよ。ご連絡をお待ちします」
最後は事務的な感じで終わったが、啓太は電話を切ると思わず溜め息をついた。それは失望の念だったのか・・・
3月も下旬になると、桜が咲く季節になった。警視庁に近い皇居のお堀の周りも、華やいだ雰囲気になる。啓太は出勤の途中などに桜の花を目にするが、心はどことなく沈んでいた。彼はできるだけ京子のことを気に留めないようにしたが、彼女の“幻影”が脳裏から離れないのだ。
ある日 記者クラブでぼんやりしていると、辰野キャップが声をかけてきた。
「山本君、少し元気がないようだな。どうかしたの?」
「いや、なんでもないですよ」
「そうか、それならいいが、あの栗橋小巻が今日 中央大学の学生集会に現われるそうだぞ。行ってみないか」
「えっ、栗橋小巻が?」
「ああ、そうだ、そこへ行って君は『FUJIテレビの山本です!』と名乗ればいい。どうだ、行ってみないか」
啓太はすぐに返事ができなかった。栗橋(くりはし)小巻と言えばこの当時、吉永ゆかりと並んで最も人気のある若手女優の1人だ。彼女を真近で一目見るのは良いが、辰野はどうしてそんなことを言うのだろうか。
彼は“テレビ的”な人間だから、よくそんなことを言う。しかし、仕事や取材とはまったく関係ないだろう。しばらくして、啓太が答えた。
「遠慮しますよ。だって、仕事とは関係ないですから」
「なんだ、せっかく言ってやったのに。“業務命令”でも駄目か?」
「その業務命令はおかしいですよ」
啓太がそう答えると、側にいた坂井が口を挟んできた。
「啓ちゃん、せっかくの話だ。行ったらいいじゃないか」「いや、いいよ」
「ふん、山本は硬いな」
そう言って辰野は苦笑したが、啓太も自分は意固地(いこじ)で少し偏屈だと思った。せっかくのチャンスだから、中央大学のキャンパスへ行って栗橋小巻の姿を一目見るのも良いと思うが、それが目的なら仕事ではないはずだ。しかし、中大の過激派学生の動向は探れるだろうに・・・
そんな自問自答をしていると、辰野がまた話しかけてきた。
「いいか、4月の(番組)改編でニュース枠はさらに広がる。放送記者は原稿さえ書いていれば良いというものではない。テレビに出てしゃべる時間が確実に増えてくるのだ。
これからは中継が増えるぞ。だから、いつも“スタンバイ”している必要がある。テレビもそういう時代に入ったのだ」
放送事情にくわしい辰野ならではの話だ。啓太もそういうことは分かっていたが、無骨な自分がそれに対応できるのか少し不安になってくる。すると、坂井も同様の気持だったのかこう言った。
「僕はしゃべるのは苦手だが、仕方がないですね。カメラの前で大いに話す訓練をしなくちゃ」
「うむ、そういうことだ。特に君たちのような若手記者はカメラの前で話す機会が増えてくる。それに対応しなくてはならないぞ」
辰野と坂井が話しているのを啓太は“よそ事”のように聞いていた。彼はやはり、白鳥京子のことが頭から離れないのだ。このところ彼女に対して遠慮がちだったが、啓太はもう一度電話をかけて4月の上旬にも会おうと心に決めた。
そして4月第1週のある日、彼は京子の自宅に電話をかけた。すると母の寿恵が出てきてすぐに京子に替わってもらったが、彼女の実家に電話をすることは滅多になかったことだ。
「この前はすみませんでした。いろいろはっきりと申し上げて、気分を害されたでしょう。申し訳ありませんでした」
「いやいや、とんでもない。僕の方こそわがままなことを言って、あなたを困らせたみたいですね」
京子の方から詫びを言ったので、啓太もすぐに返事をした。このあと、彼は翌週の始めにも会いたいと述べ、とりあえず場所を、半年ほど前に2人が初めてデートした御茶ノ水の喫茶店『S』ではどうかと聞いた。『S』なら彼女も来やすいと思ったからで、京子も承諾したので、いちおう4月7日(月曜)の夕方に会うことに決めた。
デートのあと、啓太は彼女と食事をすることを考えていたが、京子は青年海外協力隊の応募試験が迫っているし、彼の方もいつ事件などが起きるか分からない。その日の都合であとは判断しようと思った。 こうして啓太はデートの約束を取り付け、久しぶりに晴れやかな気分になったのである。
ところが、4月7日と9日に2つの大事件が急展開を見せた。1つは4人が殺害された連続ピストル射殺事件の犯人・永山則夫(19歳)が東京都内で逮捕されたこと、もう1つは3億円盗難事件で犯人に使われたカローラが都内の団地で発見され、3億円が入っていた3つのジュラルミンケースが空っぽで見つかったことだ。
こうなると、もちろんデートどころではない! 7日の午後、啓太はすぐに京子の自宅に電話をかけ延期を伝えようとしたが、彼女はもう家を出ていた。彼は永山則夫がピストルを持って押し入った千駄ヶ谷の専門学校などを見て回り、夕方のニュースでレポートをした。
そして、喫茶店『S』に電話を入れ店員にあとで白鳥京子を呼び出し、デートが延期になったことを伝えてくれと言(こと)付けた。(携帯電話がない時代はなんと不便だったことか!)
啓太はこのあと夜遅くまで取材を続け、翌日、合間を見て京子に電話をしデートを延期したことを謝った。
「大変でしたね。ご苦労さまです」
京子はそう言って理解を示したが、4月中旬に青年海外協力隊の選考試験があるため、次のデートは未定のままにしておくことになった。
「悪かったね。協力隊の試験は頑張ってください」
啓太は素直な気持で京子を励まして電話を切った。ところが、その翌日(9日)、今度は小金井市の団地駐車場から、3億円盗難事件で犯人が使ったカローラが発見された。
この日、啓太は泊まり勤務だったため、田端のアパートでゆっくりしていたところを呼び出され小金井市の団地に向かった。その駐車場には問題のカローラが置き去りにされ、3億円が入っていた3つのジュラルミンケースを開けたところ、中はまったく空っぽだったのである。
(27)別れ
こうして事件が続いたこともあって、2人のデートは持ち越しとなった。そして、京子は4月中旬の“受験”へ向けて最後の段階に入ったので、啓太はつとめて連絡を取らないようにした。 そうした間に、ある日、啓太は白鳥邦雄と話す機会があった。それは辰野キャップの代理で警備部長の懇談に出席した際、彼は邦雄と同席し帰りにお茶でも飲もうかということになった。邦雄は以前と違って啓太に妙に優しい感じになっており、どちらからともなく、警視庁近くの喫茶店に行くことになったのである。
「この前は失礼しました。京子さんはいま大変ですね」
「いや、それほどでもないですよ。目標がはっきりしているから、やり甲斐があるのでしょう。山本君のことも少し聞きましたよ」 「そうですか・・・」
2人は座席に着くとコーヒーを注文して雑談を始めた。邦雄は微笑みながら語りかけてくる。先日 会った時とはえらい違いだ。
「京子はフィリピンかマレーシア辺りで日本語を教えたいと言っていたな。まあ、父親があの辺で戦死したからでしょう」
「そうですか、うまく行くといいですね」
「うん、それなりに勉強していたから」
こう言って、邦雄は珍しくタバコをくわえて一服した。啓太はタバコを遠慮して、話を学生運動や警視庁の公安・警備の雑談に持っていった。これは邦雄が最もよく知る事柄だから話がはずんでくる。
「でも、オフレコのことは話せないよ、はっはっはっは」
邦雄はそう言って笑ったが、満更でもない様子だった。啓太も学生運動のことは多少知っているので、コーヒーを飲みながら雑談を楽しんだ。こうして京子の兄となごやかなな一時を過ごすことができ、啓太は満足したのである。
そして、京子が青年海外協力隊の応募試験を受けた直後に、彼女から電話が入った。
「試験が無事 終わりました。発表は今月下旬になるそうです」
「そうですか、きっと合格しているでしょう」「ええ、まあ」
京子はあいまいに答えたが、啓太は彼女の合格を信じていた。彼が邦雄と会った話をすると、京子もそれは聞いていると明るい声で返事をした。 ただし、ちょうどその頃、北区の赤羽と狛江市(当時は狛江町)で相次いで殺人事件が起き、啓太はまた忙しい最中にあったのである。
そんな日々を送っているうちに、母の久乃からアパートに電話が入った。 「今度の日曜日は来れるでしょ? 坂田のおばさんがぜひ紹介したいという女性を連れてくるのよ」
「えっ、女の人?」 啓太はびっくりして聞き返した。
「そう、おばさんの姪御さんですって。先月、GAKUSYUIN(学習院)の女子短大を出たばかりよ。熱心におっしゃっているから、一度 会ってみない?」 「う~ん・・・」 啓太は返事に困った。
坂田のおばさんとは父・国義の友人の奥さんで、日頃から啓太の将来についていろいろ心配してくれている人だ。いわば“世話好き”で面倒見の良い人だが、昔はそういうお年寄りが多くいたものだ。 啓太は少し厄介だなと思ったが、おばさんの姪となると無下(むげ)に断るわけにもいかない。
それに若い女性には関心があり、気分転換にもなりそうだ。京子のことで複雑な気持になっているのも事実で、せっかくの話だから会ってみるのもよいかと思った。
「うん、会うだけならいいさ、それだけだよ。他に何も考えていないけど」 彼はそう答え電話を切った。
そして翌日、今度は京子からアパートに連絡が入った。
「ご心配をおかけしましたが、協力隊の試験に合格しました」 「それは良かった、おめでとう!」 啓太は素直に答えて、彼女の合格を祝福した。
京子の明るい声を聞いて彼も安堵したような気持になったが、電話を切ると、これで彼女とは本当に“2年間”も会えなくなるという思いに沈んだ。
やがて27日の日曜日がやってきた。啓太は浦和の実家に帰ることになったが、いざとなると気が重くなってくる。坂田のおばさんの姪に会うのが億劫に感じられるのだ。要するに簡単な“見合い”のようなものではないか。
そんなものはまだ早いという思いに囚われて、啓太はアパートでぐずぐずしていた。しかし、時間が経つにしたがって、彼は仕方がないと諦め実家へ戻ることになったのである。
家に着くと予定の時刻をだいぶ過ぎていた。坂田のおばさんと姪はとっくに来ていたらしい。
「遅いじゃないの」
リビングに入ると、久乃が待ちわびたように言った。啓太がおばさんたちに挨拶して着席すると、テーブルの上に風呂敷包みが置かれている。
「これは景子さんがつくった稲荷鮨と海苔巻きですって。お腹(なか)がすいたでしょ、さあ、いただきましょう」
久乃はそう言うと風呂敷包みを開け、中のものを取り出した。
「景子は意外と料理が上手なのよ。啓太さん、どうぞ召し上がれ」 坂田のおばさんが促すので、腹が減った啓太は海苔巻きから手を出した。
他の3人もそれぞれ料理に手を付けたが、啓太は別に旨いとも美味しいとも言わなかった。無愛想な彼は、仕方なく食べてやっているのだという態度を示したのである。
結局、久乃とおばさんだけが雑談を続けて、啓太と景子は一言も口を利かなかった。
ただ、2人の雑談で、彼女は某銀行に採用され仕事を始めたばかりだと知った。銀行の窓口業務である。景子は中肉中背の容姿で、顔立ちはすっきりしていて少しも嫌味がない風に見えた。
そして、坂田のおばさんと景子は1時間余りいたあと帰っていった。
「どう? あの姪御さんは」
「うん、感じの良い子だね。でも、こちらは仕事で忙しいから別になんとも思わないよ」
「そう、また気が向いたら教えて」
久乃は啓太の帰り際に預かっていた洗濯物を渡した。洗濯物が2人の“絆”になっているのだ(笑)。このやり取りがあるから、啓太は浦和の実家に時々戻る。洗濯物がなければ、帰ることはほとんどなかっただろう。
その直後、北区赤羽の殺人事件で犯人が逮捕され一時的に忙しかったが、啓太は頃合いを見て京子の自宅に電話をかけた。
「あなたが外国へ行く前に、送別会を兼ねて食事をしましょう。どうですか?」
「ありがとうございます」
「ところで、行き先は決まったのかしら」
「ええ、マレーシアになるそうです」
「えっ、フィリピンでなくマレーシア?」
京子の返事を聞いて、啓太は少し意外に思った。彼女はフィリピンを第1志望にしていたはずだがどうなったのだろうか。
「ええ、『海外技術協力事業団』というのがやっているのですが、そこの話では、フィリピンでは日本語教育の受け入れ先がまだないそうです。その点、マレーシアには女性隊員でも受け入れ先がいくつかあるようで、結局 そうなったのでしょう」
「そうか、まあフィリピンでもマレーシアでもどちらでも良いでしょう。現地で日本語を教えるのだから。それで、いつごろマレーシアへ行くのかしら」
「来月10日に総選挙があるというので、それが終わってからになります」
「じゃあ、5月中ということですね」
「ええ、たぶん」
啓太はしばらく考えてから言った。
「それでは5月の中頃までに送別会をやりましょう。場所は霞が関ビルのレストランではどうですか?」
「ええ、お任せします」
京子の返事を聞いたあと少し雑談を続けたが、やがて啓太は電話を切った。霞が関ビルのレストランは前年の10月に行ったところだが、ビルの最上階の36階にある。ここなら京子との送別会に最もふさわしい場所ではないかと、啓太は納得したのである。