野菜でも海老でもかき揚げが好きだ。天つゆに漬けてご飯にのせればチープな天丼 おうどんでもお蕎麦でも 数段食べ応えが上がるので隠れた実力者だと思う。まあ それなりにチープではあるがw 巷に天ぷら屋というのが存在しているのは知ってるけれど 所詮財力には限りがあるので数千円もする?ような天ぷらには縁がない。あっても司津屋の天ざる1600円くらいがあたしの贅沢だ。蕎麦屋の天ぷらって結構侮れないとは思うが おそろしく高い店で食べたことは無いので比較できないのが悲しいところ。まあ普段食べてたおかんや嫁はんの揚げてた天ぷらが 舌に残る天ぷらの味だろう。実家を出てからもう随分たつし 両親は限界でケア付住宅に入っちゃったので もうおかんの天ぷらは食べれない。実家の分厚い重い天ぷらなべは今東京の部屋にある。
見てたら 邦画の 散り椿 が公開間近なんだそうだが この原作が葉室麟氏だそうだ。蜩ノ記はタイトルだけは知ってたが これも氏の作品かぁ 映画化もされたのか?と略歴を見て気がついた次第。以前にここに書いた 古都再見 新潮社刊 2017年初版・・て随想集 まあエッセイは良かった。図書館で借りたのだが結局買ったわけ。なんでも京都からでないと話が進められんのか?とお叱りをいただきそうだが 街というより町の京都が好きなんだから仕方あるまいw葉室氏って時代小説の大家で 直木賞だの司馬良太郎を取ったらしいが2017年末に没。読んでおけばいいようなものだが あたしの小説の読み方はどうも偏ってるらしく食指が動かない。まあわけのわからん現代ドラマよりは面白いのだろうがテレビを見ないあたしには遠い世界だったりする。作品は読まないとしても この随想集はなかなか面白い。生み出した作品より 人間葉室麟の方に興味があるのだ。ただの京都好きだろ?って言われりゃまあそうだが。今月末から心臓血管の半年毎の大検診とか 部屋の大規模修繕とか 実家の売却に伴う事務処理とか荷物の搬出 さらには精神科の受診(往復8時間の)があったりして 京都の部屋探しには行けそうにない。9月は東京でうだうだしてると思う。まーでも一昨日はふらふらしてやばかったのでどうなることやら・・。突然長期に更新が止まったら彼岸の人になってる・・と思っていただければおおむね当たりだったりする。
お弁当入れるので7時前には起きてるので ついでに友人にモーニングコールしてるわけだが 今朝は出なかったので こりゃ寝てるな?とか思ったら さっき電話きて39.8度の熱でダウンしてるっぽい。彼女もメンタル持ちだが まあ良く働く。まあ あたしもそうだが ちょっと調子悪いとすぐ行きたくなくなるのだが 彼女は早朝から遅くまで良く働いて 愛想はいいわ 仕事に真面目だわ・・で マジすごいと思う。現場というか 運転を伴うので40度近い熱はさすがに危険だ。本人も吐くわ 頭痛い以前にふらふらするので 運転は無理・・とか思って休みます連絡をしたそうだが 普段真面目過ぎる以上にやってるのでゆっくり休めーで終わったそうな。まあギリギリの人数でまわしてる職場なんで休んだら厳しいとは思うが 普段きっちり以上にやってりゃ こういう時は融通が利くものである。普段いーかげんにやってたら こうはいかない。なんでもそうだが 自分がやったことが何倍にもなって自分に返ってくるのである。何事も普段の行いである。あたしは こういう友人を持ってちょっと嬉しいのだ。
友人の母が亡くなった・・という知らせが来た。まだ80前だったが脳出血だそうで延命しないで安らかな最後だったようである。ご冥福をお祈りしたい。なんと言葉をかけたらいいのかわからなかったのだが 今朝起きたら 漫画家のさくらももこ氏の訃報が飛び込んできた。53歳乳がんだったそうである。まだ若いのになぁ・・と思う。ご冥福をお祈りしたい。・・とネット検索してたら 歌手の西城秀樹氏も5月に亡くなってたそうである・63歳心不全だそうだ。こちらも早いな・・と思う。2度の脳梗塞から復帰したが まあそれも関係あるらしい。日本人の4人に一人が心臓や脳の疾患で亡くなるそうだ。まあ あたしも2年半前に死んでてても不思議はなかったのだが まだ生きろ・・ということらしく三途の川の手前で引き返してきたサバイバーである。あたしの急性大動脈乖離って手術前に7割手術しても7割が亡くなるそうで あたしの運てどこまで強いのよ?って思うが。知ってる有名人が続々と亡くなってく中で思うのは 生きる・・ってなんだろう?とか思う。三途の川の川岸まで行ったあたしの感覚から言えば死は無というか果てのない暗闇に向かって落ちていく感じだ。まああの世とか来世を信じたいのだろうが そういうものは無い・・というのが実感である。宗教って結局現世のもので 死の恐怖を一時的に和らげるだけなので あんまり意味が無いな・・と思う。まああの世があるならあの世は牛と豚と鶏とゴキブリで朝の通勤電車みたいに大混雑してるか?と思うとぞっとするのだが。人だけ来世があると思うのは大きな思い上がりである。だけど人生ってなんなんだろう?とか思う。まあそれなりの楽しみはあるのだけど それだけでいいのか?もっと誰かの為に役立つことをするべきじゃ無いのか?と強く思うのである。なんにせよ死んだら終わり。歴史の教科書に名前が載ろうが関係ない。普通の人はそのうちみんなの記憶から消えてそれで全て終わるのである。記憶から消えないように思い出す動作がお彼岸でありお盆なのだ。まああたしもいつ消えても不思議はない。というか 知人友人の中でも一番彼岸に近い位置で足踏みしてるようなポジションだから 最初に忘れ去られる存在なんだろうなぁ・・・と思うと生きてる意味を求めて宗教に走る人の気持ちもわからなくは無いけど 死んだらそこで終わり。ファイルを消去したみたいに全て無くなるのである。なので 明日死んでも後悔しないように今日を目いっぱい生きたいと思う。自殺する気持ちも あたしも3回くらい未遂してるのでわからなくは無いけど ほっておいても遅かれ早かれみんな死ぬのである。急がないで目いっぱい生きていこうや?と思う。どんなに苦しい状況でも命までは取られない。自然に終わるその日まで楽しいことをいっぱいして後悔の無いように生きたいものである。あたし?充分充実した人生を送ってたと思う。一度死にかけると こんなもんか?と思えるようになるので それがいいか悪いか別としてある意味諦めみたいなものがある。これまで あたしを支えてくれた人たちに最大の感謝・・それしかない。
良く眠れなかったせいかと思ったが 朝7時前に起きたら雲の上を歩いてるみたいで 足も頭もふわふわする。とりあえず嫁はんのお弁当を適当に作って送り出し薬飲んで血圧を測ってみたら122-74なんでまあ正常だが心拍が異様に高くて102もある。とりあえずすぐには死なないだろうと思いつつ もう一度横になるものの目が回る。結局13時過ぎまで寝てたが あんまり調子が悪いのでまた測ってみたら124-87 心拍91で少し落ち着いた気がする。まだ頭が重いがまあ寝すぎたせいだろう。今日は銀行の貸し金庫に預けてある実家の権利書を取りに行かなきゃならなかったのだが 出かけるのは到底無理な状態だったんで 弟にメールして延期となった。実家は結局売るのだが買い取りだとかなり安い値段を提示されたんで 仲介で売ることになって その契約に権利書のコピーがいるのである。まあまだ売れたわけでは無いので 画像で必要事項がわかればいいらしいが。あと親の通帳も預かってるのでこちらも記帳せねば。親は経費はそこからおろして使え・・というが 通帳とキャッシュカードはあたしが預かってるんで好きにできるが 私的流用でなくても使途不明金が少しでも出れば 弟との関係がおかしくなるから それはしない。まあ 大事な弟だし はした金で関係がおかしくなったら目も当てられないので絶対にしない。血のつながった親族でも金がからむと悲惨なことになるのを何度も見てるので 絶対しないんだが。さて明後日は半年ごとの大検診である。三次元CTとって検査するんだが 足が痺れるだの今日みたいにふらふらするのを言わなくっちゃ。まあ とりあえず五体満足だがいつあぼーんするかわからんので怖い。普段なら読み直してポストするんだが 今日は体調が悪いのでそのままポスト。おかしなところがあってもご容赦願いたい。